大嫌いな女上司に捧ぐスパチャ
「片瀬君、どういう事かしら? 分かるように説明してくれる?」
月曜日、唯でさえやる気が皆無な今日この頃、俺は朝一で上司の橘課長に呼び出された。課長の顔に極めて嶮しく、著しい遺憾の意を表明しくさっておられたので、すぐに何の事か分かった。
「時塚商事の社長から私のところに連絡が着て、いきなり『お宅の部下に家をウ〇コ塗れにされたぞ!! どうしてくれる!!』と怒鳴られてね。正直何の事か分からないのよ。兎に角説明を頂戴! 勿論納得のいくやつをよ?」
橘課長はその物理的に大きな胸の前で腕を組み、俺の説明を待つ構えに入った。何を食ったらそのような胸囲を誇れるのか気になるところだが、橘課長の好物は栗ようかんだ。
「えーっと……どこから話しましょうか……」
「最初からお願い」
腕組みに更に力が入り、邪念が過らない事もなかった。
「ウチの会社って、副業OKじゃないですか」
「ええ。貴方の場合、親戚の浄化槽業者の所で働いているのよね?」
「昨日も働いてました。だから時塚商事の社長の家がクソ塗れになりました」
「過程を飛ばしすぎよ! 何があったのか説明して頂戴!」
「事故です」
「事故?」
眉をひそめ、俺の顔を睨む橘課長。起きてしまった事は仕方ないので、俺は淡々と説明をするしかなかった。
「昨日はサウジアラビアから出稼ぎに来ているヴェンさんとバキュームカーで仕事をしていたんですよ」
「……待って、完結してるじゃないの」
「ええ、ですから過程の説明は必要無いかと」
「バキュームカーを時塚商事の社長の家に突っ込ませたのね!?」
「突っ込んだのはヴェンさんです」
「あなたは何をしていたの!?」
「助手席で寝てました」
「なら仕方の無い事だわ。世の中には恐ろしい偶然があるものね。後で一緒に謝りに行くから予定を開けておいて頂戴」
「あの時タヌキが飛び出して来なければ時塚商事の社長の家がクソ塗れになる事はなかったんです。それにヴェンさんの不法滞在と無免許運転とダッシュボードの白い薬も──」
「それはいいわ! 聞かなかったことにするから自分で何とかして頂戴!」
午後、口やかましい女上司と車で時塚商事へ。二人きりの空間が妙に気まずい。これから謝罪へ向かうピリピリとした空気がキリキリと心を締め付けてゆく。
──グゥゥ……
と、突然腹の虫が鳴いた。それも盛大に。
「あなた……お昼食べたばかりよね?」
「あ、その……いえ、まだ……」
「どういうことかしら?」
正直に伝えると、ギロリと恐ろしい視線が刺さった。
「金欠で……」
「まだ二週間もあるじゃない。どういうことかしら?」
「あ、いえ……その」
「正直に報告なさい。場合によっては解雇もありえるわよ?」
「!?」
解雇と言われビビってしまった俺は、ありのままを報告せざるを得なかった。
「……VTuberに……」
「VTuberって、動画サイトで配信している人達の事かしら?」
「はい。好きなVTuberさんにスパチャを……」
「スパチャ!?」
橘課長の圧が一段階強くなった。スパチャし過ぎて生活費が無くなるなんて、やはり社会人として許されない行為だったか……。
けど、推しの水鳥ふあ、に捧ぐスパチャで俺の心は常に潤っているのだから後悔は無い。
スマホに付けた、ふあのキーホルダーを見せると、課長の顔が明らかに引きつった。終わった。理解されないまま解雇まであるぞ。
「ふあの視聴者なの!? それもスパチャって……」
「あ、課長ふあさん知ってるんですか?」
「──!? い、一般知識としてよ!」
課長がふあさんの事を知っている事は驚きだが、ふあさんは企業CMや広告にも出ていたりするから、知っていてもおかしくはない。それだけふあさんの知名度が増してきているという事だろう。いちファンとしては嬉しい限りだ。
「まさかあなた……ふあの配信でスパチャし過ぎて、生活費が困窮しているのね!?」
「……仰る通りです」
「て事は、あなたが毎回配信の終わりで高額スパチャをかますmametakeyarouさんだったの!?!?!?」
「え? ええ……そう、ですが。課長もふあさんの配信毎回観てるんですね」
「──!? あ、あくまで一般知識としてよ!!!!」
凄まじい剣幕で怒る課長だが、いつもはお堅い課長がふあさんの配信を観ていると思うと、親近感がわかない事もない。
「だからあなたそんなに臭うのね!? お風呂も入れない程にスパチャして──」
「これはバキュームカーのせいです」
「あなたそんなスパチャばかりしていたら、ありがたいけど貯金も健康も損なうわよ!?!?」
「……ありがたい?」
「──ゲフンゲフン!! と、に、か、く!!!! 今週はスパチャを休みなさい!!!!!!!!!」
「嫌です」
「なんですって!?!?!?!?」
キッパリと断ると、課長は口あんぐりと開けて固まった。
俺の推し活は誰にも邪魔させない。
「だったら今週の配信は休みにすゲフンゲフン──休みなさい!!!!!!!!!」
「嫌です」
「なんですって!?!?!?!?」
二度目のキッパリ。いくら上司といえどもこればかりは譲れない。
「だったら好きになさい!!!! その代わり次スパチャしたら分かってるわよね!?!?!?!?」
「ええ」
それっきり口を開かなくなった課長と俺は、時塚商事のエントランスで門前払いを食らい、仕方なくまたしても無言で帰るのだった。
俺のクビが飛ぼうが知ったことではない。ふあさんの配信が在る限り、俺は銭を投げ続けるだけだ。
「……今週は疲れたな」
週末の自宅のパソコンの前で、ふあさんの配信開始を待つ。手には水道水とベランダで育てたパセリ。今日の夕飯だ。
「ふあの配信、始まりますよ~♪」
「お、始まった始まった。これがあるから俺は生きていられる」
ゆったりとした暖かいふあさんの声に、荒んだ俺の心は瞬く間に癒やされるのだった。
「突然ですがお知らせです!」
「?」
「mametakeyarouさんは今後一切スパチャ禁止でーす!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?」
突然のことに手にしていたパセリを握りつぶしてしまった。何故いきなりふあさんに名指しでスパチャを禁止されるんだ!? 訳が分からない!! しかし心当たりが一つだけ。橘課長のあの一件だ。
「……あの女上司、さてはふあさんの知り合いだな? クソッ! 羨ましいが許し難い!!」
「mametakeyarouさんは霞を食べるほどに困窮しているらしく、ふあとしても心配でーす」
「まだそこまで行ってねーってば!」
握りつぶしたパセリを霞と呼ぶかは別問題だが。
「ちゃんとお風呂も入って下さいねー」
「や、野郎……!!」
姑息な手回しでふあさんに迷惑を掛ける橘課長のやり口に、俺は怒り心頭に発したが、水道水を口に含み、とりあえず落ち着くことにした。
「……だが課金する。銭を投げるべくしてスパチャするしか俺に残された路は無い!」
配信の終わり際を狙い、渾身のスパチャを投入!
──mametakeyarou 50000円。
「mametakeyarouさん!!」
「ヒッ!」
まるで橘課長みたいな声がパソコンから轟いた。思わずすくんでしまい、またもやパセリを握りつぶしてしまった。
「スパチャ禁止って言いましたよね!?」
「……」
いや、むしろふあさんに迷惑をかけているのは、俺なのかもしれない。
「すみません」
一人パソコンの前で頭を下げた。
行き過ぎた好意が推しに迷惑しかならないのなら、俺は身を引くべきなのであろう。
そっとパソコンを閉じて、俺はベッドへと潜った。あと、手がパセリ臭いのでトイレへ行くついでに洗った。
「はい、これ」
週明け、橘課長が小さな包みを俺へ差し向けた。
「な、なんですか?」
「スパチャした罰よ」
それはどう見てもお弁当だった。
ふあさんのイラストが入ったハンカチで包まれた、小さなお弁当が俺の両手にすっぽりと納まった。
「え? もしかして……ふあさんが!?」
「まさか」
苦笑。そして指先に見えた絆創膏で俺は橘課長が作った事を察した。
「ど、どうしてですか!?」
「私も今日からお弁当にしようと思って、ね」
「何故俺に!?」
「大事な部下に倒れられても困るのよ。結局穴埋めは私の仕事なんだから。それに一つ作るのも二つ作るのも一緒でしょ?」
「か、課長……」
俺は本当に馬鹿な生き物だ。
こんなにも俺を心配してくれる課長が居るなんて……!!
「五万円もスパチャしたんだから、お返しにしばらくはお弁当作ってあげるわ」
「……おかえし?」
「──!? なんでもないわ!!!! さっさと仕事をしなさい!!」
「は、はい!!」
こうして、俺は課長にお昼を作ってもらう事になったのだが、お弁当は……正直イマイチだった。こんな事を言ってはなんだが、健康に気を遣いすぎて薄味が過ぎるのだ。
「塩でもふるか」
心の中で課長に感謝しつつ、塩をふった。
「ふあの配信、始まるよ~♪」
週末、俺はパセリと塩と水道水をトレイに乗せ、ふあさんの配信に釘付けになっていた。
「さて……」
いつもは最後にスパチャするが、今回は最初から行ってみよう。流石に課長も最初から監視はしていないだろう。
──mametakeyarou 50000円。
「片瀬君!!!!」
「ふえっ!?!?」
突然PCの中から名を呼ばれ、頭が真っ白に。
何故パソコンから課長の声が!?
「mametakeyarou改めリアルネーム片瀬君! あれほどスパチャ禁止って言ったのにあなたって人は……!!」
「なんで!? なんで!? ま、まさか……!!」
PCが乗っ取られているのか──!?
俺は恐ろしくなり、PCの電源を消してすぐに寝ることにした。
が、すぐに気が付いた。
「いや、課長がふあさんとかは絶対ないな。うん、ない」
て、事は……課長は俺のことが単純に好きでストーカーをしているのでは?
なら仕方ない。男子たるものその想いに応えなくてはどうする。
「はい」
月曜、課長は俺に重箱を手渡してきた。
「こ、これは……?」
「スパチャした罰よ」
罰なのか、これは…………。
「次スパチャしたらウチに来て手料理だからね!?」
──mametakeyarou 50000円。
「頂きます」
五万円で課長のフルコースを堪能した俺は、食後に話を切り出した。
「俺、もうスパチャ止めます」
「そうね、それがいいわ」
課長が嬉しそうな顔をした。
「スパチャだと運営に1割取られるから、直接課長に銭を投げますんで」
「は?」
「とりあえず給料の三ヶ月分でいいですか?」
「そんなのダメに決まってるじゃない!!」
「絶対幸せにしますんで」
「男はみんな決まってそう言うわ! そして数年後に自堕落するのよ!!」
「なりません。課長だけに銭を投げ続けます」
「…………嘘よそんなの」
「手始めに4000万円課金しますね。それで家を買いましょう」
「……スパチャ貧乏がどうやっていえをかうのよ、ばか」
「なんとかします」
「……あなたが言うと本当になんとかなりそうで、ある意味怖いわ」
「とりあえず、ご飯のおかわりを……良いですか?」
「はいはい」