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シュヴァリエ  作者: 大類ちとせ
2/2

瞳の中には

ガタゴト

ガタゴトーーー


ここがあの世ならば、死後の世界は随分と地震の多い場所なのだな。と思った。

しかも、狭い。身を捩れば肉の壁に当たった。これは、間違いなく人間の肌だ。

そしてやけに臭った。汗と泥と埃と、それから良くわからない据えた臭いだ。

人は死んだ後さえ満員電車の苦しみを味わうのか…と憂鬱になりそうだったが、果たしてこんなにもリアルに感じるものだろうか。感覚だとか、意識だとか、希薄になりそうなものだが。


「大丈夫?」


その声はすぐ隣から聞こえてきた。

桃矢の右側。視線を向けると目を見張った。

酷く乱れた金髪に緑色の瞳。暗くて良くわからないが、肌も白く明らかに日本人ではない。

あの世は世界共通なのだろうか?


「ああ、良かった。やっと此方を向いてくださった。いきなりぼうっとして呆けてしまったかと思いましたわ。…こんな状況ですもの、仕方がありませんけれど」


声も少し掠れていたが、彼女はハキハキと喋った。


「ああ」


「貴女みたいな年の女の子なら高く売れるなんて言っていたけれど、冗談ではありませんわね!私がこうでなければすぐに解放して差し上げますのに!」

-売れる?

何を言っているのだろう。それに、今…


「あ…」


間違いを訂正しようとして息を呑んだ。

ここに鏡はないが、隣にいる彼女の瞳に写っている。この顔を知っている。毎日見ていた自分の顔だ。自分の顔なのだが、おかしい。

緩く波打つ銀の長髪。それと、触れてみて分かった。男の自分にはあるはずのない膨らみ。これは、これは女性の身体である。


そう、今彼女は、「女の子」と言った。

つまり、今の自分は「女の子」らしい。

だか、それは間違いである。長谷川桃矢は5人兄弟末の弟で、16年間男として生きてきた。

だから、


「トーリ?」


心配そうな彼女の顔が自分を覗き込んでいる。


ートーリ


「今、なんて…」


ーとうり


心臓がバクバクと音を立てていた。まさかまさか。


「なんて、って、貴女の名前ですわ。トーリ、そう教えてくださったでしょ?」


「と、う、り」


ー桃李


その名前も知っている。

長谷川 桃李。

長谷川兄弟末の双子。その片割れ。紅一点。

桃矢と瓜二つの容姿で育ち、七つの歳に行方不明となった妹の名。


瞳に写る同じ顔。女性の身体。名前。

つまり、これは、今の自分は…妹の身体に居ると、そういう事なのだろうか。 


―分からない。しかし、忘れようもない存在だ。10年程離れていても、忘れるはずがない。


チラリと右腕を見る。手首付近に小さな傷痕があった。


―これは、桃李いもうとの身体だ。


「きゃっ」


ガタンっ、と殊更に大きく揺れが起こった。

同時に今まで続いていた揺れも治まった。どうやら停まったらしい。


―じゃり、じゃり、と外に足音。人数は二人。

次にじゃらじゃらと、これは金属の擦れあう音。ガチャンっ、恐らく地面に落ちた……鎖、だろうか。


―ぎぃ


「おらっ、さっさと降りろ!」


外の光と共にガサついた男の声が響いた。逆光になっているので顔は見えないが、あまり機嫌は良くなさそうだ。


「何グズついてやがる!早く降りろ!」


周りの皆が戸惑って動かないのに痺れを切らしたか、先程よりも大きな怒鳴り声だった。入り口付近の者達が少しずつ動き出す。

中は人数が減り、隙間が出来た。息苦しさも無くなり一息ついていると隣からも深呼吸する音が聞こえた。


「まったく、大変な目に合いましてよ!仕方ないとはいえ、先が危ぶまれますわ、ねえ、トーリ?」


「……」


憤慨した様子の彼女は先程の女性だ。すし詰め状態で分からなかったが、他の者たちとは違って随分身形が良いようだった。ドレス、と言うのだろか。何だか中世ヨーロッパ風である。

かくいう自分もよくよく見れば同じような裾の長い服だ。所々擦りきれて、黒い汚れ……これは、煤なのか、ひどい有り様ではあるが。


「トーリ?」


「あぁ、すまない……」


心配そうに覗き込む彼女に応えるために名前を呼ぼうとしてふと気付いた。

名前、名前……。


「…………」


「?……ああ、もしかしてわたくしの名前かしら。お教えしたのに、忘れてしまわれたの?もうっ、マリア、ですわよ。マリア・アーネット。我が国が誇る大商会、アーネット商会が一人娘。人呼んで、レディ・アーネット!ですわ!」


「マリア」


彼女のいる場所だけ、スポットライトが当たっているかと思った。身形が良くとも汚れていて、髪はほつれ、両手に枷が嵌まっているのにどこか誇らしげで、さながら女優のようだ。


「そ、ですわ。マリアです。トーリ、こうして出逢ったのも何かのご縁。商人は縁を大切にしますから、是非今後ともごひいっ……っ」


にこやかな挨拶は最後まで聞くことが出来なかった。

枷に繋がれた鎖が勢い良く引っ張られたからだ。


「なぁにが、我が国が誇る!だ、そのアーネット商会はもう無ぇってのによぉ。不渡り出してぶっつぶれた上に、商会主は無様に逃亡!一人娘は人買いに売られて奴隷じゃねぇか、なあ、アーネット商会の一人娘、レディ・アーネットぉ?」


―がははっ、違いねえ。


鎖を引っ張りあげた男が下品に笑った。

マリアの顔は真っ赤になっている。図星を付かれての羞恥というよりも、怒りによって血がのぼっているように見えた。


「っお前たち、よくも!」


きっ、と眼をつり上げて反論しようとマリアが顔を上げる。

その態度が気に入らなかったのか、男はさらに鎖を引っ張りあげた。


「くっ……」 


「はっ、生意気な商品だなぁ。ちっと痛い目見とくかぁ?」


ぐいと、鎖を握る手に力が入る。マリアの顔が痛みに歪む。これ以上は放っては置けない。足に力を込めて踏ん張りを効かせる。足枷も付いているが、飛び蹴りくらいはやれるだろう。視界に入らないようしゃがみこみ、あとは……


「お止め、このバカ息子め。その商品にキズ付けてどうすんだい?今から売ろうってんだよ?値が下がったら、あんたにその分払って貰うよ!」


しわがれた、しかし力強い声が飛んできた。

途端に男は鎖から手を離す。じゃらっと音を立てて鎖がもとの位置に戻っていった。桃矢も姿勢を戻す。どうやら蹴りは必要ないようだ。


「ウチのバカ息子どもがすまなかったねぇ、お嬢さんたち。しっかり灸を据えておくから勘弁しておくれでないかい?」


現れたのは杖をついた老婆だった。白髪を結い上げた一見上品な(ひと)だ。


「お前さんが、レディ・アーネットかい。なるほど欲しがる客がいるわけだね、まずは綺麗に整えて……」


解放されたマリアにぐいと近づくと、まじまじと見て品定めをしているようだった。その老婆の視線がふと桃矢に向けられる。


「……おや、まあ」

「!」


先程までマリアのすぐそばにいたはずの老婆がつかつかと桃矢に寄ってきて、今度は桃矢を上から下まで視線を巡らす。


「なんて、上玉だい。お前たちこんな娘どこで仕入れて来たのだね?」


その言葉は彼女の後ろで硬くなっている二人の男に向けられていたようだ。びくりと肩を揺らした二人のうち、背の高い方の男がへらりと答えた。


「そ、そうだろう母ちゃん、そいつ、帰り道の途中で馬車の前にいきなり飛び出して来やがったんだ。ふらっふらしてよ、ぶっ倒れて邪魔でしょうがねえって引いちまおうかと思ったんだけどな、エライ綺麗な顔してたし……、ほらっ、んなボロボロのなりじゃ、きっとロクな身分じゃねえし、訳アリだろ?」


だから、な?な?と、自分たちの功を強調するかのようにぺらぺらと喋った。


ーふらっふら?馬車の前に?

桃矢にその記憶はなかった。


「…そうかい、こいつは、ふむ。競売の順を考え直さなきゃだね」


思案顔で目を細めると、くるりと背を向けて歩き出す老婆。

二人の男に何事か指示を出したようだったが、その後はやって来た時と同じように杖をついて去っていった。


「くそっ、おいナニ見てやがる!さっさと歩け!」


老婆の登場で止まっていた歩みがノロノロと再開する。

鎖は連結されているので必然的に桃矢達も引っ張られるように進むことになったのだが、


「お前らは別だ!」


そう言われて、桃矢とマリアだけ違う方向へ向かう。

マリアの前に繋がっていた鎖が分離され、先程の男達の内一人がマリアに伸びる鎖を、残り一人は桃矢の後ろの余った部分を掴み歩き出した。




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