閑話14の7、自転車旅行の思い出7
ノンフィクションです。
延岡からは南下をしていく。
宮崎を経由して日南海岸へ。
宮崎までは普通に国道を走っていく旅だ。
宮崎では大きな川があるなという思いでしかない。
日南海岸と言えば鬼の洗濯板が有名だ。でもいつまでも見ていようというものではない。
日南海岸付近はまさに南国の地という感じだ。
暑いが観光客も多いと感じた。しゃれた宿泊施設や観光施設を横目に予約していたユースホステルへ向かう。
日南のユースホステルは大きい施設だが利用者が多く混雑していた。
ここの記憶では夕食のご飯に芯があったことかな。
おそらく多くの利用者に対応するために臨時で働いている者も多く慣れないためにこうなったのだろう。
一度に多くのご飯を炊くのにはそれなりのコツがあるからね。
私の場合は湯炊きを行うけどね。
キャンプなどで大人数での食事を用意するときの方法だよね。
これだとお米がばらけて芯ができにくい。
それでも知らない人たちとの一時の交流を持ち、情報交換を楽しんだ。
自転車で旅をしている人とも多く会った。
夏の北海道は自転車旅行をしている人たちは九州の比ではないといことも聞いた。
翌日はさらに南下を続けた。
食べ物を海水で洗うことで有名になった猿のいる幸島を左手に見て都井岬へ。
曲がりくねった道を進むと「岬めぐり」の歌を口ずさんでしまう。
歌詞を全部覚えているわけもなく一部だけであったが・・・・。
都井岬では遠目に岬馬を見てから北上した。
このあたりで昼食にラーメン屋に寄ったのを覚えている。
そこのおかみさんが静岡から来た人だということで話に花が咲いた。
さらに北上すると顔に何かが当たる。
桜島の火山灰だった。
痛い。しかし進むしかない。
火山灰に苦しめられる旅だったな。
苦労しながら桜島のユースホステルに到着した。
日南のユースホステルに比べると空いていたのを覚えている。
翌日はフェリーで鹿児島へ。
そして輪行で静岡に戻る。
この日は日曜日で銀行が営業していなかった。
そのためお金も下ろせない。
所持金の残高をよく計算せずにお土産を買ってまずは熊本へ。
急行列車だったかな?
さらに大阪に向けて夜行の急行列車に乗った。寝台ではなく座席だ。
大阪に到着。ここで困ったことに静岡までの新幹線代が10円足りなかった。
仕方なく米原まで在来線で移動した。米原まで行けば新幹線代が600円安くなる。
考えてみれば大阪で途中下車して銀行に行くという手段もあったのだが・・・・。
米原で500円で買って食べたアユずしのお弁当が凄くおいしかった。
朝食が食べられなくて空腹だっただけに美味しく感じたのかな。
静岡についてすぐに銀行に行きひと息をついたのを覚えている。
鹿児島のお土産は壺漬けだったな。
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