EXTRA 『銭湯のふたり』
その日の夜。聖ミカエル教会の住居スペース、キッチン兼ダイニングにてフランチェスカはテレビのチャンネルを何度も変えていた。
この日、この時間帯だと面白い番組はなかなかない。
「つまんなーい!」
ふぅっと頬杖をつきながらまたチャンネルを変える。と、ボタンを押す手がピタリと止まった。
「はい! こちら、群馬県は湯もみで有名な草津温泉に来ています! 草津ガールズたちが草津節を唄いながらお湯をもんでいます!」
女子キャスターがマイクを手に温泉の湯もみショーを実況中継する。
へぇ、ああやってお湯をかき混ぜるんだ……。
「温泉か、いいなぁ……」
ほぅっと溜息をつく。
温泉入ってみたいけど、まさかこの近くにはないわよね……。
スマホを取って、マップを開いて『温泉』と検索してみる。
すると、教会近くの場所にピンが表示された。
「え、ウソ!? こんな近くに?」
ピンをタッチして画像を表示させる。
「なになに……鶴の湯?」
下にスクロールして、その施設の説明文を読む。
『鶴の湯』
当浴場は創業50年を誇る昔ながらの銭湯です。座風呂、ジェットバス風呂、サウナ、水風呂など豊富なお風呂をお楽しみください。
さらにスクロールすると画像が出た。
富士山の絵をバックにして、ずらっと並んだ洗面台、大小さまざまの湯船。
それらをフランチェスカが興味津々で眺めていく。
「朝風呂も出来るんだ……よし! 明日行ってみるか!」
翌朝。鶴の湯の、昔ながらの造りの銭湯の前にフランチェスカはいた。肩にトートバッグをかけている。
「シャンプー、コンディショナーよし。スポンジよし。タオルよし。替えの下着よし!」
いざ! と暖簾をくぐって、靴を下駄箱にしまって奥に進むと、受付で高齢の老婆が番台を務めている。
「いらっしゃい。おや、外人さんとは珍しいねぇ」
「わたし、こういうところ初めてなんです」
「お嬢ちゃん、日本語がお上手だねぇ」
入湯料の450円を支払って女湯の脱衣所へと入る。ロッカーに荷物や貴重品をしまい、ついで生まれたての姿となって、浴場へのガラス戸を開けるとそこは別世界だ。
「わああ……!」
朝早い時間のためか、客は一人もおらず、貸し切り状態だ。
「すてき!」
たたたっと走ってぴょんと跳ねると豪快に湯船へとダイブした。
※浴場で走ったり、湯船に飛び込んではいけません。
途端、ガラス戸が勢いよく開かれた。
「ちょっと! なにやってんだい!?」
そう声を張り上げたのは神代神社の巫女、舞だ。
「この注意書きの張り紙が……ってフランチェスカじゃないか!」
「まいまい!? なんでアンタもここに来てんのよ!」
「あたしはこの日はいつもここで朝風呂入ってるんだよ! あと、まいまい言うな!」
「ラインの名前で呼んだっていいじゃない」
「くっ……! とにかく! 風呂入る前に体洗うのがマナーなんだよ」
ほら上がった上がった! と舞が急かすのでしかたなく上がる。
「うっさいなぁ……ま、でも郷に入りては郷に従えって言うしね」
ぶつぶつ文句を言いながら、風呂椅子と底に薬局の名前が書かれた桶を取り、洗面台の前に腰かける。
その隣に舞が腰かけた。
「ちょっと、なに隣に座ってんのよ」
「アンタが勝手なことをしないよう見張るんだよ」
「……好きにすれば」
フランチェスカがカランに手を伸ばしてお湯を出そうとする。
「あれ? お湯出ないんだけど……」
「違う違う。回すんじゃなくて押すんだよ」
「そうなの?」
言われたとおりやってみるとお湯が出た。だが……。
「熱っ!」
あははっと舞が笑う。
「水と一緒に出してうめるんだよ」
「……先に言いなさいよ」
スポンジを湯に浸して、ボディーソープを染みこませて体を洗う。隣の舞は水垢離よろしく頭からお湯をざばっと被る。
「ふぅ~っ、スッキリした!」
ふと、フランチェスカを見る。均整の取れた体を泡立てたスポンジで洗う、その様は神々しささえ覚える。
ふぉおおおおおっ! なに? いったいなに食べたらあんなに胸大きくなるの!?
それに比べて……とわずかに盛り上がった自らの胸を見下ろす。
べ、別にまだこれからだし! まだまだ発展途上中だし!?
「なにしてんのよ?」
「へっ!? あ、いや石鹸切らしてて……」
「あたしので良ければ貸すわよ? ボディーソープだけど」
ほらと差し出され、「あ、ありがと……」と受け取る。
「~~っっ!」
舞はごしごしと音が聞こえんばかりに洗う。次にふたりとも髪を洗い終えると、最後にかけ湯をしてから湯船へと入る。
「ふぅうう~~っ」
「まいまいってジジくさいわねぇ……」
「あんたも入ったらわかるわよ。あと、まいまい言うな」
はいはい、とフランチェスカが爪先を湯につける。熱いが、心地良い温度だ。
爪先から足へ、腰を落として体全体が湯船につかると、湯がまわりを包み込んで、次第に疲れがほぐれていくような感覚にとらわれる。
「はぁあああ~~っ」
「だろ?」とにやにや笑う。
「ん、悪くはないわね……って、なに頭にタオル乗っけてんのよ?」
「こうすることでのぼせるのを防ぐんだよ。先人の知恵さ」
「ふーん」
フランチェスカもタオルを乗せる。
舞の隣に腰かけ、頭をタイルに預ける。
「日本にこんなところがあったなんて……」
「あんたの国には、公衆浴場とか温泉とかはないのかい?」
「あることはあるけど、スパに近い感じね。入ったことがあるのは、ハンガリーのセーチェニ温泉だったかな。もちろん混浴よ」
「こ、混浴!? なんてふしだらな!」
「混浴と言っても水着着用よ。でもこのお風呂みたいに温度が高くないから、ずっと長く入れるの」
湯船に入りながらワイン飲んだり、なかにはチェスを指す人もいるわよ、とさらに説明すると舞が目をしばたたく。
「世界にはそんな温泉あるんだね……」
「そうね。でもこんなにのんびりと入れるところって日本だけかも……」
「そうね。言えてる」
窓から差し込む日の光、それを受けてきらめくタイル、後ろの富士山が描かれたパネル。日常のなかの非日常で、ふたりはまた「ふぅ~っ」とひと息つく。
浴場を出て着替え、脱衣所を出る。出入口へ向かおうとすると、番台の老婆が「お嬢ちゃん、待って」と呼び止める。
「はい、これ来てくれたお礼。そっちのお嬢ちゃんもね」
茶色の液体が入った瓶をそれぞれ手渡す。
「ありがとうございます! これなんですか?」
「コーヒー牛乳知らないの?」と舞。
「なにそれ? カフェオレ的なやつ?」
「まあ似たようなもんだけどね。カフェオレはコーヒーがメインだけど、これは牛乳がメインなのさ」
ぺりっと蓋をはがす。
「そしてこれは正しい飲み方があるのさ。あたしのマネをするんだよ」
腰に手を当てて、ぐいっと一気に喉に流し込む。
「美味いっ!」
「美味しいっ!」
飲み干して同時にぷはぁっとひと息つく。
「あー良いお湯だった!」
「気に入ったみたいね」
銭湯からふたりが石鹸の良い香りをさせながら出る。
「今日はいろいろ教えてくれてありがとう」
「ん。お安い御用だよ」
「それじゃ、またね。まいまい」
「またな。あと、まいまい言うなって」
今日もこの町は平和である。
いつもブックマークと感想ありがとうございます!
執筆の励みになっています!