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第19話 『GOOD SAMARITAN ~善きサマリア人~』前編


 空と海の境界線があいまいな風景が見渡せる岬にて、女はその突端にいた。

 見下ろすと波が寄せて返しては崖にぶつかり、泡を残していく。

 女はじっとそのまま見つめている。その顔は薄幸で、(はかな)げだ。


「やはりここにいましたか」


 後ろから男の声がしたので女がはっとして振り向く。そこにはすっかり髪が薄くなった中年のトレンチコートの男が立っていた。


蟹股(かにまた)さん……」


 女が男の名を口にする。最初驚きはしたものの、こうなる予感はしていた。いや、むしろ彼が来てくれて、ほっとした妙な安堵感すらある。


初美(はつみ)さん、苦労しましたよ。あなたのアリバイは完璧でした」


 蟹股という名の刑事は短足を動かして、初美のもとへと歩く。


「あの日、あなたは14:45発の特急『あけぼの』に乗ったと言いましたが、実際はそれよりも前の列車に乗った……」


 初美は蟹股警部の説明を黙って聞いていた。彼の一言一言がアリバイトリックをだんだんと崩していく。背中に波の音を聞きながら。


「――これであなたのアリバイは崩れました。ひとつ確認させてください。なぜ、黒川を殺したんです? これはあくまで推測ですが、おそらく、あなたは彼に()()られていたんじゃないんですか?」

「ええ……殺害現場を彼に目撃されてしまったんです……ところが、彼は警察に通報するどころか」

「それをネタにして、ゆすったというわけですね?」


 初美がこくりと頷く。


「はい……ですから私はあの日、彼に口止め料を払おうと、彼の家に行ったんです……」


 でも、と続ける。


「彼はそれだけでは満足しませんでした。目的は私の体でした……だから、私、そばにあった灰皿で……」


 初美が俯く。殺した時の感触を思いだしたのだろう。


「黒川の残した手がかりがなければ、事件の解決はありませんでした……むこうにパトカーを待たせてあります」


 蟹股警部が同行して初美がパトカーの前まで来る。車内に入ろうとしたときだ。


「はつみっ!」

 

 名前を呼ばれて振り向くと、若い男性が息せき切っていた。駆けつけてきたのだろう。


「初美……! おれ、ずっと待ってるから……!」

「…………ばか」


 初美は涙を堪えるとパトカーの中へ消え、そのまま走り去っていった。

 あとには若い男性の嗚咽(おえつ)だけが残った。蟹股警部はゆるゆると首を振り、上着の内ポケットからタバコを取り出す。


「刑事ってのァ、因果な商売だねぇ……」

 

 エンディング曲が流れ、次に役者名のエンドロールが流れた。

 それをフランチェスカはパジャマ姿で聖ミカエル教会の住居スペースのキッチン兼ダイニングのテレビ前で涙ぐんでいた。


「うあああ~蟹股さん、最高だよぉお……これぞ神回(ディビーノ)だよぉ!」


 どろどろに溶けたヘーゼルナッツ味のアイスクリームをぱくりと口に運ぶ。


 途端、テーブル上のスマホが鳴ったので手に取る。安藤からの電話だ。


オラ(もしもし)! アンジロー? ひさしぶりね。うん、うん。え、明日? 行く行く!」

 

 それじゃまたね、と通話を切る。ひさしぶりのデートのお誘いである。実力試験がやっと終わったそうだ。


「明日かぁ……」


 溶けたアイスをずずっと飲み干すとゴミ箱に捨て、歯を磨くために洗面所へ向かった。



 翌朝。フランチェスカはいつもの修道服(スカプラリオ)ではなく私服で教会の外へ出た。出かける前にポストから郵便物を回収すると礼拝堂に戻る。

 郵便物は請求書にチラシと、それに回覧板が入っていた。回覧板を開くと記事が挟まれていた。


 『お手柄! 救急救命で男性の命を救う!』

 

 付近に住む20代の男性が突如、心臓発作を起こして倒れた年配の男性に人工呼吸と心臓マッサージをおこない、AED(除細動器)を用いて蘇生したそうな。

 記事の下には救命措置を施した男性の顔写真と「人として当然のことをしたまでです」という月並みのコメントが書かれていた。


「へぇ、お手柄ね」


 コンコンと扉がノックされ、ついで安藤が「オラ、ブエナス・タルデス(こんにちは)」と顔をのぞかせる。


「オラ! ひさしぶりね。というかスペイン語で挨拶なんて百年早いわよ? 発音がなってないし」

「やっぱ付け焼き刃じゃダメですかね」


 たははと安藤が頬を掻く。それにくすっとフランチェスカが微笑む。

 

「さ、行きましょ!」


 †††


「でさぁ、その刑事がどんどんアリバイトリックを解いていくのよ。それがすっごいんだから!」

 

 安藤と並んで歩きながらフランチェスカが昨夜観たテレビの内容をまくしたてる。

 

「フランチェスカさんってそういうの好きなんすね」 

「というより、ああいう感じの刑事ドラマって、スペインでもそうだけどヨーロッパにはなかなかないのよ。あっても海外の刑事ドラマの再放送くらいかしらね」


 そう話しながら歩いていると、ふたりの主婦が話しているのが見えた。井戸端会議だろうか。


「でねぇ、あたしゃやっぱり裏表あるんじゃないかと思うのよ」と太った婦人が隣の若い主婦に言う。

「そうかしら? あのひと大人しそうだけど……」

「大人しい人ほど、何をするかわかったもんじゃないんだよ」


 あら? と太った婦人がこちらに気づいた。


「フランチェスカちゃんじゃない。ふたりしてどこか行くの?」

「こんにちは太田さん。はい。これから駅前に出来たカフェに行こうと」

「若いっていいわねぇ~。お似合いだと思うわよ。おふたりさん」


 若いふたりが顔を赤らめる。


「そ、それはそうと、なにか話をされていたんですか?」

 

 するとふたりの主婦が顔を見合わせる。


「フランチェスカちゃん、この近くで人命救助したひとの話、知ってるでしょ?」


 年の若いほうがそう言ったので頷く。


「はい、さっき回覧板で知りました。あの、なにかあったんでしょうか?」

 

 これに太田という婦人が答える。


「あの人、みんなはいい人だって言うけど、本当は悪い人なんだよ」

 

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