第16話 『Can you celebrate?』③
結婚式当日まであとわずかという日の朝、商店街のスーパーからフランチェスカが出る。
長ネギが突き出たエコバッグを肩にかけ直して買い物のメモを確認する。
「えーと、あとは電球と歯ブラシと……」
ふとメモから顔を上げると反対側の歩道に知っている顔があった。本田夫妻だ。
「本田さーん!」
呼びかけるとふたりともフランチェスカに気づいて手を振る。つぎに横断歩道を渡って合流して挨拶する。
「おふたりもお買い物ですか?」
「はい、ふたりで暮らしているとなにかと入り用が多くなるので……」と新妻の七々子。
そのまま三人で並んで歩き出す。
「もうすぐ本番ですけど、やっぱり緊張しますか?」
「そりゃもう眠れないほどですよ。緊張して指輪を落としてしまわないか不安で……」
本田がそう不安を漏らす。体格に似合わずあがり症だそうだ。あははとフランチェスカと七々子が笑う。
「それでリハーサルなのですが」
フランチェスカがそう発したときだ。七々子の姿が見当たらない。振り向くと後方で固まってしまったかのように動かなかった。
「七々子? どうしたんだ?」
だがそれには答えず、代わりに震える指で前方を指さす。フランチェスカと本田のふたりがそのほうを見ると、車道に赤いスポーツカーが停まっていた。
先日見たのと同じ車だ。この町ではまずお目にかかれないので目立つ。
スポーツカーが三人に気づいたのか、急発進してその場を去った。
†††
「先ほどは失礼しました」
喫茶店で七々子がカップを置いてそう言うと頭を下げた。
「いえ、お気になさらずに……あの、なにかあったのでしょうか? あの車、先日も見かけましたが……」
「実は、あの車の持ち主は五菱グループの御曹司なんです。彼女はもと五菱に務めていたんです」
本田が代わりに答えた。
「でもある日、七々子は彼に見初められて、それ以来しつこく付きまとわれていたんです……」
「そんなことが……」
ちらと七々子を見る。彼女がこくりと頷く。
「何度も何度もデートや食事に誘われてて……」
七々子がさらに俯く。
「もう耐えられなくなって、辞めたんです……でもあの人は……」
「それでもしつこく付きまとってきたということですね?」
フランチェスカの問いに七々子が「はい……」と辛そうに答える。
「警察には相談されたのですか?」
「もちろん相談しました。でも本人に警告しただけで……あとはほったらかしです」
何かあってからじゃ遅いのに……! と本田が拳を握り締め、七々子がそれを優しく包む。
「そうですか……」
途端、フランチェスカのスマホから着信音が鳴った。「失礼」と断ってから電話に出た。マザーからだ。
「はい。ええ、いま本田さんたちと一緒にいます。はい。え、明日ですか? わかりました
。では」
通話を切ってふたりへと向き直る。
「たったいまマザーからタキシードとドレスを貸してくれるところが見つかったそうです。明日、実際に着てリハーサルしてみましょう!」
フランチェスカからの朗報にふたりの顔が明るくなった。
「本当にありがとうございます!」
「ストーカー野郎……失礼。あんな人のことは忘れて一生の思い出に残る結婚式にしましょう。私にまかせてください!」
どんと胸を叩く。ふたりがまた頭を下げる。
†††
翌日、教会の礼拝堂にふたつのマネキンが運び出された。それぞれタキシードとウェディングドレスを着せられている。
「これで衣装の準備は万端ね。あとはあのふたりが来れば……」
一方、本田夫妻は夫の翔がジャンパーを羽織ってアパートの部屋から出るところだ。
「じゃ先に行ってるからな。七々子も早く来いよ」
「メイク終わったらすぐ行くから待っててね!」と洗面所から七々子の声。
ぱたんとドアが閉まり、しばらくしてからエンジン音が聞こえてきた。
口紅を塗りおえた七々子が鏡を見て出来栄えを確認し、「うん!」と頷く。
はやくバイクに乗って教会に行かなきゃ……!
身支度を終え、玄関で靴を履こうとしたとき、ドアが開いた。
「翔? どうしたの? 忘れ物?」
だが、目の前の男は夫ではなかった。その男があのストーカーの御曹司だと気づいたときにはスタンガンを当てられていた。
†††
「どうですか? 着心地は?」
フランチェスカが懺悔室の隣の部屋からタキシードに身を包んだ本田に尋ねる。
「いいですよ! まるであつらえたようにピッタリですよ!」
パリッとしたタキシードを見ながら満足そうに頷く。
「良かったです。あとは奥様ですけど……」
「後から来るはずなんですが、それにしても遅いな……」
本田がスマホを取り出して妻を呼び出すが、出ない。
「運転中だから出ないのかもしれませんね」
「そうですね……あ、そうだ」
本田がスマホを操作する。アプリを開いているようだ。
「ツーリングではぐれたときに使うアプリなんです」
ほら、とスマホをフランチェスカに見せる。画面には地図が表示され、赤い点が車道上を走っていた。
「スゴいですね!」
「彼女のスマホと連動してるんです。あれ?」
「どうしたんですか?」
「彼女、こことは反対側のほうへ走ってるんです。道を間違えるはずないのに……」
ふたりが顔を見合わせる。
「まさか! あいつにさらわれたんじゃ……!?」
本田の顔が青ざめる。
フランチェスカが礼拝堂を出たので、慌てて後を追う。
「フランチェスカさん、どこへ!?」
「本田さん、バイクのキーを!」
「え、は、はい!」
キーを受け取るとイグニッションを回し、スイッチを入れるとエンジン音がリズミカルに響いた。
シートの下からメットふたつを取り出し、ひとつを本田へほうると自分も被った。
「あたしの後ろに! ナビをお願い!」
「は、はい!」
乗ったのを確認するとアクセルを回してスタートさせた。
「しっかりつかまって! 飛ばすわよ!」
本田が慌ててフランチェスカの腰に手を回して掴まる。
マフラーから排気音を響かせてバイクが疾りだした。
「七々子さんはどこに!?」
「36号線を北上してます!」
スマホを見ながら答える。
「まずいわね! 高速へ向かうつもりだわ!」
「あ、あの、フランチェスカさんって免許持ってるん……ですか?」
「ないわ!」
「え?」
「まかせて! ゲーセンではハイスコア叩き出してるんだから!」
「え? えええええええ!?」
風を受けて本田の悲鳴が尾を引く。
†††
「…………ん、うぅん?」
「目が覚めましたか? お姫様」
スポーツカーの運転席から五菱グループの御曹司が声をかける。純白のタキシードに身を包んでいた。
「あなた……! 止めて! 止めてよ!」
「落ち着いて、七々子さん。僕たちはこれから新しい人生を歩きだそうとしてるんですよ? それをなぜ止めるのです?」
「どこへ……どこへ向かってるの?」
「もちろん教会ですよ。あなたのウェディングドレスも用意してありますから……海辺の教会で素敵な式を挙げましょう」
ハンドルを握りながら真正面を見据える。彼の目には道路がヴァージンロードに見えていることだろう。
「ふざけないで! 降ろしてよ!」
さらに抗議しようとするが、平手打ちで遮られる。
「黙れ! どうしてわからないんだよ!? あんな小さなバイク屋なんかより僕と結婚したほうが何倍も幸せなんだ!」
こめかみの血管をぴくぴくと震わせながらぶつぶつと文句を零す。
頬を押さえながら七々子は涙を流す。
助けて……!
†††
「どいてどいて!」
商店街のアーケードを通行人が慌てて左右に避け、その間をバイクが風のように通り過ぎる。
「ふ、フランチェスカさん!」
「七々子さんは!?」
「依然北上してます! やっぱり高速道路に入るつもりです!」
「OK! 近道するわよ!」
そう言うや否や、ハンドルを右に切るとアーケードを出て車道に出る。
ハンドルをまた右に切ったかと思えば今度は歩道だ。
「フランチェスカさん! ここ歩道!!」
「黙ってて! 舌噛むわよ!」
ギアチェンジペダルを踏んで加速する。目指すは公園だ。
信号を無視して横断歩道を通り抜ける。後ろで車のブレーキ音と「バカヤロー!」の声が飛び交った。
程なくして公園の入り口が見えた。幸い誰もいない。
「本田さんしっかりつかまってて!」
「は、はひぃ!」
さらにギアチェンジして加速する。
その速度に振り落とされそうになる。前方にはすべり台だ。
「フランチェスカさん! 前! 前! 道がない!」
「つかまって! 飛ぶわよ!」
「うぇえ!? 飛ぶって!?」
「“叩けよ! されば開かれん!”(マタイ伝第7章7節)」
ふたりを乗せたバイクはスロープを駆け抜け、加速したスピードによって公園のフェンスを跳び越えた。
涙目の本田が握りしめるスマホの画面には赤い点が公園の裏側へと差しかかるところだ。
「あああああああ!!」
本田の悲鳴が響き渡るなか、バイクの前輪がスポーツカーのボンネットに着地した。
突然のことに五菱の御曹司はブレーキを踏みこんだが、タイヤがスリップしてガードレールに突っ込む。
「……間に合ったわね」
フランチェスカがふぅっとひと息つく。
「七々子っ!」
バイクから降りるとすぐに助手席へ向かう。幸いケガもなく無事だった。
七々子が本田さん! と夫を抱きしめる。
運転席では御曹司がエアバッグに顔をうずめて気絶していた。
「お取り込み中悪いけど、感動の再会にひたってるヒマはないわ。じきに警察が来るわよ。すぐにバイクに乗ってこの場から逃げて!」
メットを脱いで本田へと投げ返す。
「ありがとうございます! でもフランチェスカさんは……?」
「ここはまかせて。これもシスターの役目よ」
ウインクしながらサムズアップで返す。
本田と七々子がバイクで遠ざかるのを見送ったあと、フランチェスカが「よし!」と頷く。
†††
「う、うぅ……」
どのくらい気絶していたろう? 最後に覚えているのは、いきなり目の前にバイクが降ってきたことだ。
「きみ、大丈夫かね?」
声がしたほうを見る。警察官がこちらを見ていた。その後ろではパトカーがサイレンを響かせている。
数人の警官が現場を封鎖し、検証を行っていた。さらにふたりの警官が泣きじゃくる少女をなだめているのが見えた。
「……私、いきなり知らない男に、むりやり車に連れこまれて……怖くて」
ひっくひっくと泣きながら証言するフランチェスカを警官が落ち着かせる。
「もう大丈夫だよ。お嬢ちゃん。泣かなくていいから……」
「詳しい話は署で聞こうか?」
なにが起こっているのかわからない御曹司はただ呆然とするだけだ。わかっているのは自分が連れ込んだ女とは別の少女が自作自演で自分をハメようとしていることだけだ。
「ふ、ふざけんなよ! なに人に罪を着せようとしてんだよ!」
途端、わっとフランチェスカが顔を手で覆って泣きわめきだした。
「ひどい! こんな乱暴までして……!」と修道服の袖を見せる。びりびりと引き裂かれていた。むろん自分で破いたのだ。
「誘拐罪に加えて暴行罪か。10年は固いな」
「ち、違う! 僕じゃない! あの女がウソを……!」
「こんな可憐なシスターが嘘をつくわけがないだろう! 観念しろ!」
「だから僕じゃないんだよぉおお!」
パトカーに押し込まれ、なおも喚く御曹司が窓を見ると、フランチェスカが悪魔的な笑みであっかんべーしているのが目に入った。
「この悪魔ァアアア!!」
そのままパトカーはサイレンを響かせて走り去った。
†††
「汝、ここにいる新婦、七々子を健やかなるときも、病めるときも、富めるときも貧しいときも、妻として愛し、敬い、いつくしむことを誓いますか?」
教会の礼拝堂にてフランチェスカが聖書を手にして問う。
「誓います」
新郎の固い決意にフランチェスカが頷き、七々子にも誓いを問い、新婦からも「誓います」と返ってきた。
「よろしい。これでお二人を夫婦と認めます。では誓いのキスを」
本田が七々子の純白のヴェールを上にあげる。七々子が嬉し涙を流していた。
ふたりが顔を近づけると唇が触れる。長椅子から親族の拍手が巻き起こった。
本田と七々子の若夫婦がフランチェスカに向けてウインクしたので、彼女もウインクで返した。
「結婚おめでとう!」
スペインの結婚事情
「俺と会う前にこんなことがあったんすね……」
「結果的にはオーライだから別にいいじゃない?」
「まあフランチェスカさんらしいっちゃらしいっすけど……」
「そういえば日本ってご祝儀でお金渡すひと多いわね。あたしの国じゃプレゼント渡すのよ。もちろんお金を渡すひともいるけど」
「日本とは違いますね」
「そうね。あとはダンスパーティーもあるわ」
「情熱の国らしいっすね」
「あと宴会では親族だけじゃなくて、全然知らないひとがご飯食べたりワイン飲んだりすることもあるわね」
「…………」