EXTRA 『ある日のマザー』
ある日の午後。窓からまだ明るい日差しが差す、聖ミカエル教会本部の書斎にてマザーは書類に目を通す。
マザー含めシスターや牧師の仕事は信者に聖書の教えを説くだけではない。会計や広報、果ては新聞や雑誌に投稿を依頼されることもあるのだ。
マザーは区内の教会からの活動報告を丹念に読み、うんうんとうなずく。
「特に問題はないようですね」
次の報告書を手に取ろうとしたとき、ノックの音がしたので「はい、どうぞ」と応える。
「失礼します」と入ってきたのは年の若いシスターだ。
「神父様がお呼びです。会議室へ来るようにとのことです」
「神父様が? わかりました。すぐに行きます」
そう言うとマザーは報告書をしまい、執務室から出た。
会議室の扉をノックすると、「どうぞ」と返事が返ってきた。
「失礼します」と扉を開けるとそこには神父服に身を包んだ神父と、左右に別の衣服に身を包んだ男が同席していた。いずれも初めて見る顔だ。
「どうぞ、おかけください。マザー」
神父が目の前の椅子に腰かけるよう、促したので、マザーが席に着く。
「お忙しいところ、申し訳ありません。二、三お聞きしたいことがありまして……ああ、このおふたりは教会委員会から来られました」
「よろしく」と委員会の牧師ふたりが頭を下げる。
神父が老眼鏡をかけて手元の報告書に目を落とす。
「それで……あなたが書かれた聖ミカエル教会の活動報告についてなのですが……」
こほんと咳払いをひとつ。
「その、シスターフランチェスカの振る舞いは、なんと言いますか……若さゆえというか、天真爛漫と言いますか……」
神父の歯切れの悪い物言いにマザーが「すみません」と頭を下げた。
「ああ、いえいえ。今日呼びましたのはそのことではなく、なぜシスターフランチェスカをあの古い教会に置いておくのかということでして……」
ちらりと隣の委員会に目をやる。
「あなたもご存知のように、シスターフランチェスカはかの聖フランシスコ・ザビエルの末裔です。彼女にはもっと相応しい場所があるはず」
「都内にはザビエルにゆかりのある教会もあります。彼女にはあのような小さな教会でなく、歴史ある教会にて職務につかせるべきです」
別の牧師が引き継ぐ。
「ということでして、その、シスターフランチェスカには特別な待遇をはかるべきではないかと……」
神父がハンカチで汗を拭う。
それに、我が本部は本国の教会から少なからず援助を受けていますので……とぼそぼそ声で言う。
「……おっしゃりたいことはよく分かりました」とマザーがうなずく。
「確かにあの子は見習いとは言え、ザビエルの名を冠するシスターとなるべきひとです。普段の振る舞いは致し方ないとして……」
でも、と続ける。
「私は、あの子は歴史ある立派な教会で務めるよりも地域に密着している小さな教会のほうが相応しいと考えています。あの子が初めてここに来たときのことをよく覚えています」
神学校を出たフランチェスカはスペインからたったひとりで日本にやってきたのだ。
その時の彼女の顔は、反抗的で、どこか寂しげだった。
「あの教会に務めてから、友だちも増えたようです。それに、前と比べて明るくなりましたわ」
マザーの答えに三人が互いを見合わせる。
「し、しかし……」
神父が話そうとするのをマザーが遮る。
「私は聖職者で、マザーであり、そして彼女の母親代わりでもあります。母親は我が子に優しくするだけでなく、時には厳しくせねばなりません。優しいだけでは母親は務まりませんわ」
ですから、としっかりと目の前の三人を見つめる。
「あの子はあの教会で務めさせます。私が見守ります」
そして手を組み、聖書の一節を唱える。
「“女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか”(イザヤ書第49章15節)」
しばしの沈黙があった。やがて神父がふぅっと溜息をつく。
「あなたには敵いませんよ。マザー」
左右の牧師を交互に見、「私たちの負けですよ」と茶目っ気に言う。
委員会ふたりが困惑するなか、マザーがにこりと微笑む。その表情はさながら聖母のようであった。
†††
教会本部にて仕事を終えたマザーはフランチェスカのいる聖ミカエル教会へと歩く。
壁は色あせて年季が入り、ヒビがあるが、マザーはこの小さな教会が好きだ。
扉に手をかけて開ける。すると大音量の音楽が鼓膜を震わせた。
何事かと礼拝堂を見ると、祭壇の前でフランチェスカがスピーカーから流れる音に合わせてダンスを踊っていた。
「フランチェスカァアアア――――!!」
大音量に負けない怒声で礼拝堂がびりびりと震えた。