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第59話 『ドン・サンチェス登場』後編


 ドン・サンチェスの愛人だというエステルとともに部屋を出ると赤い絨毯が敷き詰められた廊下へと出た。

 白塗りの壁が続き、途中途中で豪奢な調度品が置かれ、油絵の絵画が壁にかかっている。

 贅沢な調度品に目を奪われていると、途端エステルが立ち止まったので、安藤も慌てて止まる。


「ここよ」


 そう言って目の前の両開きのドアを開ける。

 そこは執務室らしく、向かい合うように設置された革張りのソファーには黒のスーツに身を包んだ、一目でその筋の者だとわかる男が座っており、さらにその奥――――マホガニーの執務机にこれまた革張りのチェアーに座している者がひとり。

 だが、こちらには背を向けているので顔は見えない。

 するとチェアーがくるりと回転し、容貌が露わになった。

 男――ドン・サンチェスは卵型の頭にボルサリーノ帽を乗せ、左右ともぴんと上にはねた口髭を蓄えていた。


「そのガキか? お前のあとを()けてたってのは?」

「へぇっ! 間違いないですぜ。なにしろこのガキからバッグをかっぱらったんでさぁ」


 ドン・サンチェスは安藤からバッグを盗った小男とバスク語で交わし、次に安藤を見てふんと興味なさそうに鼻を鳴らす。


日本人(ハポニアーラ)か? ま、そんなことはどうでもいい。バスク語はわかるか? なにしにバスクに来たんだ?」

「この子、人を探しに来たのよ。スペイン語はわかるみたい」とエステルが代わりに答えると、「おめぇは黙ってろ!」とぴしゃりと遮る。

 ドン・サンチェスは机の上の小箱に手を伸ばし、そこから葉巻を取り出して吸い口を噛みちぎるとぺっと吐き捨てた。

 そこへ傍らに立つ子分がすかさずライターで火を。

 何度かすぱっすぱっと吸い、やがて煙を上に吐き出した。


「俺は生粋のバスク人だ。だからバスク語しか話さねぇ。おい、そこのお前」


 葉巻で小男を指し、「通訳しろ」と命令する。


「小僧、どうやらバスクは初めてのようだから教えてやる。バスクはバスクだ。スペインとは違う。その壁を見ろ」


 安藤がそのほうを見ると壁には赤地に緑色の斜め十字の上に白い十字の旗がかかっていた。いわゆるイクリニャと呼ばれるバスクの旗だ。


「俺たちはスペインからバスクの独立を目指している。いわば革命家だ」


 ふーっと満足そうに紫煙を吐き出し、背もたれにもたれるとぎしりと軋んだ。


「さて、と。どこまで話したっけ? そうそう人を探していると言ったな。それは誰なんだ?」


 周りの子分たちから刺さる視線やドンの威圧感に気圧されそうになるが、堪える。


「フランチェスカ・ザビエルです。彼女を探しに来ました」

 

 ザビエルの名前が出た途端、周りがざわめいた。ザビエルの名はここでも知られているらしい。


「ザビエルだと? お前、ザビエルとなにかゆかりでもあるのか」


 うろたえながらも通訳する小男の話を聞き、安藤はこくりと頷く。


「俺は彼女の友人です」


 そうきっぱりと断言する安藤の言葉にドン・サンチェスは立ち上がり、帽子を取って胸に当てる。


「これはこれは……(プリンセーサ)を救う騎士(サルドゥナ)であらせられましたか」


 大仰な身振りで頭を下げる。どっと周りからあざ笑うかのような笑い声。

 

「俺は本気です! 彼女の居場所を知っていたら教えてください!」


 すると頭を上げたドンは帽子を被り直し、ふたたび葉巻を咥える。


「お前、なんで彼女のためにそこまでするんだ? わざわざこんなところまで来るなんてよほどのことだぞ」

「それは……」


 言いにくそうにする安藤の様子を見て、ふんと鼻を鳴らす。


「恋だな。お前は彼女に惚れてるんだ」


 机から離れ、高級スーツの上からでもわかるほどでっぷりと肥えた腹を揺すりながら歩き、ずいっと安藤の目前へと。

 そのせいでドンのただでさえ大きな顔がさらに大きく見える。


「俺の親父は腕の良い自動車の修理工でな。町のみんなから頼りにされてたんだ。俺はそんな親父の背中を見上げながら、こう思ったもんさ。いつか、親父のような男になりたいと」


 とつとつと語るドンは遠くを見るかのような目をし、紫煙をくゆらせるが、途端その目が険しくなった。


「だがある日、経営が苦しくなり、借金を返すために親父は町のみなから金を借りようとした。そんな親父をみなは手のひらを返すようにして見放したんだ」


 苦々しそうに言い、悪態をつく。


「その後、酒浸りになった親父は交通事故であっけなくおっ死んじまった。その時、俺はすべてを悟った。この世は力がすべて、金がすべてだとな」


 ぬぅっと顔を近づける。


「恋だと? 愛だと? そんなものはまやかしだ! 夢を見るのも大概にしろ!」

 

 ふーっと煙を顔に吹きかけたので、安藤が咳き込む。


「だが、俺も鬼じゃねぇ。その度胸に免じていいことを教えてやる」

「場所を教えてくれるんですか!?」


 ごほっとむせながら。


「ここを出て2ブロック先を行ったところに本屋がある」


 安藤はごくりと唾を飲み込み、ドンの言葉を待つ。


「そこで騎士がお姫様を救う絵本でも買うんだな」


 ふたたびどっと周囲から嘲るような笑い声。

 エステルが「ひどいわ!」と抗議するも下卑た笑いでかき消される。


「話は終わりだ。さっさと連れてけ!」


 ドンが部下に命じると、すぐさま安藤の目の前が真っ暗になった。

 後ろから目隠しをされた安藤はそのまま引きずられるように部屋から連れ去られる。


「あんたは最低よ!」


 エステルがドンに向かって抗議するが、後ろから部下に止められる。


「黙ってろと言ったぞ!」


 葉巻を咥え、傍らに立つ部下をくいくいと指で呼ぶとぼそぼそと耳打ちする。

 部下が「へい」と頷き、「おい、てめぇら! すぐにかかれ!」と号令をかけるとすぐに部屋を出た。

 部屋にはドンとその愛人二人だけになり、エステルはきっと睨みつける。

 だが、ドンはどこ吹く風とでも言うように新しい葉巻に火を付け、美味そうに煙を吹かす。


「俺はあのガキのような甘っちょろい奴が大嫌いだ。俺の街で勝手はさせねぇ」


 †††


「うっ! ッう……!」


 目隠しを外され、次に車から放り出された安藤は地面に転がった。


「さっさとおウチに帰んな! これを返してやるよ!」

 

 そう言って安藤の胸になにかを投げつける。盗られたバッグだ。中身を確認するが、入っていたのはガイドブックだけで肝心の旅費はない。


「それとこれはドンからせめてもの情けだ」


 目の前に50ユーロ札が放られる。

 

 「あばよ!」と荒々しくドアが閉められると、部下たちを乗せた車はエンジン音を響かせ、その場を走り去った。

 もうもうと立ち込める排気ガスで安藤は咳き込む。


「ッ……! ちくしょう!」


 バッグを抱え、ユーロ札をポケットにしまう。(しゃく)だが、なくした食材の買い出しに必要だ。

 埃を払いながら立ちあがる。幸いそこはマルガのバルの近くだ。安藤は痛みに呻きながらもバル目指して歩く。

 

 はやくバルに戻らなきゃ……。

 

「アンジロー! どうしたんだ?」


 後ろからそう声をかけたのは元コックのホームレス、エンリケだ。

 相変わらず薄汚れた上着のポケットからくすねてきた食材をのぞかせながらひょこひょこと近づいてくる。

 「ひどい有様じゃねぇか!」と服に付いた埃を払い、肩を貸してやる。


「アマ・マルガのバルまで連れてってやる。話はそこで聞くぞ」


 †††


「アンジロー! いったいどうしたんだい!? ってエンリケまでいるじゃないか!」


 バルに着くなりマルガがカウンターから身を乗り出すように言う。


「マルガさんすみません。実は……」


 事のあらましを聞いたマルガはみるみると顔をこわばらせた。


「ドン・サンチェスだって!? あんた、ドンに会ったのかい?」

 

 ドン・サンチェスの名前が出るなり、バルの中がざわめいた。

 常連客はもとより、ぺぺやエンリケでさえも驚きを隠せない。


「よく無事で戻ったね……なにかされなかったかい?」

「いえ特には……フランチェスカさんの居場所を聞こうとしたんですが、教えてくれませんでした」

「おいおい。おめぇ、そのお嬢ちゃんのことをドンに聞いたのか?」


 エンリケがずいと前に。安藤がそうだと答えると「まずいぞ」と漏らす。


「あの、なにかまずいことでも?」

「いいか、ドン・サンチェスはここサン・セバスチャンを支配する男なんだ。ピンチョスの味付けが気に入らないということで潰されたバルはふたつやみっつどころじゃねぇ」


 安藤はマルガのほうを見るが、彼女もただならぬ様子だ。こけおどしや冗談などではないらしい。


「ドンは機嫌を損ねさせたやつには容赦しねぇんだ」



 ――――その頃、ドン・サンチェスの執務室では部下のひとりが報告をするところであった。


「命令通り、サン・セバスチャンのバルや教会に箝口令(かんこうれい)を敷きました」

「ご苦労。下がっていいぞ」

 

 はっと部下が答え、失礼しますと部屋を出る。

 ぱたりとドアが閉じられ、ドンは窓の前に立つ。そこからはサン・セバスチャンが見下ろせた。

 葉巻に火を付け、何度か吸ってからふーっと煙を吐く。


「ここでは俺がすべてだ。俺の庭で勝手な真似はさせねぇ」


 そう言って口角を上げて醜悪な笑みを浮かべる。そんな彼をエステルはソファーに腰掛けながらきっと睨みつける。



 タイムリミットの誓願式まであと6日――――。


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