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第44話 『Where have all the flowers gone?』⑤


 翌朝。シティホテルから車で三十分ほど走らせると、その墓地はある。

 区画内でこつこつと革靴の足音が響き、やがてひとつの墓石の前でぴたりと止まる。

 まず線香が立てられ、次に生花が供えられると墓参者(ぼさんしゃ)は手を合わせて合掌を。


「それはお前の知り合いか?」


 後ろからスータンと呼ばれる装いに身を包んだ若き牧師――フリアンがそう声をかけた。


「そうよ。あたしが日本に来て、はじめてできた友だち」


 故人の冥福を祈り終えたフランチェスカが目を開いて目の前の墓石に刻まれた名前を見る。


『上月すみれ』


 フランチェスカが日本に来て最初の友人――駅前でストリートミュージシャンをしていた彼女と出会い、それから一緒に遊んだりして楽しい時を過ごした。

 それから彼女は長年の夢だった世界一周に出発し、途中訪れた国の暴動に巻き込まれて命を落とした。

 フランチェスカが彼女との思い出に馳せていると、そばでフリアンが片膝をついた。

 見ると、胸の前で手を組んで祈りを捧げている。

 しばしの黙祷の後、膝に付いた埃を払いながら立つ。


「……祈ってくれてありがと」

「妹が世話になったからな……さ、行くぞ」

「アンジローにもかなりお世話になってるわよ」


 フランチェスカも立ち上がって、名残惜しそうにしながらも墓石を後にする。


「アンジロー? 一昨日礼拝堂でお前と一緒だった男か?」

「そうよ」

「そうなのか?」

「うん。ほら早く次の場所に行くわよ」


 †††


 商店街のアーケードではまず八百屋がシャッターを開けて、商品を陳列し始める。

 その次には店先の掃き掃除を終えた喫茶店のマスターが扉にかかった『CLOSE』のプレートを『OPEN』へくるりと変えてから店の中へと。

 同じく掃き掃除を終えたラーメン屋のおばさんも暖簾をかけて開店準備をしようとした時――


「おはようございます。おばさん」


 いきなり後ろから聞き覚えのある声がしたので振り向くと、そこには修道服(スカプラリオ)姿のフランチェスカが。


「おはようフラちゃん。めずらしいね、こんな早い時間に来るなんて」

「これ、お返しします」


 そう言って差し出したのは夏祭りで着た浴衣だ。


「あらありがとうね。返すのはいつでも構わなかったのに」と丁寧に畳まれたそれを受け取る。


「どうかしたの? フラちゃん。いつもと様子が違うけど……」

 

 ラーメン屋のおばさんの視線はフランチェスカの後ろに立つ三人の男に注がれていた。いずれも修道服を着ている。

 言うまでもなくフリアンと従者の修道士だ。


「おばさん、あのね……あたし」


 きゅっと奥歯を噛みしめ、なんとか言葉を紡ぎだす。


「スペインに、帰るの……」

「え、フラちゃん、おうちに帰っちゃうのかい?」

「うん……」

 

 こくりと頷く。そして――――


「今まで、お世話になりました」


 そう言いながら深々と頭を下げる。


「そう……でも、また日本に来るんでしょ?」

「それは……」


 先の言葉が出てこない。喉の奥に引っかかってしまったかのように。


「わからないの……戻れたとしても、いつになるか……」

「そうなの……あ、そうだ」

 

 ちょっと待っててねとおばさんが店の中に入ったかと思えばすぐに出てきた。

 「はいこれ」と差し出したのはお菓子だ。

 

「え、でも」

「いいのよ。持っていって! フラちゃんがいつもうちのラーメン食べに来てくれてるし……これは餞別(せんべつ)


 持っていきなさいと菓子の入った袋を渡された。


「あ、ありがとうございます……」

「もし、また日本に帰ってきたらラーメン食べに来なさいよ。チャーシューおまけしとくから」

 

 おばさんに見送られながら、フランチェスカはアーケードを歩き、お世話になった店へ順に回っていき、店を出る度に手荷物が増えていった。


 †††


 馴染みの店からどっさりと餞別を受け取った見習いシスターはフリアンたちと車に乗り込む。


「もういいか?」

「ダメ。まだ行くところがあるの。その角を曲がってまっすぐ行って」


 運転手の修道士に道順を指示する妹にフリアンはため息をつく。

 昨夜、ドアをノックする音がしたので、開けたらフランチェスカが。

 どうしたのかと聞くと、空港に行く前にお世話になった人に礼を言いたいのだそうな。

 そこまではわかる。が、いくらなんでもこれは多すぎるのではないかと兄は大量の餞別を見やる。

 

「……言っておくが、無理言ってチェックアウトを早めにしてもらったんだからな」

「そんなのあたしにはカンケーないし!」

「ぐぬ……っ」

 

 妹のわがままに付き合わされるこっちの身にもなってみろと言いたいが、かろうじて抑える。

 途端、車が停まった。目的地は思いのほか近くだったようだ。

 

「おい、ここは?」


 だが、フランチェスカはそれには答えずに車から降りる。フリアンが慌てて後を追い、残りのふたりも降りようとするが、フリアンが「ここで待て」と命じる。

 彼女が向かう先には赤い鳥居が見えた。


「ここは……(テンプロ)か?」

神社(サンチュアリオ)よ」


 兄のほうを見ずにフランチェスカは境内のほうへと歩いていく。

 この時間では参拝客がいないのか、境内には箒を持って掃き掃除をする巫女がひとり――舞だ。

 足音に気づいて顔を上げると、そこにはよく知った顔が見えたので舞は顔をしかめる。


「ハーイ、まいまい」

「めずらしいわね。あんたがひとりでここに来るなんて……あと、まいまい言うな。っていうか、ライン見たんなら返信くらいしなさいよ」

「ん、ごめん……直接会って言いたかったから……」

 

 フランチェスカが正直に謝ったので、舞は拍子抜けした。

 そこへ兄がフランチェスカのそばへ駆けつける。


「この子は誰なんだ?」

「あたしのライバルで、同業者よ。いわゆる腐れ縁ってヤツ」


 当然スペイン語で交わされているので、話の内容は舞には知る由もない。


「ちょっと! ふたりでなに話してんのよ? というかその人誰なのよ?」

「あたしのクソ兄貴、フリアンよ」


 当然、日本語のわからないフリアンには妹が自分をこきおろしていることは知る由もない。

 

「あんたのお兄さんなの?」

「うん」

「…………似てないわね」


 そう言いつつ、軽く会釈する。フリアンもそれに倣って軽く頭を下げる。

 「それで……帰るの? スペインに」とライバルのほうを見据える。

 

「うん……お別れを言いにきたの」

「…………戻ってくるんでしょ? そのうちに、さ」

「それは……わかんない。けど……」

「けど?」

「アンジローを、よろしくね……」

「は? なによそれ!?」


 だが、それには答えずに踵を返そうとしたので、舞が肩を掴んで止める。


「ちょっと! このまま帰るつもり!?」

「……そうよ」

「ふざけんじゃないわよ! あんたとの勝負はまだついてないんだからね!」

「勝負は……あんたの勝ちでいいわよ。よかったじゃない。最後に勝てて……」


 ぱしっと境内に乾いた音。


 フランチェスカが叩かれた頬を押さえ、もう片方の手で、抗議しようとする兄を押しとどめる。

 

「マジでふざけんじゃないわよ……! 敵に塩を送ったつもり?」


 ふざけんな! と響く声で何事かと神社の神主でもある祖父が社務所から出てきた。


「いったいどうしたんじゃ!? 大声を出しおって!」

「じーちゃん塩もってきて! 外に撒くの!」

 

 舞が祖父へ声を荒げるなか、フランチェスカはくるりと境内を後にして、フリアンが彼女の肩に手を回す。


「ちょっと、逃げるつもり? 卑怯よ! 意気地なし! 二度と日本に戻ってくんじゃないわよ!」


 ライバルであり友人でもある見習いシスターの背中が見えなくなるまで、涙目の舞はありったけの罵詈雑言を浴びせる。

 車に戻ったフランチェスカは頬に手を当てたまま黙ったまま窓の外を見つめていた。

 フリアンは窓に映った妹の憂いを帯びた顔を見つめ、少ししてから声をかけた。

 

「もういいか?」

「…………うん。あ、まって! 最後にもうひとつだけ」


 そう言うなりフランチェスカは運転手に指示を飛ばして、車を直進させた。


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