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第42話 『SKYFALL』⑬


 翌日。見習いシスターがフランス語の代理講師を務める学園にてチャイムが鳴ったので、フランチェスカはテキストをぱたりと閉じる。


「では、今日はここまで。各自予習しておいてね」


 生徒たちが全員教室を出ると、フランチェスカはふぅとひと息つく。

 その時、コンコンとノックの音が。

 音のしたほうを見ると、理事長のナディアが立っていた。


「いよいよ明日が最後の授業ですね。先ほど病院から電話がありまして、マルタ先生は明日退院出来そうだとのことです」

「そうですか。それは吉報です」

「あなたは立派に彼女の代わりを務めてくれましたわ。明日もよろしくお願いしますね」

「ええ、最後まで立派に務めてみせます」

 

 よろしいと踵を返す。

 コツコツと足音が遠ざかってから、フランチェスカはふたたび溜息をつく。


 これで本当にいいのかしら……?


 テキストをトントンと揃えて教室を出る。廊下は昼過ぎの太陽の光が差し込んでいた。


 †††


「いよいよ明日が最終日ですね」

 

 送り迎えの運転手、カリムがハンドルを握りながら後部座席の見習いシスターに言う。


「この送迎も明日で終わりですが、明後日の帰国日では空港へ送りますよ」

「いいの? それならありがたいけど」

「構いませんよ。勤務時間外ですがね」

 

 バックミラーでカリムが茶目っ気に笑う。


「寂しくなりますね……」

「そうね。あたし、この街がやっと好きになってきたところだったのに……」


 窓の外では物乞いと物売りが過ぎ去っていく。明後日になればこの光景を見ることもなくなる。


「心残りは、あの子だけ……」


 ガラスに映った見習いシスターがぽつりと呟き、カリムが「なにかおっしゃいましたか?」の問いにふるふると首を振る。


「ううん、なんでもない……」


 †††


 それから五分ほどでジャマ・エル・フナ広場の入り口付近に到着し、カリムに見送られながらフランチェスカはリヤドへ。

 相変わらず物売りのしつこい客引きをかわしてスークを通り抜け、リヤドの門までたどり着く。


「ただいま」

 

 帰宅を告げると、ファティマおばさんがふくよかな胸を揺らしてやってきた。


「お帰り。あんたに客よ」

「あたしに?」

「中庭で待ってるわ」と指さす。


 見ると、そこには中央に配置されたテーブルと、誰かが椅子に腰かけていた。

 

「アルじゃない! どうして昨日来なかったの? ずっと待ってたのよ」

 

 教え子のもとへ近づいていく。

 だが、いつも明るい顔をしている彼の顔は暗かった。


「ごめんなさい……先生(ムダリサ)

「いったいどうしたの? どこか具合が悪いの?」


 アルはぶんぶんと首を振る。


「ごめん。おれ、もう先生とは会えない……おじさん(ババ)がもう先生には会うなって……おれ、最後にもう一度先生に会いたかったから、抜けだしてきたんだ」

「どうして? あと少しで九九を全部覚えられるのよ?」

 

 両肩に手を置いて真意を問おうとするが、それでもアルはぶんぶんと首を振るだけだ。


「だって、おれ頭悪いし……勉強してもずっとこの暮らしのままだから、仕事をしろって……」

「そんなことないわよ! 勉強はそのためだけにあるんじゃないわ!」

「無理だよ。ババの言うことは絶対なんだし……」

 

 アルの両目からぽろぽろと大粒の涙が零れ、ごしごしと手でぬぐう。


「…………ひとつだけ聞かせて」

「なに?」

「あんたは勉強したいの? したくないの?」


 そう問われたアルは(うつむ)いた。ぽつぽつとではあるが、なにかを呟いている。


「なに? よく聞こえないわ」

「…………です。べんきょう、したい、です……」


 やっとアルの本音を聞き出せた。それで十分だ。

 ムダリサがこくりと頷く。


「OK、わかったわ。あたしがおじさんにかけ合ってみる」

「でも……!」


 アルの目の前に人さし指がぴっと立てられる。


「あんたはここにいて。マリクの面倒見ててね」


 そしてくるりと踵を返して、リヤドの外へと出る。

 その後ろ姿を見送るアルの足元でマリクがにゃあと鳴く。


 †††


 アルの育ての親であるババ・ムスタファの家はメディナのほうにある。

 一昨日訪問したので、家の場所はすぐわかった。門をがんがんと叩く。

 だが、反応はない。

 ドアノブの輪っかを引くと、あっさりと開いた。


「出かけてるのかしら? 無用心ね……」

 

 玄関から廊下へと進む。だが、人の気配は感じられない。

 

 たしか、この奥に応接間があったはず……。


 記憶を頼りにして奥へと進むとはたしてその部屋はあった。しかし、そこももぬけの殻だ。

 隣を見てみるとドアがある。そこもノックしてみるが、これも反応はない。

 ドアノブを回そうとしたとき、その下に頑丈な南京錠が目に入った。


 ずいぶん厳重ね……この中になにがあるの……?


 左右を見回してから、ふたたび錠に目を落とす。そして修道服(スカプラリオ)のポケットからヘアピンを取りだす。

 穴に差し込んで繊細な手つきでかちゃかちゃ言わせる。神学校で門限を破るたびに鍛えられた錠破りの腕前はやがてピンと解錠の音を立てた。


「ビンゴ!」

 

 南京錠を外してドアノブをゆっくりと回して、隙間からそっと様子をうかがう。

 見たところ誰もいないようだ。中に入るとそこは書斎のようだった。

 書棚にはそれぞれ厚みの異なるファイルが収められており、奥には机が。

 フランチェスカが近寄ってみると、机にはいずれも英語で書かれている書類が置かれている。

 「なにかしら?」と一枚の書類を手に取る。

 そこには名前の下にデータが列記されていた。


 Age(年齢):12

 Sex(性別):Female(女性)

 Health(健康状態):Good(良好)


「なにこれ……」


 一番下のRemarks(備考欄)を読む。


『臓器に疾患等は見られず。高額での取引の見込みあり――』

  

 裏側になにかをクリップで留めてあるので、裏返してみる。

 一枚の顔写真だ。だが、フランチェスカにはその顔に見覚えがあった。

 ファイルを持って応接間へと戻る。

 目指すは壁に掛かった写真だ。その中から探していくと、目当ての写真が見つかった。

 

「同じ子だわ……」

 

 他のファイルもめくって顔写真と壁の写真を比べてみる。やはりどれも同一人物の顔がそこにはあった。


「やっぱりこれは……」

「なにをしている?」


 不意に背後からかけられた声で振り向く。入口を塞ぐようにして立つのはババ・ムスタファだ。


「誰かと思えば、先日のシスターとは。不法侵入と窃盗はこの国では重罪ですよ?」

「あんたこそ、本物の悪党よ! あんたはこの子たちを育てたんじゃない! 人身売買で売り飛ばしたわね!」


 ほぅとムスタファは動揺することなく、冷静そのものだ。


「見かけよりは頭が良いようだな。シスターにするには惜しい」

「アルも売り飛ばす気でしょ!? このファイルは証拠として警察に出すわ」


 だが、これも動じる気配はなく、ムスタファは溜息をつくだけだ。

 まるでなぜこんな簡単な問題がわからないのかとでも言うように。


「ミスフランチェスカ、私がなぜ二年で大学を辞めたか、わかるかね?」


 入口から離れて見習いシスターに歩み寄る。


「大学では経済学と経営学を学んだ。だが、私は気づいたのだよ。光の当たる世界より、影の世界のほうがもっと効率よく儲かるとね」

「来ないで! あんたのしてることは犯罪よ!」


 フランチェスカはファイルをしっかり抱えたまま、きっとムスタファを睨みつける。


「私がこの世界で学んだことは3つ。ひとつめは、この世界は闇が深ければ深いほど、莫大な利益を生み出すこと」


 ずいと前に一歩進み出ると、彼女も一歩後ずさる。


「ふたつめはこの国は毎年、病人と孤児が絶えずに生み出される。わかるかね? これほどまでに供給と需要がかみ合った仕事はないのだよ」


 にぃっと醜悪な笑みを浮かべたときは、見習いシスターはついに壁際まで追い詰められていた。


「そしてみっつめは……」

「聞きたくもないわ!」


 テーブルの上のポットを蹴り上げると、顔面に命中し、ムスタファが額を押さえてうめき声をあげる。

 その隙にフランチェスカは部屋を出、玄関へと向かう――――


 扉に手をかけようと、背中に電流が走ったと思ったときにはその場に倒れ込んでいた。


「あ……お……」


 高圧の電流を流され、痺れた体でなんとか顔を上げる。

 そこにはスタンガンを手にした痩身(そうしん)の男と、もうひとり小太りの男が立っていた。


「やれやれ、人の話は最後まで聞くものだよ。ミスフランチェスカ」


 廊下から額を押さえながらムスタファが歩いてくるのが見える。


「みっつめは、頼りになる部下を持つことさ。特にこの世界ではね」


 ぽんとスタンガンを持った部下の肩に手を置く。


「ボス、どうしますか?」と小太りの男。

「いつものように処理を?」と痩身の男。


「まぁ待て。処理はいつでも出来る。それよりアルの居場所を吐かせるんだ。商品がなくては商売が出来ない」


 わかりましたとふたりがフランチェスカを立たせる。

 ふらつく足でなんとか立つフランチェスカがムスタファを睨みつける。


「あんたは……最低よ。クズ野郎だわ」


 ムスタファがふるふると首を振り、フランチェスカの頬に手を当てる。


「残念だ。実に残念だ。白人は高く売れるのに……」


 くいと首をそらして「向こうへ連れて行け」と指示を出すと、こくりと部下たちが頷く。

 廊下を歩こうとしたとき、ムスタファが思いだしたように付け加える。


「わざわざ来訪してくれたんだ。たっぷりともてなしてやれ」


 †††


 リヤドでは中庭でアルがマリクと遊んでいた。顎の下を撫でてやると、気持ちよさそうにごろごろと鳴く。


「先生、おそいな……」

「きっと話し合いが長引いているのよ」

「そうかな……」

 

 アルがすとんと椅子に腰かけると、膝の上にマリクがぴょんと乗っかってきた。

 構ってほしそうににゃーと鳴いている。


「あの子なら大丈夫さ。アッラーが見守ってくださるからね」

「うん……」


 その時、アザーンが流れてきた。礼拝の時間だ。


「さ、お祈りに行こうか。あんたとあの子のために祈ろう」

 

 ファティマおばさんがアルの手を取ってリヤドを出、モスクへと歩きだす。


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