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第42話 『SKYFALL』⑧


 フランチェスカがフランス語講師の代理としてモロッコに来てからすでに四日が経っていた。


「オラ! 調子はどう? アル」

「あ、おねえちゃん!」


 広場でいつものように露店を開いていたアルという少年の前にフランチェスカが声をかける。彼女の頭には麦わら帽子が。


「どう? この帽子似合ってる?」

「うん。すごくにあう」とにかっと笑う。

「ありがと。ね、ここ座っていい?」とシートの空いているスペースを指さす。

 「いいよ!」と快く承諾を得たので、とすんと腰を下ろす。

 

「あー疲れた! あたしが学校でフランス語教えてることは言ったわね? ホント、レベル高いから教えるのもひと苦労よ」

「おねえちゃんはすごいね。おれ、よみがきできないから……」

「読み書き出来なくてもちゃんと仕事してるじゃない。立派なことよ」

「うん……」

 

 気弱になるアルの隣で見習いシスターが修道服(スカプラリオ)のポケットからガムを取りだすと、口に放り込む。

 クチャクチャとしばらく噛んでから、風船のように膨らます。

 アルが見ていることに気づいてガムを差し出す。

 

「いる?」

「でも、おねえちゃんのだから……」

「あたしがいいって言ってるの」

「じ、じゃあひとつだけ」


 遠慮がちにガムを受け取って口に入れる。そしてフランチェスカがやってみせたのと同じように膨らまそうとするが、なかなかうまくいかない。


「ヘタねぇ。舌を使って伸ばして膨らますの。歯で押さえて、そこから空気を吹き込むかんじよ」

 

 言われたとおりにやってみる。なかなか膨らまなかったが、五度目でようやく膨らんだ。

 だが、力を入れすぎたのか、ぱちんと割れた。

 「やればできるじゃん」と褒めると、気恥ずかしそうに「へへ」と鼻の下をこする。

 そこでフランチェスカが気になったことを尋ねてみる。


「ねぇ、アルは学校に行かないの? というか、お父さんとお母さんはなにしてるの?」

「おれ、とうちゃんもかあちゃんもいないよ。おじさん(ババ)がこのしごとくれた。だから、がっこういかなくていいって」

 

 聞けば両親の顔は覚えておらず、気づけば今の育ての親である男に拾われ、それ以来、アルはババと呼んでいるそうな。

 

「そう……でも勉強はするべきよ。読み書き出来るようになったら、もっと人生が楽しくなるわよ」

 

 するとアルがぶんぶんと首を振る。

 

「そんなじかんない。しごとしないと、ババにおこられる」

「そっか……」

 

 ふたりの間に気まずい沈黙が流れる。その沈黙を破ったのはアザーンだった。

 時間からして三回目だろう。自分の影が身長と同じになったときに流れるのだ。


「おれ、れいはいいかないと」

「行ってらっしゃい。あたしが店番するから」


 アルが礼を言ってモスクへと走るのを見習いシスターが見送る。

 礼拝は15分ほどで終わるが、行き帰りも含めると20分以上はかかるだろう。その間はフランチェスカひとりだけだ。

 シートにはあまり売れなかったか、商品がかなり残っている。


 この商品が売れないと、勉強出来ないのよね……。


 よし、とフランチェスカが意を決すると通りすがりの観光客に声をかけ始めた。



 二十分後。

 礼拝を終えたアルがたたたっと小走りに広場を駆ける。


「おねえちゃんおわったよ! みせばん……」

 

 露店のところまで来るとアルはあんぐりした。礼拝に行く前に売れ残っていた商品がほとんどなくなっているのだ。


「おかえり。店番きっちりやっといたわよ」

 

 店番を務めた見習いシスターがウインクすると売上金の入った財布をひょいっと放る。アルが受け止めるとずしりとした重さが。

 

「さ、これで勉強する時間が出来たわね。まずは読み書きからはじめましょ」

 

 ぱんぱんとスカートに付いた埃を払って立ち上がり、にこりと笑う。

 すると、勉強が出来るという喜びからか、アルも笑った。


「うん!」


 †††


 リヤドの中庭の中心に据えられたテーブルと椅子には向かい合うようにフランチェスカとアルが座っていた。


「いい? これがA(エー)。次がB(ビー)、その次がC(シー)よ。大文字と小文字で形が違うから、ちゃんと覚えてね」


 アルがテーブル上で開いたノートにアルファベットを書きつけていく。

 発音しながら何度も書いて覚えるなか、テーブル下のマリクがくぁっと欠伸をひとつ。

 その時、リヤドの門が開いた。

 買い物帰りのファティマおばさんだ。アルを見るなり、目を大きく見開く。


「ちょっと! 物乞いの子を勝手に入れちゃダメじゃないか!」

「物乞いじゃないわ。物売りの子よ。勉強を教えてあげてるの」

「だからといって……!」

「お願い、ファティマおばさん。責任はあたしが持つから」

 

 ふたりが反論しあうなか、アルが立ち上がった。


「おねがいします。めいわくはかけませんから……べんきょうを、おしえてほしいんです」と頭を下げる。

 そう真剣に言われては反対のしようがなかった。このまま無下に追い返すわけにもいかない。

 ファティマおばさんは溜息をつきながら首を振る。


「ふたりともしょうがない子だね! 勝手におし! ただし、なにか悪さしたらすぐに出てってもらうからね!」

 

 フランチェスカとアルの顔がぱぁっと明るくなる。


「ありがとう! ファティマおばさん!」

「あ、ありがとう……!」

 

 ほんとにしょうがないんだからとぶつぶつ文句を言いながら建物の中に入る。

 

「やったわ! ファティマおばさんの許可が出たから、これで心おきなく勉強出来るわよ!」

「おねがいします! ムダリサ!」

「ムダリサってなに?」

「せんせいっていみ!」

「そうなのね」


 フランス語を教えている学校でも先生と呼ばれているが、不思議とその『せんせい』はフランチェスカには誇らしく聞こえた。

 思わず顔がにやけてしまいそうになるのをなんとか堪えながら、生徒であるアルに向き直る。


「さぁ、授業の続きを始めるわよ!」


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