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第42話 『SKYFALL』④


 スペイン、ビルバオ――。


 七月の眩しい陽光が降りそそぐなか、神学校の院長室にて、ミルドレッド院長は受話器を耳に当てながら応対を。


「そうですか……それは早急に対応しなければなりませんわね……はい、はい。わかりました……」


 受話器を卓上の親機に戻してふぅと溜息をつき、椅子にすとんと腰を下ろす。


 困りましたわね……誰か、適材な人物は……。


 机の横の引き出しからファイルを取りだして、ぱらぱらとめくる。

 神学校に在籍している学生のプロフィールが記入されたファイルだ。備考欄をひとりずつ確認していく。

 

 この子は……ああ、ダメだわ。


 次のページをめくり、備考欄を見る。細い指でつつ、となぞって確認し、そこで指がぴたりと止まる。


「この子だわ!」


 すぐさま受話器を手にし、内線番号を押すとすぐに相手が出た。二言三言交わす。


「火急の用件よ。すぐに彼女をこちらに呼んでちょうだい」


 †††


「――最後の晩餐(ばんさん)を終えたイエスは弟子たちとオリーブ山へ向かい、そこで磔刑(たっけい)にかけられる前に祈りを捧げました。これが『ゲッセマネの祈り』です。ではマルコによる福音書の14章を開いてください」

 

 講堂にて神学生たちがシスターの指示のもと、聖書のページをめくる。

 彼女たちの着ている修道服(スカプラリオ)は見習いシスターのそれだ。


「“彼らはゲッセマネという名の場所にやってきた。イエスは弟子たちに言った、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」”」


 教師のシスターが朗読しながら講堂を歩く。その時、この場にそぐわない音が聞こえたので足を止める。朗読もぴたりと止まった。

 (いびき)の音だ。犯人はわかっている。

 シスターがつかつかと音の元へと向かう。


「起きなさい! シスターフランチェスカ!」

 

 机に突っ伏して寝息を立てる見習いシスターの頭にごつんと、分厚い聖書の角で叩く。


「いっ……! たぁ……」


 涙目でたまらずに叩かれた頭を抑える。その周りで同期の見習いシスターたちがくすくすと笑う。


「あなたはいつもいつも! イエスが祈っているそばで居眠りをしたペトロのつもりですか?」

「お言葉ですが、私は彼のように三度も寝てません。こっちはまだ一度しか寝てないんですから」

「誰が上手いことを言えと言いましたか! まったく……あなたは仮にも聖フランシスコ・ザビエルの末裔で、特待生なのですよ? もっと自覚を持ちなさい」

 「はーい」とザビエルの末裔が気の抜けた返事をしたので、シスターはますます顔を強ばらせる。

 

「いいかげんに……!」


 そこへコンコンとノックの音で中断された。入ってきたのは別のシスターだ。


「失礼します。シスターフランチェスカはいますか?」

「はい! 私ならここです!」

「院長先生がお呼びです。すぐに院長室へ来るようにとのことです」

 

 院長からの呼び出しと聞いて見習いシスターが、げっと顔を曇らせる。どうせろくでもないことだ。


「ついに院長先生から呼び出しを食らいましたね。こってりと絞られてきなさい」

 

 さぁ、授業を始めますよと言うシスターの背中でフランチェスカがあっかんべーをしたので、見習いシスターたちがまたくすくすと笑う。

 シスターが何事かと振り向いたときにはすでに彼女の姿はなかった。


 †††


 院長室のドアをコンコンとノックして「お入りなさい」と院長の声。

 「失礼します」と言って入ると、シスターミルドレッドは執務机にいた。

 

「よくいらっしゃいました。シスターフランチェスカ。勉学は進んでいますか?」

「いえ、私など神の御心(みこころ)にはまだ理解が及びません」

 

 もちろん一生わかりたくもないけどね、と心の中で思いながら胸の前で手を組む。


「実はあなたを呼んだのは、あなたの力を借りたいのです」

「私が、ですか……?」

「ええ、当校は国内外問わず、奉仕活動をしていることはご存じですね?」


 もちろんですとフランチェスカが頷く。奉仕活動は神の教えに基づいて、善意で社会奉仕やボランティア活動などを行っているのだ。


「そのひとりが病気で入院したのです。彼女は国外の学校でフランス語を教えていました」

「なるほど……つまり、彼女の代わりにフランス語を教えて欲しいと、そういうことですね?」

 

 シスターミルドレッドがにっこりと微笑む。


「理解が早くて助かりますわ。なにしろ、あなたはフランス語だけでなく英語も話せますしね」

「国外と言いましたけど、どこなのですか?」

「マラケシュです」

「マラケシュ? マラケシュというと、たしか……」

「ええ、モロッコです。あなたはそこで十日間滞在して、入院した彼女の代わりに授業を進めさせていただきます」


 十日間!? おまけにモロッコって田舎じゃん!


「お、お待ちください! 私は勉学に励む身、それに私はアラビア語は話せません……!」

「マラケシュはスペイン語が十分通じます。お願い、あなたしかいないの」

「でも……!」

「フランチェスカ、あなたの希望の赴任先は日本(ハポン)でしたね?」


 机の引き出しからファイルを取りだす。


「それと、授業中での居眠り数回、門限を破ること十数回、最近では近隣の学校で聖書の教えをラップにしたとか」

「そ、それは現代のニーズに応えてわかりやすく、かつ流行に乗せてと言いますか……」

「シスターフランチェスカ」とぴしゃりと黙らせる。


「“善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります”(ガラテヤ人への手紙第6章9節)と聖書にもありますよ。引き受けてくだされば、この素行には目をつむりましょう。日本行きも考えてやらないこともありません」

「それは脅しですか?」

 

 シスターミルドレッドがこれ見よがしに目をみはる。

 

「脅しだなんて、とんでもない。これは懇願ですよ。シスターフランチェスカ」

 

 これ以上は何を言っても無駄だ。しかたなくフランチェスカは首を縦に振る。


「わかりました……引き受けます」

「頼りにしてますよ。シスターフランチェスカ。あなたに神のご加護があらんことを」


 十字を切った院長がふたたびにこりと微笑む。


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