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第40話 『1990年5月のザグレブ』④


 アデリナに連れられ、やってきたのは波止場近くのレストランだった。

 テラス席からは停泊しているモーターボートや漁船が望め、潮風が心地よい。

 「最高のロケーションね」と満足しているとウェイターが料理を運んできた。


「お待たせ! カメニツェだよ!」

 

 どんと卓に皿を置く。


「カメニツェはここの言葉で牡蠣(かき)のことよ」とアデリナ。

 見ればなるほど、小ぶりな貝殻からはぷりっとした身が。


「牡蠣はここの名物だからな。これを食うまでは帰さねぇぜ」とウェイターが、がははと笑う。

 レモンをまんべんなく搾って、フォークで身を口に運ぶ。久しぶりに口にする海の恵みで思わず顔がほころぶ。


「んん~っ! 新鮮!」

 

 フランチェスカのほころぶ顔を見てアデリナがあははと笑う。


「昨日までドイツにいたから、よけい美味く感じるわね」

「ドイツはシーフードってあんまないからね」


 そこへウェイターが次の料理を運んできた。

 アデリナはパスタ、フランチェスカはリゾットだ。地理的に近いためか、イタリア料理によく似ている。

 「それとこれはサービスだ」と差し出されたのはぶつ切りにしたタコのサラダだ。


「ここではタコは普通に食べるんだ? まぁスペインでも食べるけど」

「“海でも川でも、すべて水に群生するもの、またすべて水の中にいる生き物のうち、(ひれ)(うろこ)のないものはすべて、あなた方には忌むべきものである”(レビ記第11章10節)でしょ? そんなの場所によるわよ」


 それに、とタコをフォークで刺して口に運ぶ。ぷりぷりとした感触がたまらない。


「そりゃ見た目はアレだけど、こんな美味しいの食べない手はないわよ」

「言えてる。そういえば以前、日本の大阪に行ったとき、タコ焼きってのを食べたけど、めっちゃ美味しかったわよ!」

「タコヤキ? そんなのあるんだ?」


 以前に友人である舞の実家がある京都へ行ったときの話を聞かせてやると、アデリナは興味深そうに聞く。


「話を聞くかぎりでは、日本って素敵なところね」

「一度来るといいわよ! 景色だってここに負けないくらいなんだし……って、なにかあたしに相談したいことあるんじゃなかったっけ?」

「うん、あとで連れて行きたいところがあるの。今はご飯食べよ?」


 そう言うと、アデリナはフォークをくるくると回してパスタを絡め取る。


 †††


 昼食を終えたふたりはふたたび城壁の上にいた。城壁の内側と民家のあいだにはロープが張られており、そこに干されている洗濯物が生活感を物語っていた。


「ね、あたしに来てほしいところってなに?」

「もうすぐそこよ」

 

 兵士が水平線を眺めていたであろう、かつての見張り台を通り過ぎ、ふたりは突端のほうへと歩く。

 歩いて五分は経ったろうか? フランチェスカがまだかと口を開こうとした時。


「ここよ。この下」

 

 アデリナが下へと続く階段を指さす。見ると下にサッカー場が。いや、広さからしてフットサル場だろうか。

 フランチェスカがなにか言おうとする前にアデリナが階段を下りたので、後を追う。


こんにちはー(ドバルダン)。おじさんいる?」とアデリナがフットサルのコートのすぐ傍の建物のなかへと入る。

 「やぁアデリナちゃんか。よく来たね」と奥から眼鏡をかけた年配の男性がにこやかな笑顔で迎える。


「今日はあたしの友だちを連れてきたの」

「初めまして。神学校で同期だったフランチェスカです」と同期の隣でぺこりと挨拶。

「アデリナちゃんからいろいろ話は聞いてるよ。叔父のイヴァンだ。こちらこそよろしく」


 流暢な英語で自己紹介し、互いに握手を交わす。


「ええと、ここはフットサル場ですか? コートがありましたけど……」

 

 するとイヴァンがはははと笑った。


「はじめてここに来る人はみなそう言うよ。あれは地元のちびっ子が使うものなんだ。見せたいものがあるからこっちにおいで」


 イヴァンに手招きされ、廊下を進む。壁には数々の賞状や新聞の切り抜きが貼られていた。いずれもクロアチア語なのでフランチェスカには読めない。


「有名なところなんですね?」

「ある意味、ここは有名なところなんだろうね。うちでやっているサッカーは世界的にも数が少ないからね」

「イヴァンおじさんはここのオーナーなの」

「へぇ……」

 

 賞状や新聞の切り抜きの隣に目をやると、フィールド上でサッカー選手が一列に並んだ古い写真が。

 青いユニフォームからして、ザグレブのチームだろう。


「ん? このひと……」


 右端にいる男のところで視線が止まる。二十代前半の野心溢れる笑顔だ。


 どこかで見たような……?


「着いたよ。ここだ!」


 両開きのドアの前まで来た。イヴァンが開くと、そこには芝生のグラウンドが。


「わ、サッカー場だ!……って、なんだか小さいような……」


 実際そのグラウンドはサッカー場と言うには小さく、フットサルにしても広かった。


「60メートル×40メートルだから、普通のサッカー場の3分の2だね。ちなみにフットサルでもないよ」

「?」


 アデリナいわく、ユーゴスラビア紛争の際に空爆で更地になった場所を数年がかりでやっと今の状態にしたのだそうな。


「あと少ししたら練習が始まるから、その時にわかるよ」とイヴァンが腕時計を見ながら言う。

 頭にいくつものクエスチョンマークが浮かぶフランチェスカはグラウンドに入る。傍らにサッカーボールが置かれていた。


「よっと!」


 革靴の爪先で器用にすくい上げると、膝からぽんっと上に上げ、ヴェールを被った頭の上でころころと転がす。


「驚いた……! フランチェスカちゃんはサッカーが上手いんだね」

「神学校でも近所の子たちとしょっちゅうサッカーやってたしね。小さいときに、近所に住んでた元サッカー選手から教えてもらったって言ってたわ」

「ほぅ! 教え方がうまかっただけでなく、フランチェスカちゃんにもサッカーの才能があったんだろうね」


 イヴァンがうんうんとうなずく。


「でしょ? あの子運動神経バツグンだし」

「ハッキリ言えるのは、あの子はシスターじゃなく、本格的にサッカー選手を目指すべきだよ」

 

 叔父と姪のふたりはフランチェスカの華麗なリフティングにしばし見とれていた。

 やがてリフティングに飽きてきたか、(もも)からボールを下ろしてそのままゴールのネットへと叩き込む。


ゴール!(ゴラッソ!)


 びしっと拳を突き出して決めポーズ。そして人差し指を上に向け、スカートの裾をつまんでフラメンコのように舞う。


「出た! フラ・ダンスだわ!」

 

 興奮するアデリナの後ろから拍手が。


「スゴいな! まるでプロ並みだ!」

「ああ! 彼女なら間違いなくワールドカップで優勝できるぞ!」

 

 いつの間にか練習に来た人たちがみな口々にフランチェスカを褒めそやす。


「おお来ていたのか。フランチェスカちゃん、こっちにおいで!」


 イヴァンが選手たちを紹介するべく、フランチェスカを呼ぶ。

 グラウンドからととと、と彼らの元へと赴く。


「紹介しよう。彼らがうちのプレーヤーたちだ」

「え……!?」


 目の前の光景にフランチェスカは驚きのあまりに口を開いたままだ。


 †††


 二時間後、叔父が営むサッカー場からふたりの見習いシスターが出て来る。


「スゴかったわ! 世の中にはまだ知らないサッカーがあるのね」

「うん。でも問題は指導員、コーチがいないの。叔父さんはただのサッカー好きだから教えられる立場にはないし……」

「あたしにまかせて! 実は心当たりがあるの」

「え? 心当たりって……クロアチアに誰か知り合いでもいるの?」

「知り合いってわけじゃないんだけどね……あたし、今からザグレブに行ってくるね!」

「ちょっ、フランチェスカ!?」


 アデリナの声を背に受けてフランチェスカは走り出す。


「まかせて! 明日までには絶対ここに連れてくるから!」


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