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第40話 『1990年5月のザグレブ』③


「わあっ!」


 ボスニア・ヘルツェゴビナの国境を越え、窓からいくつものオレンジ色の屋根が見えてきたとき、思わず声を上げた。

 周囲を城壁で囲まれた、アドリア海の真珠と(うた)われる街――ドゥブロヴニクである。

 群青(ぐんしょう)色のアドリア海と屋根のオレンジ色のコントラストに目を輝かせる見習いシスターを乗せたバスはそのままバスターミナルへと向かう。


 †††


「はい、今度はこの蔵書を運んでね」

「はい。シスターナタリエ」


 ドゥブロヴニク市内。

 入口のピレ門をくぐってすぐ左にあるフランシスコ会修道院の図書室にて、見習いシスターアデリナはずしりと重厚な蔵書を受け取ると回廊の奥へと運ぶ。

 ここフランシスコ会修道院は世界で三番目に古い薬局があることで知られており、院内には当時使われていた薬壺や処方箋が展示されている。

 また、初期の印刷本や聖遺物も保管されており、アデリナは貴重な蔵書を棚に保管するべくロマネスク様式の回廊を歩く。


「これでよし、と」


 保管庫へ運び終えたアデリナはふぅと額に付いた汗を拭う。

 ヴェールからはウェーブがかかった茶髪をのぞかせている。


 また本を運ばなきゃ。急がないとシスターナタリエに叱られちゃう。


 くるりと踵を返す。


「忙しそうね。よければ手伝いましょうか? お嬢さん(セニョリータ)


 懐かしいその声とスペイン語は聞き間違いようがない。

 振り向くとそこに立つ人物は自分と同じような見習いシスターの装いに身を包んでいた。


「はぁい元気してた? アデリナ」

「シスターフランチェスカ!」

 

 アデリナは神学校の同期に駆けより、ぎゅっと抱きしめ、くるくると回る。


「久しぶり! 神学校以来ね!」

「ザグレブの聖マルコ教会を訪ねたら、ここにいるって聞いたの」

「ここには蔵書の整理でかりだされたのよ。なぜクロアチアに?」

「ちょっとしたバカンスよ。ね、格安で泊めてくれるとこ知らない?」

「それならあたしの部屋に」

「シスターアデリナ! 何をしているのです!?」


 怒声が回廊に響き渡る。


「やばっ! ちょっとまってて!」

 

 アデリナが離れ、ナタリエの下へ赴く。フランチェスカはしばしふたりのやり取りを聞いていたが、やがてアデリナが戻ってきた。


「お待たせ! 同期の友人が遊びに来てくれたって言ったら、部屋を提供してくれることになったの」

「ホントに!?」

「うん! でね、せっかくだからこの街を案内してあげなさいって」

「願ってもないことだわ!」

「んじゃ早速行きましょ! あんたクロアチア語話せないでしょ?」

「あたしがスラブ系の言語ニガテなの知ってるでしょ」


 †††


 プラツァ通り。

 ドゥブロヴニク市内の中心を走る石畳の道をふたりの見習いシスターが歩く。


「それにしてもびっくりしたわよ。いきなりクロアチアに来るなんて」

「クロアチア行ったことないから、行ってみよーかなって。そういえばアデリナってスペインとクロアチアのハーフだっけ?」

「うん、母がスプリットの生まれなの。あ、ここのジェラートオススメなの!」


 指さす先には確かにジェラート屋が。そしてショーケースには色とりどりのアイスクリームが並んでいた。


「なに食べる? レモンがオススメだよ」

「あたしこのベリー食べてみたい!」


 アデリナが店主に注文し、財布からクーナ紙幣を取り出す。


「ちょ、ちょっと! 自分の分くらい払うわよ」

「いーのいーの。せっかく来てくれたんだから、あたしに払わせて」

 

 ね? とつぶらな茶色の瞳で言われては反論出来なかった。


「ん……じゃ、ご馳走になるわね」

「よろしい」

 

 はい、とジェラートを手渡す。


 †††


「それにしても、昔の建物がそのまま残ってるって感じね。ここ」

「中世時代の建物が残ってるところもあるけど、大体は修復されたのよ。ユーゴスラビアって聞いたことある?」

 「名前だけは」と答えると「やっぱりね」と肩をすくめた。


「あんたって歴史の授業は寝てばっかだったしね。クロアチアもそうなんだけど、この周りにある国はもともとひとつの国だったの」

「あーなんかそういえば聞いたことあるような、ないような……」とジェラートをぺろりとひと舐め。


「で、当時南スラヴ人のひとたちが集まってひとつの国を作りましょうって運動が起きて、ユーゴスラビアになったの。というか、そもそもユーゴスラビアって『南スラヴ人の土地』って意味だし」

「それで?」

「うん。しばらくはちゃんとひとつの国として機能してたんだけど、南スラヴ人といっても、それぞれ宗教が異なる複雑な民族なの。だから、だんだんとそれぞれの国が独立しようって動き出したの」

 

 フランチェスカはバスの警備員を思いだした。

 

 そういえば、あのおじさんイスラム教徒って言ってたっけ……。


「ところが第二次大戦後にチトーっていう指導者が国々を上手くおさめたの。彼はカリスマ性があったから」

「なる。日本で言う番長みたいなものね」

「バンチョーがどういうものかは知らないけど、たぶんそれで合ってるわよ」


 土産物屋を通りかかったので、ふとそのほうを見る。

 赤と白の市松模様のサッカーユニフォーム、クロアチアの旗などが所狭しと並ぶ。


「ネクタイも置いてあるんだ?」

「そりゃ当然。だってネクタイはクロアチアが発祥の地だもん」

「へぇ!」


 こっち行くと城壁に上がれるわよと路地を指さし、狭い石段をふたり並んで登る。


 挿絵(By みてみん)


「さっきの話に戻るけど、チトーが亡くなってから独立運動が高まってきたの。それまでカリスマだったチトーがいなくなったから、歯止めがきかなくなっちゃったってワケ」

「ますます日本の不良マンガらしい展開ね」

「1991年にクロアチアで独立戦争が起きて、ドゥブロヴニク市内でも砲撃を受けたの。だから、今でも弾の痕や砲撃の跡が残ってるのよ」


 やっと頂上、つまり城壁にたどり着くとアデリナが「あれ見て」と指さす。

 そこには砲撃で崩壊したであろう壁が崩れており、そこから部屋が剥き出しになっていた。


「修復作業は終わったんだけど、戦争の悲惨さを伝えるためにわざと残してるの」

「まさに負の遺産ね」

 

 ジェラートが無くなり、コーンをぽりぽりとかじる。


「でも、フランチェスカが来てくれてよかった。実は、悩み事があってね……」

「なに? あたしで良ければ相談に乗るわよ」

「ありがと。でもその前にご飯食べに行かない? お昼まだでしょ?」


 同期の見習いシスターがうなずくと、アデリナもうなずく。


「この近くに良いお店知ってるの!」


コラム『ネクタイはクロアチアが発祥?』


「オラ! 今日は本編でも話してたネクタイについてよ!

ねぇアデリナ、ネクタイはクロアチアが発祥の地って言ってたけど、ホントなの?」

「もちろんよ! 諸説あるんだけど、当時フランスの王様のルイ14世がクロアチアの兵士が首に巻いてたスカーフを見て、家来に「あれはなんだ?」って聞いたの。

そしたら家来はどこの人だ? という意味で聞かれたと思って「クラヴァット(クロアチア人)です」と答えたの。

スカーフが気に入ったルイ14世はさっそくファッションに取り入れたの。これがネクタイの始まりってワケ」

「クラヴァットって、クロアチア人って意味だったのね。そういえばドイツ語やフランス語でもそう言うわ。スペインではコルバタって言うけど」

「ほかにも映画『101』で有名なダルメシアンもクロアチア生まれよ。ダルマチア地方が発祥地なの。ネクタイにもダルメシアン柄があるわよ」

「へぇ! アンジローのお土産にしようかな? あ、でもネクタイあんましないかな?」

「アンジローってだれ? もしかしてボーイフレンド? あ、ちょっと! 逃げないで答えてよ!」


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