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第39話 『ベルリン、壁のむこう』⑤


 『Mauermuseum』はドイツ語でその名の通り、壁の博物館を意味する。

 見習いシスターが入場券を手に中に入ると、黒縁の眼鏡に顎髭を生やしたスタッフがやってきて握手した。


「学芸員のロベルトです。こちらは初めてで?」

「フランチェスカよ。よろしく。ベルリン自体はじめてなの」

「そうでしたか。ではこちらへ。順を追って説明します」


 どうぞと通路を案内する。

 

「ちなみに、ベルリンの壁がなぜ作られたかは学校で習いましたよね?」

「あー……歴史の時間はもっぱら昼寝してたから……」

 

 ロベルトがおやおやと肩をすくめる。


「でもさすがに第二次大戦のことは知ってますね?」

「ええと……ドイツが敗けて、対する連合軍が勝利したのよね?」

 「そのとおり」とうなずき、壁にかかったドイツの地図を指さす。

 左側が青く塗られ、右側は赤く塗られていた。


「戦争に敗れたドイツはこのように領土を分断されたんです。青い部分はアメリカ、イギリス、フランスの領土に。赤い部分はソ連の領土という具合にね」

「へぇ。あ、ということはその境目がベルリンの壁なのね」

「ご名答! 当時、連合軍側は民主主義、ソ連側は社会主義とそれぞれ政治方針が違っていました。なのでそれぞれのドイツは別々の国と言っていいくらい、まったく違っていたんです。文化やライフスタイルなどね……」


 次に案内されたのは東ドイツ時代に使われたものの展示場だ。

 

「あれ? この国旗、ドイツのだけど真ん中に見たことないものがあるわね」


 フランチェスカが指さした旗には黒、赤、黄の三色旗の中央にコンパスやハンマーがあった。


「さっきも言いましたように、当時の東ドイツはソ連――つまり社会主義の影響を受けていたので、国旗にもそのシンボルが使われているのです」


 学芸員のロベルトいわく、コンパスは知識人、ハンマーは労働者を表しているのだとか。


「ただ、分断後の東ドイツは西ドイツに比べて貧しく、生活水準も下回っていて、西側に逃亡する人たちが後を絶たなくなりまして……」


 こちらが逃亡に使われたものの展示ですと案内された先には、人が隠れられるよう改造された車やトランクケース、果ては気球まで。


「すごい! それで脱出には成功したの?」

「成功したひともいますし、失敗したひとは逮捕か、運が悪ければ銃殺刑でした」

「世も末ね……」

「それが冷戦時代です。当時は西も東も互いにスパイを送りこんでて、スパイ合戦と揶揄(やゆ)されてましたし……次は当時のスパイが使っていた道具をお見せしましょう。これがなんだかわかりますか?」

「? コートのボタンのようだけど……?」

「そのボタンの裏に小型カメラを仕込むんです。カメラだけでなく、いろんな盗聴器も仕掛けてました。それこそ四六時中、ね」

「ちょっとまって! じゃプライベートが筒抜けだったってこと?」

「はい。ありとあらゆる生活音が記録されたんです」

 

 信じられない! とフランチェスカがあ然とする。


 †††


「これで案内はお終いです。勉強になりましたか?」

「ええ、とてもね。どうもありがとう」

 「どういたしまして」と握手を交わす。ロベルトが「ああ、そうだ」と思い出したように向かい側を指さす。


「このすぐ先に、当時のベルリンの壁がそのまま残った『壁の道』があるので、そちらも見てみるといいですよ」



 ロベルトから教えてもらった『壁の道』はチェックポイント・チャーリーからツィンマー通りを西にポツダム広場まで壁が延びている。

 壁のくすんだ色合いはまるで当時の悲惨な状況を訴えるかのように塗り込められたかのようだ。

 

「この向こう側がすぐ西側なのよね……」


 壁を見上げながらそうぽつりとつぶやく見習いシスター。

 てくてくと歩いていくと、壁を前にして立つ人物がいた。チェックポイント・チャーリーで記念撮影をした際に見かけたあの老婆だ。

 眼鏡の奥にて、どこか遠くを見つめるような目でただ、壁の上を見つめている。

 少ししてからくるりと踵を返そうとした、その時だった。

 壁に手をついていきなり老婆がしゃがみ込む。思わずフランチェスカが駆けだす。


「大丈夫ですかっ」

「大丈夫です……ちょっと動悸が早くなっただけで、すこしひと休みすれば……」

「あたしの背中に!」

 

 フランチェスカがしゃがんで老婆に背を向ける。


「でも、悪いわ。シュヴェスタ(シスター)にそんなことをさせるなんて」

「あたしはまだ見習いなの。だから気にしないで!」

「そ、そう? じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 理屈としては無理があるのだが、うら若き少女に押し切られ、老婆は見習いシスターの背中につかまる。


 †††


 休憩で入った近くのカフェで老婆は紅茶のカップを静かに傾け、ふぅっとひと息つく。


「ありがとう……ごめんなさいね。お嬢ちゃんに無理をさせて。やっぱり年には勝てないわね」

「お気になさらず。教会に勤めているうちのマザーなんて、もう良い年なのにあたしに暴力を振るうんですから」

「まぁ」


 ほほほと口に手を添えて上品に笑う。


「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はアンネ・フォルトナーよ」

「フランチェスカ・ザビエルです」

「ドイツ語がお上手ね。でもドイツ人ではないのよね?」

「スペイン人です。こちらへは休暇で来ました」


 フランチェスカがストローでアイスティーをちゅーっと吸い、氷がからんと小気味よい音を。


「あの、さっき検問所でも見かけましたけど……なにか思い詰めている様子でしたが、もしよければ、悩みを話してもらえませんか?」

「悩み、というものではないんだけどねぇ……」

 

 アンネが頬に手をあてて、溜息をつく。


「ね、お嬢ちゃんは昔、ドイツがふたつに分かれていたことは知ってる?」

「多少は。ついさっき、そこの博物館で教えてもらいましたから」

 

 アンネがうなずき、自分がかつて東ドイツで夫と暮らし、ある日彼とともに西への逃亡を企て、その結果、自分だけが西へ渡ったことまでをかいつまんで話した。


「そんなことが……それで、ご主人には会えずじまいだったのですね」

「いいえ、実は一度だけ夫に会ったのです。壁が崩壊して、東西ドイツが統一した一年後にね」

 

 アンネは遠い記憶に思いを馳せるかのように窓から遠くを見つめる。


「あの時に夫が私に言った言葉が、今でも耳に残っているわ」


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