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EXTRA 『アンジロー、風邪をひく』


 神代神社。その境内にて舞は巫女装束で掃き掃除をしていた。

 さっさっと落ち葉を掃いてふぅっと額の汗を拭う。その時だ。スマホの着信音が鳴ったのは。

 懐から取り出して画面を見ると、フランチェスカからだ。

 

「ハロー、まいまい」

「だからー」

「よく聞いて、アンジローがカゼひいてて家に誰もいないの。だからあんたが見舞いに行ってあげて」

「ちょっ!? フランチェスカ!」


 いきなり切り出された用件で舞は反論出来ずにフランチェスカの要求を聞くしかなかった。

 思い人が病にかかっているとあっては放ってはおけない。おまけに彼女はパリにいるのだ。


「……わかったわ。見舞いに行けばいいのね?」

「助かるわ。んじゃアンジローによろしくね! チャオ!」

 

 通話が切られたスマホを片手にじっと見つめる。そしてふぅと溜息。


 ま、しょうがないか……。


 スマホをしまうと神主である祖父に声をかける。


「ごめん! じーちゃん、あたし出かけてくるね!」

「お、おい舞、どこ行くんじゃ!?」

「友だちの家!」

 

 そう言うと社務所兼自宅へ走ると玄関で草履をぽいっと脱ぎ捨て、自室へと入った。

 装束を脱いで私服に着替えると今度は台所へ。

 コンロの前に立つと棚から取り出したのは土鍋だ。袖をまくりあげる。


「ここが腕の見せどころね」


 †††


「はぁ……ぞうですか……いま家族みんないないんでおどなしぐ寝てますよ……」

 

 じゃあまた、と通話を切った安藤はスマホを傍らに置いて枕に頭を預ける。


 フランチェスカさん、パリにいるのか……。


 ごほごほっと咳が出た。体温計を取り出して脇に挟む。程なくして電子音が鳴ったので、取って液晶画面を確認すると38.4℃だ。


「さっきよりはマシになったかな……?」


 ごほっとまた咳。家族のいない自宅の自室では無常に響く。

 額に貼った熱冷ましシートに触れると相変わらず熱っぽい。

 はぁと溜息をひとつ。

 途端、腹の虫がくぅと鳴った。なにか食べたい気分だが、とても調理する気にはなれない。


 そろそろ寝ないと……。


 目を閉じるとたちまち眠りに落ちた。



 どのくらい時間が経ったろうか? 遠くから音が聞こえてくるような気がしたので、ぼんやりと目を開ける。

 スマホを手に取って時計を確認するとまだ1時間ぐらいしか経っていなかった。

 するとまた音だ。インターホンだ。


 誰だろ……? こんな時に……。


 だが無視するわけにはいかない。よろりとベッドから身を起こして強ばった体をなんとか動かしながら一階へ降りる。

 壁のインターホンカメラを押す。玄関によく知っている顔が映った。


「神代さん?」

「あ、アンジロー。大丈夫? その、お見舞いに来たの。フランチェスカからアンジローがカゼひいたって聞いて……」

「あ、それはわざわざどうも……」

「あ、あの」

 

 カメラの前に立つ舞は落ちつかなげだ。手に紙袋のようなものを手にしている。


「お粥、つくってきたから……」

「ホントですか? ちょうどいま食べたいなと思ってたんですよ!」


 少ししてから舞の前のドアからかちゃりと解錠の音。

 開いたドアからマスクをした安藤が「どうぞ上がってください」と出迎えた。


「う、うん。お台所貸してくれる? 温めないといけないから……」

「どうぞ。台所はこっちですよ」

「ありがとう。アンジローは部屋で休んでて。あとであたしが持ってきてくるから」


 礼を言い、自分の部屋の場所を教えてから自室へと戻った安藤はベッドに入る。

 

 考えてみたら、女の子が部屋に入るのってはじめてだよな……。


 以前、フランチェスカが家に来たことはあるが、その時は部屋にまではあがっていない。ましてや、今回は彼女も家族全員みないないのだ。


 まさか、こんなことになるとは……。


 けほっと咳を手で押さえる。ふと気になって部屋を見回す。机、本棚、床と順に見ていく。


 うん。散らかってはいないな。


 女子に見られて困るものはここにはないはずだ。ただ、本棚の奥に隠してある本は別にして……。


 そこまで考えていると、コンコンとノックの音がして安藤はどきりとした。

 「どうぞ」と告げると、舞が土鍋をお盆に載せて入ってくる。


「お待たせ。お盆借りるわよ」

「ありがとうございます」

 

 とことこと安藤の近くまで来ると、半身を起こした彼にお盆ごと渡す。

 安藤が土鍋の蓋を開けると、湯気の立つ眩しい白米にちょこんと置かれた梅干しがひとつ。

 

「はいレンゲ。熱いから気をつけてね」

 

 いただきますとレンゲを受け取って、お粥をすくってふぅふぅと冷ましてから口に運ぶ。


「美味い……!」

「よかった! 塩加減これでいいかどうか不安だったから」

「いやおいしいですよ! 神代さん」


 塩の利いた柔らかい白米がするりと喉を通り、胃袋がじわりと優しさに包まれていく。梅干しを崩して白米とともに食べると程よい酸味が舌を刺激してくれる。


「この梅干しもうまい!」

「でしょ? うちの実家、京都だから母がそこの梅干しを送ってくれるの」


 そこまで言って舞は気付いた。自分が人生ではじめて男の子の部屋に入ってきていることを。おまけに家族全員いないのだ。

 その事に気付いて舞はだんだんと恥ずかしさで顔を赤らめる。

 安藤がお粥をかっ込むなか、部屋を見回す。


 男の子の部屋って、散らかってるイメージあるけど、片付いてるのね……。


 後ろを見ると本棚が目に入った。


「あれ?」

「どうしたんですか? 神代さ」


 舞が本棚のほうへ向かっていることに気付いて安藤はぶっと粥を吹き出す。


 やばっ! そこは……! 


「アンジローも同じ本持ってるんだ。これ面白いよね」

 

 舞が取り出したのはマンガだ。ほっと胸をなで下ろすが、まだ安心は出来ない。


「あ、これって……」


 また安藤の心拍数が上がった。


「料理の本じゃん。アンジローって料理が趣味なんだっけ? そういえば前にバースデーケーキ作ってたっけね」

「え、ああ、そうなんですよ。実は来年調理師専門学校に通おうと思ってて……それで勉強してるんですよ」

「へぇ……すごいじゃん」

 

 そう言いながら腰かけてぺらりとページをめくる舞。彼女の後ろには年頃の男の子が読む本が隠してあるので安藤は気が気でない。


「その、神代さんは来年どうするんすか?」

「あたしね、大学に行こうと思うの。で、英語を勉強しようかと。ていうか、今は英語の成績ダメだけどね……」

 

 たははと笑う。


「アンジローはすごいね。自分の得意なことを活かしてるんだから」

「そんなことないですよ。調理師専門学校だって筆記試験とかありますし……それで落とされることもありますから」

「ん、そっか。そうだよね……うん……」

 

 ふと見上げると壁にかけられたカレンダーが目に留まった。もうすぐ夏休みだ。


「ね、アンジロー。今度神社でやる夏祭りって知ってる? といってもあたしのいる神社じゃなくて大きなほうの神社だけど」

「あ、そういえばもうすぐその時期ですよね」

「うん。だからさ」


 一緒に行かない?


 頭に浮かんだ言葉を口に出すのは容易いことではない。

 ふたりきりというこのシチュエーションと相まって、舞はなかなかその言葉をうまく舌に乗せられないでいた。

 やっとの思いで言葉をほんのりと朱くなった唇から漏れるようにつむぐ。


「だから、行ってみない?」


 あ、『一緒に』を言うの忘れてるじゃんか。あたしのバカ。


「いいですね。フランチェスカさんが戻ってきたら一緒に行きましょう!」

「あ、うん……」

 

 無邪気な笑顔でそう言われては何とも言えない。


 一緒に行きたいのは、アンジローだけだよ……。

 

 そこから会話は止まった。部屋では安藤が粥を口に運び、舞は本を見るともなしにぺらぺらとページをめくる。

 やがて安藤が粥を食べ終え、「ごちそうさまでした」と礼を言い、舞が「お粗末さまでした」と返す。

 土鍋を取ろうとして本を棚に戻そうとする。だが、奥に本があるのかつっかえてて上手く入らない。


「なにか奥にあるわね」


 いったん取り出そうと背表紙をつかもうとする。


「ちょ、神代さん! そこは……!」

「なに?」

 

 ばさりと本棚から奥にあったものが落ちた。表紙にグラビアアイドルがお色気たっぷりのポーズを取っている。


「え、これって……」

「あ、いやこれはその……そ、そうだ! 兄のなんですよ! それ!」

「あ、そ、そうなのね」


 だんだんと余計気まずくなった雰囲気にふたりは無言の体だ。

 その時、部屋のドアがいきなり開いた。


「次郎、生きてるかー? 兄ちゃんが見舞いに来てやっ、たぞ……?」

 

 差し入れのシュークリームの箱を手に兄の一郎が固まる。

 無理もない。部屋には弟のほかに見知らぬ少女がいたのだから。

 

「あっあの、すみません! お邪魔しました!」

 

 すっかり顔を赤くした舞が挨拶もそこそこにしてその場を立ち去る。

 少ししてから玄関のドアが閉まる音がした。


「に、兄ちゃん。見舞いに来たの?」

「お、おお。それより、今の子は誰なんだ?」

「神代神社の巫女さんだよ。前に一緒にプール行ったときの」

「そ、そうか……」


 ふと床を見るとグラビア雑誌が落ちている。


「そうか、次郎。お前も大人の階段をのぼりつつあるんだな」

「余計なお世話だよ! にーちゃん!」


 そっと雑誌を優しく棚に戻す兄の気遣いがこの時は気に入らなかった。


 †††


 その頃、舞は逃げるようにしてたたたと走り、息切れがしてきたので歩き出して、はぁはぁと息を弾ませる。

 動悸(どうき)が激しいのはけして走ったせいだけではないだろう。


 ……アンジローも、男なんだね……。


 その時気付いた。土鍋を返してもらっていないことに。

 またアンジローの家に行って彼と顔を合わせないといけないのかと思うと、うら若き巫女はまた顔を赤らめた。


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