第38話 『A Spanish in Paris ~パリのスペイン人~』③
タクシーは15分ほどでヘアサロンの近くに到着した。スマホの地図を見ながら歩くと目的地、『ラ・ボーテ』はすぐに見つかった。ガラス張りの壁のドアを開ける。
「いらっしゃいませ。ココです」
電話で対応したココという名の受付嬢が笑顔で出迎えてくれた。
「予約したフランチェスカです」
「お待ちしておりました。ではこちらへどうぞ」
その頃、鏡が一列に並んだ二階のサロンではスタッフが客の髪をカットしていた。
「ちょっとあなた、もう1ミリカットして。バランスよく全体を見ないとダメよ」
「ウィ。ムッシューミッチェル」
新人スタッフの後ろで店長兼ラ・ボーテのオーナーでもあるミッチェルが指示しながら隣の席へ移動を。
「そんなハサミの持ち方しちゃダメ。それじゃ髪をキズつけちゃうわよ」
「ウィ。ムッシューミッチェル」
まったく……最近の新人は返事だけは良いんだから……。
ふぅと溜息をつくと、階段を上る音が聞こえた。
「あら? お客さまが来たみたいね。そこのあなた、対応を……」
だが、現れた客をひと目見るなりミッチェルは叫んだ。心の底から。
「ああ神様!!」
そこにいた全員が何事かと振り向いた。
「信じられない! 素敵な金髪だわ! まるで美の女神ヴィーナスみたい! この子はあたしが担当するからあなたは向こうでヘアカラーの調合でもしてなさい」
呼びつけたスタッフをしっしっと手で払うとすかさずフランチェスカのもとへ。
「初めましてミッチェルよ。フランス語はわかる?」
「は、はい」
「お客様、運が良いですよ! ムッシューミッチェルは美容技術コンテストで世界チャンピオンになられたことがあるんですよ」
「やめてちょうだいココ。あたしはいつまでも過去の栄光に囚われるような男じゃないわよ」
さ、こちらへと椅子を勧め、そこへ見習いシスターがちょこんと座るとすかさずカットケープがかけられた。
「それにしても素敵な金髪だわ。腕の振るいがいがありそう。これなんてどうかしら?」
ミッチェルがヘアカタログを見せるが、いずれも奇抜なヘアスタイルだ。
「あのー……別に普通でいいんですけど」
「ノンノンノン。普通なんてもったいないわよ。ナポレオンは『我が辞書には不可能という単語はない』と言ってたけど、あたしの辞書には普通という単語もないの」
そう言いながらフランチェスカの前髪をピンで留めていく。
「あなたイタリア人かしら? フランチェスカってイタリア人の名前だし」
「スペイン人です」と答えると「素敵!」と返ってきた。
「スペインって素敵なところよね。オペラの『セビーリャの理髪師』を思い出すわ。ガルニエ宮のオペラ座でピエールとね……あらやだ、あたしったら昔の恋人のことを……ごめんなさいね?」
「いえ、別に……」
はっきり言って他人の昔の恋バナなどどうでもよかった。
「あら? 髪痛んじゃってるわね。ダメよ、髪は女の命なんだから」
「こないだまでロンドンにいたから……」
「なんてこと! ロンドンの硬水で洗ったらそうなるわよ。たしかにここも硬水だけどその分、シャンプーにはこだわるの。うちは100%オーガニックだから安心して。それでどんなヘアスタイルをご所望かしら?」
「ですから、ふつうに……」
先を続けようとすると「ノン!」と遮られた。
「ダメよ! せっかくこんなキレイな金髪なんだから、神様からの素敵な贈りものを活かさないと」
「あたしの髪は神さまじゃなくてママからの贈りものよ」
「あたしには聞こえるの。この髪から私を自由にして、解放してっていう声がね。可哀想に……いますぐ解き放ってあげるわ」
ミッチェルがいきなりパンパンと手を叩く。それを合図にスタッフが道具一式がそろったワゴンを運んできた。
「さぁ! ショータイムよ!」とハサミをカチカチと鳴らす。
「だからフツーでいいんだってばぁああああああ!!」
†††
二時間後――
マルソー大通りでは道歩くパリジャンとパリジェンヌがざわざわとざわめいていた。
そのざわめきの元となっているのはとぼとぼと歩く修道服に身を包んだうら若き見習いシスターだ。
だが、人々の注目を集めているのは彼女の奇抜で大胆な髪型だ。
前髪はカチューシャのように編み込まれており、後ろはボリュームたっぷりにまとめられたのちに毛先はカールされて垂れ下がっていた。
かつてのフランスの王妃として有名なマリー・アントワネット並みのヘアスタイルは二度見どころか三度見は確実と言えた。
「だから普通でいいって言ったのに……これじゃさらし者よ」