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第36話 『REMEMBER ME』①


「――、――!」

 

 自分の名前を呼ばれたので縮れ毛に褐色の肌をした少年は振り向く。

 そこには20代後半くらいの精悍(せいかん)な顔つきをした男が立っていた。

 手にした黒の革張りのケースを差し出したので、受け取って蓋を開けてみる。

 すると中身はメイプルの木目が美しいバイオリンだった。

 ビロード調の内装に包まれたそれを手に取って顎当てに顎をのせ、弓を少し寝かせるように構え、四本の弦の上を滑らせるように弾くと繊細(せんさい)な音色が響く。

 少年が顔をあげて男のほうに前歯の欠けた笑顔でにかっと笑うと、男も笑顔で返してくれた。


 

「――、――ジョゼ! セニョールジョゼ!」

 

 自分の名前を呼ばれてジョゼという名の褐色の肌をした男ははっと目を覚ます。

 隣の座席の男のポルトガル語で夢から覚め、やっとここが飛行機の機内だと思い出した。


「すまない、夢を見ていたようだ。それでなにかな?」

「もうすぐ空港に着きます。その前にスケジュールの確認をします。いいですか? 到着次第、ホテルでお休みいただき、その後はインタビューを。夕食は予約した日本料理店にて会食を行います」

 

 ジョゼのマネージャーがスケジュール帳を見ながら当日の予定をすらすらと話すが、ホセは聞き流すようにしていた。


「話の途中ですまないが、どこか時間を空けることは出来ないか? 5時間、いやせめて2時間は欲しいんだが……」

「出来ません。明日は会場の下見とリハーサルがあります。明後日の本番まで時間はないのですよ」

「そ、それはそうだが……」


 マネージャーがふぅっと溜息をつく。


「いいですか、セニョールジョゼ。今回のコンサートはあなたの名声を世に知らしめる絶好のチャンスなのです。これを逃したらあとはないのです。今回はかなり無理を言って先方の企画したコンサートにねじ込んでもらったことをお忘れなく!」

「あ、ああ。わかった……」

「お分かり頂けたようでなによりです」


 キャビンアテンダントがシートベルトを締めるように言ってきたので、ふたりともその通りにする。

 ジョゼが窓のほうを向くと、眼下には陽光を受けて輝くビル群が広がっていた。

 窓に映った自分の顔を見て溜息をひとつ。


 やっと日本に来れたのに……。


 ちらほらと白髪が混じった頭をシートに預け、ふたたび目を閉じた。


 †††


 ホテルで休息を取ると、ロビーのカフェにてインタビューの開始だ。


「ミスタージョゼ、本日は弊社のインタビューを受けていただき、感謝します」

 

 記者の言葉をマネージャーが通訳してジョゼに伝える。


「ミスタージョゼ、まずあなたはブラジルのサンパウロの生まれで、スラム街で育ったとか……」

「はい。母親との二人暮らしでしたが、再婚相手が見つかるなり、すぐに捨てられました。孤児だったわたしにとっては毎日が貧困との戦いでした」

「今では本国では名の知られた遅咲きの名バイオリニストですが、バイオリンを手にしたきっかけはなんだったのでしょうか?」

 

 ジョゼは記憶をたどるように目を閉じ、ぽつりぽつりと話す。


「先ほども言いましたように、わたしはスラム街で育ちました。あの街で生きるにはなんでもやりました。ゴミ漁り、市場から食べものを盗んだり、スリなどもしました……」


 閉じていた目を開いてさらに続ける。


「ある日、わたしは街で見かけた日本人に狙いをつけて財布をすろうとしたのです。日本人は金持ちだと言われてましたから……」


 記者がさらさらとメモにペンを走らせ、「それで、どうなりましたか?」と続きを促す。


「財布をすろうとした手を掴まれたのです。殴られ、警察に突き出されると覚悟しました。ところが、彼はわたしを叱ったあと、信じられないことに家に連れてきて食事をふるまってくれたんです。あんな温かい食事は久しぶりでした」

「あなたにとっての恩人なのですね?」

「はい。それからわたしは彼の家に遊びに行くようになりました。ある日いつものように遊びに行ったとき、彼からバイオリンを渡されてそれ以来、バイオリンを弾くようになったのです」


 ジョゼは当時の記憶に思いを馳せながら記者に語って聞かせる。

 そのあとは質疑応答に答え、意気込みを話すとインタビューは終了した。


「ありがとうございました。コンサート頑張ってください!」

「こちらこそありがとうございます」


 立ち上がって固い握手を交わして別れを告げる。

 エレベーターに乗って部屋へと戻り、窓際の椅子に腰かけて溜息をひとつ。

 日はすでに落ち、夜の(とばり)が訪れようとしていた。上着の内ポケットから一葉の写真を取り出す。

 そこには自宅の前で撮られたであろう、夢で見た恩人が映っていた。

 古いカラー写真をしばし見つめたのちにふたたび内ポケットへとしまい、静かに目を閉じた。


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