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第33話 『フランチェスカ、京都へ行く』⑧


 「ただいま」と自宅兼置屋の戸を開いたのが午後四時半。

 玄関で靴を脱ぐと、廊下の電話台にて多江が電話でやり取りをしているのが目に入った。


「……はい、はい。そうなんどす。申し訳あらしまへん……」


 頭を下げて、受話器を戻してふぅと溜息を。

 顔をあげるとふたりが帰ってきていたことに気付く。


「お帰り。観光はいかがどしたか?」

「はい! 良かったです!」

「母さん、いまの電話は?」

「それが、松ちゃんが体調を崩してしまって……今夜、お座敷の予約があったんやけど、キャンセルしたところで……」


 ふと、ふたりを見て多江の頭にぴんと閃くものがあった。


「そや! フラちゃん、お座敷に行ってみぃひん? 舞、あんたも同伴頼むわ」

「「ええっ!?」」と異口同音。


「ちょ、ちょっと待って! 気は確かなの? あたしたち舞妓の経験なんてないわよ!?」

 

 娘の反論に母は「大丈夫、何も心配あらへん」と手を振るだけだ。


「松ちゃんの代わりに竹ちゃんに出てもらうさかい、おふたりはお酌や話を合わせるだけでよろしゅうおす。フラちゃん、引き受けてくれまへんやろか?」

「そ、そう言われましても……」


 またあの着物を着られるのは嬉しいが、動きにくいし、疲れるしでやりたくないのが正直な話だ。


「フラちゃん、乗り気やないようで残念やわぁ……お客さんからお小遣いいただけるかもしれまへんのに……」


 お小遣いと聞いてがめつい見習いシスターの耳がぴくりと反応する。


「い、いえ! やります! ぜひやらせてください!」

「ちょっ! フランチェスカ! あんたまでなにを……!」

「まいまいこそ何を言ってるの! 目の前に困っているひとがいるのを放ってはおけないじゃない!」


 だが、舞ははっきりと見た。フランチェスカの両目に『¥』がくっきりと浮かびあがっているのを。

 くるりと多江のほうを向き、ぎゅっと優しく手を握る。


「神を信じる身でありながら、消極的な態度を取ってしまった自分が恥ずかしいです……ですが、いまは目から鱗が落ちたかのようにはっきりと物事を理解出来ましたわ(使徒言行録第9章)」

「フラちゃんならそう言うてくれると信じてましたわぁ。ほなさっそく電話を入れてきますさかい」とぱたぱたと電話台へ向かう。


「よかった。まいまいもやってくれるでしょ?」

「ついでに¥マークも落ちてしまえ! あとまいまい言うな!」


 †††


 夕刻。

 祇園内の料亭の一室。テーブル上には懐石料理が色とりどりの器に盛られていた。

 そのなかで(うたげ)の主役であり、客でもある観光協会の会長が部下の世辞にがははと笑い声をあげながら料理に舌鼓を打つ。

 その時、仲居が失礼しますと(ふすま)を開けて入ってきた。


「舞妓のかたがお見えにならはりました」

「おお。やっと来たか」


 仲居が頭を下げ、入れ替わりに艶やかな着物に身を包んだ見目麗しき三人の女性が姿を現した。

 摺り足で畳の上を滑るように歩き、卓を挟んで会長の正面までくると正座して深々と頭を下げる。


今宵(こよい)、松風の代理で参りました竹春と申します。どうぞお見知りおきを」


 頭を上げ、傍らの頭を下げたままのふたりを指す。


「こちらのふたりは舞妓の見習いとして連れて来ました。お詫びとしてはなんどすが、せめてお酌だけでもと思うた次第どす」


 竹春が「挨拶を」と言ったのを合図にふたりが「はい」と顔をあげる。


「おフラと申します。スペインから来ました。何卒お見知りおきを」

「お舞と申します。ふつつか者ではありますが、よろしくお願いします」 

 

 自己紹介を終えて再び頭を下げる。お舞こと、舞は相手に見えないよう苦虫をかみつぶしたよう顔をしていた。


「では踊りを踊らせていただきます。ふたりともお酌頼みます」


 竹春に言われ、舞がはっと慌てて頭をあげる。すでに苦虫をかみ潰す表情はないが、その笑顔はぎこちなさがあった。


 †††


 地方(じかた)と呼ばれる三味線弾きの伴奏に合わせて竹春が扇子を手に舞うなか、おフラとお舞のふたりは観光協会の会長を挟むようにしてお酌を。

 つるりとはげあがった禿頭(とくとう)からがははと笑い声が上がり、左右の見習い舞妓からお酌を受ける。


「いいぞいいぞ! おひねりたんまり弾むわ!」

 

 ぐいっと(さかずき)を傾け、ぷはぁっと酒精を吐き出す。


「しかし、松風の代わりに来た舞妓さんも別嬪(べっぴん)だが、こっちのふたりも可愛いらしいのぉ」とフランチェスカのほうへ赤ら顔を向ける。

「あ、ありがとうございます……」

「嬢ちゃん可愛いから、おひねりやるわ!」


 そう言うなりおひねりの入った袋をいきなり着物の前合わせへと。


「きゃっ!」

「おぉっとぉ! 手が滑ってしまったわ! 堪忍したってぇな」とまたがははと笑う。

 こみ上げる怒りで拳がぷるぷると震える。

 舞が落ち着けとでも言うようにアイコンタクトを。


「い、いえ。お気遣いなく……」


 にこりと微笑むその顔はひくひくと引きつっていた。

 

「あのぅ、お客さんは観光協会の会長さんですよね?」

「せや。いやー毎日毎日(せわ)しのうてのぅ、お座敷遊びでもせんとやってられへんのよ」


 ぶつぶつ愚痴をこぼしてまた盃を傾ける。


「それでしたら、最近マナーの悪い観光客が増えてきていることはご存知ですよね? ここに案内パンフを各国語に翻訳したものがあるんです……」

 

 舞がフランチェスカの翻訳したノートを取り出す。彼女が恥を忍んで見習い舞妓としてやってきたのは会長に直談判するためでもあった。だが……

 

「ああ! うるさくてかなわんわ! せっかくの酒と料理がまずくなるやろが!」と不満を露わにしただけだ。

 目の前の男のやる気のなさに舞はぐっと堪える。

 ちょうど竹春の舞が終わったところだ。会長がぱちぱちと拍手しておひねりを放る。


「いやあよかったわ!」


 ちらりとフランチェスカのほうを見やり、別の盃にとくとくと日本酒を注いで彼女へ渡す。


「嬢ちゃんも飲んでみんか? ほれ、くいっと」

「は、はぁ……ではいただきます」

 

 日本ではまだ未成年だが、彼女の母国であるスペインでは立派な成年だ。

 

「美味しい……!」

 

 初体験の日本酒に見習いシスターが目を輝かせる。


「やろ? 嬢ちゃんイケる口やね。ささもう一杯」


 なみなみと注がれた酒をくいっとひと息に飲む。そしてふぅっと酒精を吐き出す。

 白化粧の施された頬にほんのりと朱が差し、色香が漂いはじめた。

 だが、その目はとろんとしており――


 ひっく。


 †††


「か、堪忍しとくれやす!」

「うるさい! 馬なんだから文句言わずに歩く!」


 ばちんっと尻をはたかれて、ひぃいと情けない声をあげながら会長がフランチェスカを背中に乗せて畳の上を這う。

 

「フラちゃん! もうやめてあげて!」

「お、おい君! いいかげん会長から降りたまえ!」

 

 だが、髪を振り乱してきゃははと笑う酒乱状態の見習いシスターを止める術はない。

 やがて会長の疲労が極限に達し、口からぜぇぜぇと喘ぐ。


「も、もうこれ以上は……」

「なぁによぉ。男のくせにだらしないわね! あんたはいいわよ。ここにいる舞妓さんも含めて、マナーのなってない観光客に地元がどれだけ迷惑しているか苦労も知らないで……!」

 

 またばちんっと叩く音。


「フランチェスカ! もうやめなって!」


 後ろから舞が押さえる。


「あんただけが大変だと思ってたら大間違いよ!」


 びしっと指さしたかと思えば、そのままかくんと眠り、たちまちくかーと寝息を立てはじめる。

 当然ながら酒乱見習いシスターによって荒れた座敷はお開きとなった。


 †††


 翌朝。置屋兼舞の自宅――


「うぅ……頭いたぁ……」


 二日酔いでがんがんする頭を押さえて顔をしかめるのはフランチェスカだ。


「あんた何も覚えてないだろうけど、昨夜ホントに大変だったんだからね!」

「ちょ、そんな怒鳴らないで……頭に響くから」

「まあまあ舞お嬢ちゃん、そんなにフラちゃんを責めないで」

「元はといえば私が体調を崩したのがいけないんどす……」


 朝食の席にて舞がフランチェスカをたしなめ、周りがまあまあとなだめる。


「いずれにせよ、会長さんのところへお詫びに行かないと……」


 その時、廊下の電話が鳴ったので多江が席を立つ。

 襖が閉められ、しばらくしてからやり取りが聞こえてきた。

 

「はい、はい……大変申し訳あらしまへん……え? はい……」

 

 会話の内容からして、相手は観光協会からだろう。一瞬にして場が静まった。ただごくりとフランチェスカが唾を飲み込む音だけが響く。

 がらりと襖が開いたので、全員が多江のほうを見る。

 

「ねぇ、母さん。いまの電話ってもしかして……」


 多江がこくりと頷く。


「会長さんから観光協会へ来るよう言われたどす。フラちゃんと舞も一緒に来るようにとのことどす」


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