第32話 『Mona dama Mexicana!』⑤
その日の孤児院の夕食はワカモレとソパ・デ・フリホーレスと呼ばれるうずら豆のスープだった。
「主よ。いつもと変わらぬお恵みに感謝します。アーメン」
いつもはマリアおばさんが食前の祈りを唱えるのだが、今回はフランチェスカが祈りを捧げる。
全員が「アーメン」で締めくくると、おもむろにスープをひとくち。
「んーおいしっ! やっぱりマリアおばさんの料理の腕はピカイチだわ!」
メキシコ方言で舌鼓を打つ。次いでワカモレをトルティーヤにつけて口に運ぶ。
ワカモレはアボカドをペースト状にしたメキシコの代表的な料理だ。ライム汁の酸味が程よい。
「ね、フランチェスカおねえちゃんはいつまでここにいるの?」
「あさってまではいるわよ。内緒で休み取ったからあんまり長くはいられないの」
ルピタの問いに答えると、彼女は残念そうな顔をする。
「もっとあそびたいのに……」
「ルピタ、困らせないで。パコ、肘つきながら食べない!」
そのあとは思い出話に花を咲かせて談笑し、食事を終えて食卓から食器が下げられる。
†††
「それじゃみんな、おやすみ!」
「「「おやすみなさいマリアおばさん」」」
全員がベッドに入ったのを確認してからドアを閉める。
「さ、あんたはこっちよ」
連れられた部屋は机とベッドしかない質素そのものであった。
「懐かしい! 前と変わらないのね」
「急なお客さんをいつでも泊められるようにしてあるからね。今回はあんただったというわけだけど」
おやすみを言い残してドアが閉まるとたった一人になったフランチェスカはベッドにどさりと倒れ、ごろりと横になって「んーっ」と伸びをひとつ。
昨夜メキシコシティーに着き、バスで揺られながらやってきたのだから無理もない。
壁に掛けられた十字架をそれとなく見てから寝ようと目を閉じた時――
コンコンとノックの音。
「誰? マリアおばさん?」
傍らのサイドテーブルのランプをつける。
おそるおそると開けて顔を覗かせたのはルピタだ。
「ルピタ? どうしたの?」
「はいっていい?」
「もちろんいいわよ」
そう答えると少女の顔がぱっと明るくなった。ルピタが部屋に入ると彼女が本を手にしているのが見えた。
「あのね、ねむれないから、このほんよんでほしいの」
差し出された絵本の表紙には親亀の上に子亀が乗った絵だ。
「懐かしい! 前に読んであげたことがあるやつだわ」
「そうなの?」
「うん。あたしがまだスペインの神学校にいたとき奉仕活動でモロッコに行ったとき、むこうの子どもに読んであげてたの。さ、こっちきて」
ぽんぽんとマットを叩くと、そこへルピタが潜りこむ。
†††
わあっ! とはじめて海を見た子ども亀は大喜びしました。
いつかまた一緒に行きましょう。そうお母さん亀と約束してふたりは家へと帰りました。
「おしまい」と締めくくると、ルピタが「ねぇ」と呼びかける。
「なぁに?」
「あたしのママは、どうしてあたしをすてたの?」
「それは……」
一瞬言葉に詰まる。ルピタは産まれてすぐに孤児院の前に捨てられたのだ。
「きっと事情があったのよ。いつか戻ってくるわよ」
「ほんと? ママはあたしのこときらいじゃないのかな……」
「ね、ルピタ。世の中にはいろんな家族の形があるの。お母さんしかいない家族、お父さんしかいない家族もあるの。必ずしも両親がいるわけじゃないの」
「うん」
「ここも家族のひとつよ。マリアおばさんは好き?」
「すき。ママだとおもってる。でもおねえちゃんもすき」
「あたしも好きよ。ルピタは将来なりたい夢ってある?」
「がっこうのせんせい!」と元気よく答える。
「良い夢ね。なりたい夢を持つのは良いことよ。中には、生まれたときからすでに運命が決まってるひともいるから……」
フランチェスカの表情が曇ったのでルピタが心配そうに聞く。
「おねえちゃんだいじょうぶ?」
「ごめんなんでもない。平気よ。今夜は一緒に寝よっか?」
ルピタが嬉しそうに頷いたのを見て、ランプを消す。
闇に包まれ、窓から星の煌めきが差すなか、ルピタの寝息を聞きながらフランチェスカは天井を見上げる。
「運命、か……」
そうぽつりとつぶやいてから目を閉じる。