悪夢と現実
加筆修正しました。(2018年8月9日)
幼い俺は背筋のピンと伸びた爺さんの背中を見つめていた。爺さんは一度もこちらを振り返ることもないがいつも逃げようとすると爺さんがゆっくりと語ってくる。
「ちゃんとついてきなさい」
たった一言だが多くのことを語るよりも強い説得力を感じた。俺はいつもその言葉で逃げることを諦める。
おとなしく爺さんの後に続いていくと、爺さんが昔現像のために使ったと思われる暗室についてしまう。
爺さんは扉にかかった鍵を古い鍵で開け、俺が先に入れるように扉の前から離れ、俺の後ろに立つ。
俺は服の裾をもち、爺さんに怖がっていることを必死に隠してそっと扉を開ける。扉はガラガラと音を立てて開くと俺の目の前に暗室が現れてしまった。
暗室内は昔爺さんが現像したまま放置された写真や道具の上に埃がつもり、棚の中に多くのアルバムがまるで満員電車の車内のようにぎっしりと詰め込まれたままとなっている。
部屋の中央に鎮座している椅子は古い。長年座られた椅子の綿は潰れて薄くなっている上濃い緑だったのだろうが今は色あせて薄い緑となっている。
中央には俺の席が用意されていて俺はおそるおそる腰かけた。
椅子はギシギシと座るたびに音を立てる。なるべく音を立てないようにするがそれでもかすかに音が鳴る。
爺さんはゆっくりと扉に鍵をかけると廊下から部屋へと差し込む唯一の光が消え、完全な暗闇と化す。
爺さんの足音が暗室に響く。コツコツという音が俺の後ろからゆっくりと俺の横を通過し、正面でその音が止まる。
爺さんの不気味な目はまるで暗闇で光るおもちゃのようだ。
「では今日も始めよう」
爺さんは何も見えないはずなのにスムーズにレコードの針を落とした。曲名は知らないがよく聞いたことがあるようなクラシックの音楽が流れる。
それと同時に頭の中に爺さんの声が響いて俺の中に侵入してくる。爺さんの声が響くたびにズキズキと頭痛が起きる。
苦しさで目を閉じようとしても、もがこうとしてもまるで人形にでもなったかのようにピクリとも動けない。
突然椅子が大きく揺れる。どこからかクラシックをかき消すように複数人の悲鳴が聞こえる。揺れは次第に大きくなり、背中からの強い衝撃で体が椅子から投げ出される。悲鳴は先ほどよりも小さくなっている。どこからかクラシックの音楽をかき消すように何かの声が体を震わす。その声に反射的に目を閉じた瞬間に頭に強い衝撃が訪れた。
俺の視界が真っ赤に染まっている。どうやらそこが暗室ではなく原型がほとんどないがかろうじて電車内だというがわかる。
俺の体は床と何か重たいものでサンドイッチのように挟まれていた。体がやけに濡れているのは先ほどの悪夢での冷や汗と事故による血のせいだということが少ししか動かない首でもわかる。
ただ不幸中の幸いというべきなのか、頭部以外の血のほとんどは周りからかすかに聞こえるうめき声と人だったのものから流れる血だ。
瓦礫の中をドシドシと闊歩する影が俺の近くで止まった。ちょうど俺の上に乗っている何かが姿を隠したままそいつの姿を見ることを可能とした。
そいつは約2mの体を持つ怪物だった。
この怪物は鳥とトカゲをミックスしたような姿だ。
体のほとんどは鱗で覆われており、頭部や翼は鳥のようで、翼やトカゲのような尾にはツメや刃が生えている。
頭部はほとんど鳥だが眼球は怪物特有の黒い目の中央に青い瞳が違和感と恐怖心を生み出す。
「グルル」
唸り声をあげながら生存者を探している。音を立てないように一呼吸するのにも時間をかけて気配を消す。
「誰か助けて、足が」
瓦礫で見えない位置の人が助けを求める。今声を出せばこの怪物の格好の餌食だが、危ないのは俺も一緒だ。
「グルル、グ、ダ、ダレ」
怪物は急に足音を立てぬようにそっと歩き、首を動かして探しながら声のする方へと移動する。俺の死角に怪物が移動する。俺からは離れていったようだ。声の主には感謝したいくらいだ。
「ダレカ、ダレカ、イルカ」
「誰かいるの?足が挟まって動けないの、お願い」
「イマ、タスケル、ドコ、ドコ」
怪物は語り掛けて声の主を探す。その声は擦り切れる寸前のカセットテープのような音だ。俺は今のうちに何か出来ることがないか探すが、サンドイッチ状態では動くことは出来ないため何も出来ない。
それどころか体はまるで石になったかのように動かなくなり、意識が少しずつ薄れていく。
「こっちよ、早く助けて」
「ミツケタ、ミツケタ、タスカル」
「えっ……もしかして怪人なの?」
声の主は異形の姿となった人間である怪人と勘違いしているようだ。
「ソウ、ソウ」
「よかった、足の感覚がもうないの、助けて」
「スグ、ラク、ナル」
「め、目が……怪物……誰か助」
「ナル、ル、グ、グルル」
意識がもうほとんどなく、怪物のクチャクチャと汚い食事の音も聞こえなくなっていった。