01-6.旅立ちと皇国の末路
辺りがすっかり暗くなったころ、テレジアの元にヒグドナが帰ってきた。
「……どうしたんだ?」
「うう、ヒグドナぁ……」
テレジアは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、ヒグドナを見た。
焚き火に照らされて、いっそう情けない顔になっている。
手元には閉じられた赤い表紙の日記があった。
「ロジーナさんの日記、とても良かった……。最後の方なんか、特に、悲しくて……」
まるでおとぎ話でも読んだかのような感想を、ヒグドナに述べ、本を見せる。
ロジーナの旅は、生涯をかけたものだった。
その中で、数え切れないくらいの出会いと別れを繰り返し、テレジアはその度に心を打たれ、しまいには涙を拭うことすら忘れて読み更けていたのだ。
「ヒグドナ、大変だったね……」
彼の過去の話も書かれており、端的ではあったものの、彼がどういった目にあって、ロジーナに救われたのか書かれていた。
ヒグドナは、呆れたように首を振ると、切り替えて言った。
「……すぐ荷物をまとめろ。行くぞ」
「えっ? もう?」
「オークの連中も人間がおかしな行動をとっていることに気がついてる。向こうの攻撃が始まれば、すぐにでも森が暴れ出す。それまでに抜けないと巻き添えをくうことになる」
そう言われると、森がなんだかざわついているように見えた。
テレジアは急いで涙でぐしゃぐしゃになった顔をぬぐい、荷物をまとめて焚き火を消した。
ふたりはそれから北西に向かって歩き続け、数日が経ったころ、ようやく森を抜けた。
見渡す限りの草原が地平線まで続いている。
沈みかけた太陽が、草の海を赤く染めていた。
「今日はここで野宿だ」
「すぐ後ろが森だけど、大丈夫?」
「ああ。ここの個体は向こうと繋がっていない」
「別人ってこと……?」
ヒグドナは足を止めて腰を下ろすと、テレジアに聞いた。
「そういや、目的地を聞いてなかったな。どこか行きたいところはあるか?」
「えっとね、日記にあった、グラウレンってところに行きたい。空を飛ぶ魚とか、光る木の葉とか、見てみたい」
「グラウレンか……。俺もロジーナから話は聞いたことがあるが、行ったことはないな。ここからかなり遠いぞ」
「遠い方が、旅を長く楽しめるでしょ?」
そう言って、テレジアは笑った。
そして、何かを思い出したように、青い表紙の手帳を荷物から取り出す。
「それはなんだ?」
「日記! ロジーナさんのマネだけど、私もやってみたくて」
「続くのか?」
「続けるよ! そして、これを読んだ人が、自分も旅に出てみたいなって、そう思うような日記にするの」
「そうか。がんばれよ」
真っ白な一ページ目を開いて、テレジアは最初の日記を書き始めた。
この手帳がいっぱいになるまで、どのくらいかかるだろう。
期待に胸を膨らませながら、地平線を眺めた。
アルフレド皇国は全軍を上げて兵器の運搬を行った。
目指すは西に広がる広大な森である。
「数々の同胞たちを飲み込んでいったこの森に罰を与える時が来たのだ!」
騎士団長は声を張り上げて叫んだ。
兵士たちもそれに賛同し、大いに滾っていた。
テレジアが爆破した武器庫は事故だったことになっていた。
報復を恐れた騎士団長がテレジアのことを隠したためである。
すべての道具を揃え直すのに二十日ほど時間を要した。
しかしながら、大砲、投石器、火矢、と武装の準備は万全である。
「全軍、一斉射撃!!」
団長の指示で攻撃は放たれた。
大砲の爆発や投石で、木々はなぎ倒され、そこに火がついて燃え広がっていく。
騎士団長は悦に入っていた。
なんてことはない。
この広大な森も皇国の領土となり、オークの持っている資源があれば、戦力増強も図れる。
オークが何も持っていなかったとしても、彼には関係なかった。
それは、そもそもオークを奴隷として捕らえようと目論んでいたからである。
誰もが、障害など起こり得ないと思っていただろう。
建国してから何度も戦争をして勝利を収めて来た。
国力は充分、集落ひとつに手間取る要素など皆無なのだ。
たかが森、そう侮っていた彼らに信じられない出来事が起こった。
「団長! 森が、森が動いています!」
「どういうことだ!?」
木の一本一本が裂け、口のように開いた枝葉が大砲の弾や大岩を飲み込んでいく。
目の前で見ている者たちにも何が起こっているのか理解できなかった。
木の根が盛り上がってその巨体を持ち上げ、猛烈な勢いで兵士たちに向かってきているのだ。
「撃て! こちらへ近づけるな!」
団長は命令を出したが、攻撃は全て謎の口に飲み込まれ、消えていく。
突如、足元の地面から大量の木の根が飛び出した。
「な、なんだ!?」
「うわっ!!」
兵士たちの体を貫き、地面に固定する。
その一撃で絶命した者はまだ良かった。
意識のあるまま向かってくる怪物樹に踏み潰され、飲み込まれていく者たちは苦痛の叫びをあげる。
「離せ! おい、聞いてるのか!」
団長が必死にもがいても、体に絡みついた木の根がほどけることはない。
大木に踏み潰され、全身の骨が砕ける音も、内臓が破裂する音も、彼は聞くことなく、絶命した。
一瞬で前線は総崩れとなった。
後悔する暇すら与えられぬうちに、万全の準備をしていたはずの全部隊は壊滅した。
森は人間だけを確実に捕えて、殺していったのだ。
しかし、それだけでは侵攻は止まらなかった。
オークの行っていた準備とは、アルフレド皇国のあった場所を、完全に森と化す準備であった。
縦横無尽に、皇国の領土を覆い尽くすように、木の根が張っていく。
地面が盛り上がり、ひび割れ、人間を捕えて食らう。
その現象は皇国の城下町や王宮内部にまで及んだ。
森が人を無差別に養分としていく様子は、禁忌に触れたことを実感するには充分すぎた。
何をしても止められないことを悟り、王は死の直前になって、ようやく自分が間違っていたことに気がついたのか、小さく謝罪の言葉を述べ、木の根に貫かれた。
こうして、アルフレド皇国は一夜のうちに滅んだ。
領土は全て森と化し、その地で二度と人間が繁栄することはなかった。