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08-4.星を辿れば

テレジアは、血溜まりに倒れこんだヒグドナの傷を手で抑えた。

右手も怪我でうまく動かず、道具も何もない。


「ヒグドナ、死なないで……」


体温の下がっていくヒグドナを、泣きながらどうにかしようと足掻く。

テレジアにももうわかっている。

ヒグドナは死んだ。


冷たくなったヒグドナから離れて、テレジアは地面を殴った。

血が出ても構わず、何度も殴りつける。


やがて疲れ果て、ヒグドナのとなりに座り込んでいると、空が明るくなったころに、ガウェインが慌ててやってきた。

そして、血まみれの洞窟内と、転がったヒグドナの死体、肩に銀の矢の突き刺さったテレジアを見て、立ち止まってしまった。


「お前、これ……」

「ガウェイン、ヒグドナを運び出して」

「……ああ、わかった」


ガウェインは何も聞かず、外に待機していた部下たちへ声をかけて、布で作った担架を持って来させた。


「テレジアも治療を」

「私は大丈夫。この矢だけ抜いてくれる?」


ガウェインが傷口に布をあてがい、銀の矢を引き抜く。

痛みに顔を歪めるが、それほど深く刺さっていなかったのか、薬草の軟膏を塗ると血はほどなくして止まった。


「お前、その左手どうしたんだ?」

「アムカにやられた。やられたのは左手だけで済まなかったけど」


運ばれていくヒグドナを見て、テレジアは力なくそう言った。


「……ヒグドナ、何て言ってた?」

「え?」

「教えて。何を言ってたのか、知りたいの。私が正気に戻った時には、もうヒグドナは死んでた。最後に、話せなかった。私が殺したのに!」


段々と声が大きくなる。

押し殺していた涙が溢れ、テレジアの頬を伝う。


「なんで、私、ヒグドナのこと、見えてたのに、止められなかった。楽しかったの! 剣を振るたびに、褒められてるような気がして、ヒグドナを切った時なんか、本当はダメだってわかってたのに、嬉しかった!」


褒めてくれる誰かの声が聞こえたわけではない。

しかし、どこからかそんな声が聞こえたような、そんな気がしたのだ。


今となれば、それが幻聴だったことはわかる。

架空の誰かの声がして姿が見えるなど、戦場でよく聞いた話だ。

自分がその立場になってみると、それがいかに抗えないものであるか、思い知った。


「もう休め、テレジア。今は何も考えるな」

「できるわけないでしょ! そんなこと、もう私、頭の中いっぱいで!」

「ヒグドナさんは、お前にやりたいことをさせてやってほしい、と俺に頼んできた。最初から刺し違えるつもりだったんだろう。情けないが、分かった時には眠り薬を飲まされてしまっていた。俺が止めていれば、こんなことにはならなかった。すまない」


頭を下げるガウェインに、テレジアは何も言わなかった。

ヒグドナはきっと、止められてもひとりで来ただろう。

彼がそういう人物であることは、テレジアも分かっていた。


言葉が出てこなくなり、下を向いてただしゃくりあげるだけしかできなくなったテレジアを、ガウェインはとなりでずっと待っていた。

長い間泣いていたテレジアも、やがて涙が涸れ、なんとか立ち上がれるくらいになった。


「おぶってやるから、乗れ」

「そんな、悪いよ」

「お前はもう充分すぎるほど頑張った。ちゃんと体力が回復したら、やらないといけないことが山ほどあるだろ」


半ば強引に、テレジアはガウェインに背負われ、山を降り始めた。

その間、ガウェインは一言も喋らなかった。

テレジアは慰めの言葉を欲しているわけではないことを、よく理解しているからだろう。


背中で揺られていると、ヒグドナとの思い出が、浮かんでは消えていく。

アルフレド皇国のことから始まって、いくつも町を巡り、ここへたどりついた。

その旅路で、今まで知らなかったことをたくさん教えてもらえた。

狩りや草木の見分け方など、ヒグドナは知っていることの全てを教えようともしていたように思う。


ヒグドナの死体は、丁寧に埋葬された。

会ったばかりであるはずのユノは、泣きわめいて別れを悲しんでいた。

彼女がグラウレンに埋葬したいとデルガルトや他の集落の人間を説得して回り、ヒグドナはこの島に墓が作られることになった。


二十日ほどで埋葬と葬儀は完全に終り、ヒグドナの墓はグラウレンの中腹に堂々とした大きさで作られた。


「俺たちはまだしばらくあの場所に停泊している。帰る時になったら教えてくれ。どれだけでも、待っているからな」


ガウェインはそう言ってくれたが、やはり待ってもらうのも気が引けるため、迎えに来てもらうことを約束して、一度帰ってもらうことにした。

テレジアは、ひとりでグラウレンを登り始めた。

まだ、山頂まで行っていない。

あそこまで行って、初めてこの旅が終わるのだ。

いつからか、ちらちらと雪が降り始めていた。






グラウレンの山頂は、雲の上だった。

テレジアは外套を着て、寒さに耐えながら登っていた。

雪は、ずっと降り続いており、風も強い。

時折岩陰で身を休めながら、山頂を目指した。

濃霧のような雲の海を越え、そこを抜けると、遮るもののない満天の星空と、果てしなく続く雲の海が広がっていた。

そして、山頂は平原のように平たく広がっており、淡い青色に光る樹木が立ち並び、光の泡を、天に向かって吐き続けている。

その間を、透明で骨の見えている魚が泳いでいる。


「ここが、目的地……」


テレジアが初めて発した言葉は、それだった。

後れて、色んな感情が溢れ出す。


「……はは、すごい、すごいよ。この木、何でできてるんだろう? ねえ、ヒグドナ?」


そう言って後ろを振り返っても、誰もいない。


(一緒に、見たかったな……)


テレジアはそんなことを考えながら、光の平原を歩いた。

風もなく、雪も降っていない。

透明の魚は、樹木から生まれる光の泡を食べているようで、一か所にとどまっているものや、忙しく動き回っているものがいる。


その間を抜けていると、木の生えていない場所があった。

そこには、石で作られた椅子がひとつだけあり、足の部分にある人物の名前が彫られていた。


「ロジーナ……。これ、ロジーナさんの作った椅子なの……」


椅子に座ってみると、空を眺めるような角度になっていた。

その空には、星が輝いているものだとばかり思っていたが、よく見ると、それぞれ微かに動いている。

それはまるで違う世界のようで、テレジアは息を飲んだ。


「これが日記にあった、この世とあの世の境目なのかな」


テレジアは外套を毛布のように被り、椅子に腰をかけて空を眺め続けた。

透明の魚たちはテレジアに構わず辺りを飛び回る。


この空が死後の世界だとすれば、あの星は、死んだ人たちなのだろうか。


(あの中に、お父さんやヒグドナがいるのかな……)


もし、ヒグドナがいるとすれば、ロジーナとも会えたのだろうか。

星は何も語らない。

その煌びやかな光を、ただテレジアに見せているだけだ。


グラウレンでは死人が甦ることがあるというが、それを望んだ誰かに指定できたら、どれだけ悲しむ人が減るだろうか。

テレジアはヒグドナが動き出すまで待ってみようかとも考えたが、生き返った人が死んだ人と同じ意識を持っているかどうかはわからない。

アムカなど良い例であり、ヒグドナをもう一度この手で殺さなければならなくなるのは、想像しただけでつらいことであった。


だから、テレジアは待つことはしなかった。

ヒグドナは死んだのだ、と自分に強く言い聞かせて、この山をのぼってきたのだ。


「なんだか、眠くなってきちゃった。……おやすみ、ヒグドナ」


テレジアは外套で口元まで覆い、冷たい椅子の上で、眠りについた。

外の空気は確かに凍えるほど寒いというのに、まるで温かい家で眠っているかのように、本当に久しぶりに、深い眠りに落ちることができた。

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