08-3.最期
ガウェインの連れて来た部下は、気の利くものばかりであった。
ヒグドナとエルフの村人を別のところに寝泊まりさせ、デルガルトたちとはできるだけ会わないようにしてくれたのだ。
大鉈が届いた日、ヒグドナはガウェインに最後の確認をした。
どのようにテレジアと戦い、助けるのか。
ガウェインの持つ黒曜剣という名の巨大な剣は、テレジアにも断つことはできないだろうと言っていたが、怪力で押されることはあるかもしれない。
仮住居の中では、ランタンがいくつも吊るされていた。
敷かれた絨毯を橙に染めている。
エルフの移動式住居を改修したものなのだろうが、まるで豪邸の一室のような家具が置かれている。
「ヒグドナさん、私は全力でテレジアを倒す、いえ、殺すつもりです」
杯に入れられた酒を飲みながら、ガウェインは言う。
「でなければ、こちらがやられるでしょう。ヒグドナさんもそのつもりでいた方がいい」
彼はたびたびそうやって、その言葉を口にする。
無自覚にせよ、テレジアを殺してしまった時のため、心の傷を軽くするために、口にしているのだろう。
殺してでもテレジアを助ける、と本気で思っているのなら、もっと荒っぽいやり方はいくらでもあるはずだ。
ヒグドナは彼を安心させるように、フッと笑った。
「心配するな。おれは誰も殺すつもりはない。テレジアは必ず助ける」
「ですが――――」
「ひとつ約束しておいてくれ。テレジアを助けたあと、あいつにやりたいことをさせてやってほしい。何を言い出すかはわからんが、あいつはあの歳になるまで、楽しむことを知らなかったようなやつだ。旅をこのまま続けさせてやりたい」
「ヒグドナさん、もしかして……」
ガウェインはそこで、気を失うようにして、机に突っ伏した。
酒に混ぜられた睡眠薬が、ようやく効果を発揮したのだろう。
「これはおれの恩返しだ。だから、お前には悪いが、任せられん」
ヒグドナは使う予定のあった弓矢と大鉈を持って、ひとり静かに森へ分け入った。
夜の森は、自然の奏でる音や虫の声がして、心地が良い。
自分がオークだからだろうか、こうしてたくさんの環境音に身を任せると、自然と一体になったような感覚がする。
登山道にそって昇り、あの墓のあった洞窟へとすぐにたどりついた。
奥へ入ると、アムカがやっていたように、テレジアも墓の前で待っていた。
片膝を立てて座り、右肩と首で剣を挟み込んでいる。
「よう、待ったか?」
ヒグドナの声に、テレジアは反応しない。
代わりに、ざわざわと黒い霧が、テレジアの体から染み出るようにして溢れ、体を包んでいく。
「剣聖じゃないと敵対しないかと思ったが、関係ないようだな。一安心したぜ」
テレジアはゆっくりと立ち上がり、右手に剣を持った。
その剣もガリンデルガによって作られた黒い剣で、刀身には赤く発光する溝がある。
「俺にできる最後の手助けを、始めようか」
ヒグドナは弓を構え、テレジアの左へ向かって放った。
テレジアは素早く、その矢から距離をとるようにして、右へ飛ぶ。
そこへ、既に放たれたヒグドナの矢が迫る。
並の人間であったなら、これだけで勝負がつくほど、完璧な位置への誘導と射撃。
テレジアは片足だけ地につけ、体勢を崩したまま、矢を剣で叩き落とした。
(あれを弾くか!?)
倒れ込みながら、器用に剣で地面を突き、跳ねあがる。
左手がないことの不利は、それほど感じられない。
テレジアの着地に合わせて、矢を放つも、具足のついた足で蹴り上げられる。
どうやら、どんな体勢、どんな角度からの矢も弾き落とすことができるようだ。
ヒグドナにできることは、テレジアに攻めさせないことくらいであった。
有効な射撃、テレジアでなかったなら、すでに十度は殺せているはずの射撃は、全て防御されている。
そもそも視認できるような速度ではないはずなのだが、それも通用していない。
(残りの矢が少ない!)
ヒグドナがすでに放った矢を再利用するため駆け出すと、テレジアはそれを待っていたかのように、両足に力を込めて、まるで獣のように一直線に突進してきた。
ヒグドナも、それは見えていた。
すぐに大鉈を取り出して、彼女の剣を防ごうとした。
剣が鉈に触れた瞬間、凄まじい衝撃を感じて、同時にヒグドナの巨体は吹き飛び、洞窟の壁面に叩きつけられていた。
突進力とテレジアの馬鹿力で、まるで大振りのメイスを振り回しているかのように、防御が意味をなさない。
ヒグドナが怯むや否や、テレジアはすぐに距離を詰めた。
上下左右、全ての方向に白刃が見える。
それほどまでに、テレジアの剣は素早かった。
ヒグドナは持ち前の硬い皮膚で身を守っていたが、凄まじい力のせいで、皮膚は少しずつ削られていく。
咄嗟に、ヒグドナは矢を一本、真上に放った。
気をとられたのか、テレジアの攻撃が一瞬だけ止まる。
その隙に、新たに矢を番えてテレジアに向けて放った。
およそ二歩の距離で放たれた矢を躱す生き物など、聞いたことがない。
おそらくは、矢の角度と勘で先読みに近い回避を行っているのだろうが、テレジアは半身になって、身をわずかにかすらせながらも、矢の直撃を避けた。
先程のように体制は崩したが、鉈を振りかざせば、また無理な姿勢からでも防御を行ってくるだろう。
しかし、ヒグドナの狙いは違った。
「お前は、後のことよりもまず目の前の攻撃を回避することを優先する。戦場での癖か? 見事なものだったが、もう避けられんぞ」
テレジアの表情が曇る。
何を言っているのか、理解できないのだろう。
だから、ヒグドナがゆっくりと矢を番える様子を、警戒して見ていた。
突如、己の右肩に刺さった矢のことは、意識の外だったに違いない。
「さっき放ったやつだ。自然落下だから時間がかかったが、上手く刺さってくれたな」
それは、一本だけの銀の矢であった。
銀であることに気がついたのだろうか、テレジアは焦って肩へ手を伸ばして矢を抜こうとする。
しかし、右手では右肩に刺さった矢を抜けない。
半狂乱になりながら、テレジアは肩を掻きむしった。
ヒグドナはその隙にラッツリックの矢を、テレジアへ放った。
しかし、完全に気がそれていたはずのテレジアは、そのラッツリックの矢を、正面から真っ二つに叩き割ったのだ。
「なぜだ、銀が刺さっているのに……」
ヒグドナにも信じられなかったが、テレジアはすでに呪縛から逃れていた。
表情から怒りの色が消えている。
銀の矢によって、アムカの力が弱まるところまでは、計算通りだった。
しかし、その先、テレジアがアムカの力を抑え込んでもまだ、剣を振って戦うことは予想外だった。
「テレジア! 聞こえているなら剣を離せ!」
「んー?」
まるで寝起きのような甘えた声を出したテレジアは笑っていた。
「お父さん、私、強くなったんだよ。お父さんに見せないと。見せて、褒めてもらうんだ」
テレジアはぶつぶつと呟きながら、剣を構えた。
さっきまでの獣じみた雰囲気とは違う、剣士の姿だ。
(ガウェインの言っていた欲望ってやつが暴走してるのか!?)
テレジアの欲望は、強くあることなのだろう。
そして、その姿を父に見せるという、絶対に叶わない夢。
(グラウレンに行きたいと言ったのは、そういう理由か……)
死んだ父に、もしかしたら、ひと目だけでも会えるかもしれない。
その淡い期待を込めて、この場所を目指して歩いたのだろう。
「テレジア、わかった。父親に見せてあげるんだろ。お前が格好よくなったところをな。遠慮せずかかってこい」
「うん!」
ヒグドナは弓矢を捨てて、大鉈を構えた。
近距離なら、矢よりもこちらの方がとり回しがきく。
テレジアは右手を下におろして、ヒグドナへ向かって突進した。
先程見た突進の動きはヒグドナも覚えている。
さらには右肩を負傷して、テレジアは腕をあげられない。
斬撃は下からしかこない、とふんでヒグドナは下方向への防御を固めた。
狙い通り、テレジアの剣がヒグドナの大鉈へぶつかる。
その衝撃で、ヒグドナの体が五十センチほど浮いた。
ヒグドナはすぐにテレジアの後頭部を鉈の柄で殴りつけようとするが、彼女はすぐにそこから離れて、それを逃れた。
「ふざけた怪力だ……!!」
ヒグドナの大鉈は、現存する金属で最も頑丈なオリハルコン製だが、テレジアの剣の跡がくっきりと残っている。
これではもはや刃物として機能しないだろう。
テレジアは不安気にこちらを見ている。
もう戦えないのか、という顔だ。
(まったく、とんだ問題児だ)
ヒグドナはフッと笑い、鉈を放り投げて素手を構えた。
「来い!」
それを聞いたテレジアは嬉しそうに跳ねて、体勢を低くした。
もう一度あの凄まじい突進が来る。
とれる選択は、ひとつしかなかった。
テレジアが地を蹴り、ヒグドナへ向かって真っ直ぐに突っ込む。
剣の軌跡は読める。
ヒグドナは、左腕を閉めて、剣を受けた。
オークの硬皮が簡単に割れ、左前腕と左上腕を切り裂き、胸部から肋骨を断ち、肺に至ったところで、テレジアの剣は止まった。
口から溢れた血が、テレジアの顔にかかる。
「勝った! 私の勝ち! お父さん、見てくれたかな!」
「……ああ、見てるだろうよ」
テレジアが笑いながら剣を手放してヒグドナから離れようとする。
しかし、ヒグドナはテレジアの左肩を掴んで離さない。
油断しきったテレジアに足払いをかけ、背から倒して、ヒグドナは馬乗りになった。
「目を覚ませ、テレジア……」
出ない声を振り絞ってそう言い、ヒグドナはテレジアの胸元に下がったラッツリックの鉱石ナイフを叩いた。
すると、リーン、と透明な音が鳴り、テレジアの体に染みついたガリンデルガの黒い霧が、音の壁に押し出されるようにして、テレジアから離れる。
ヒグドナは、鉱石ナイフを手に取り、指で弾いて鳴らし続けた。
黒い霧は、少しずつ小さくなっていき、やがて、完全に消えてしまった。
そして、ようやくテレジアの方を見た。
信じられない、という顔でこちらを見ている。
どうやら、正気に戻ったようだ。
「ヒグドナ、ヒグドナ!」
テレジアが駆け寄ってくる音が聞こえる。
もう、目が見えない。
テレジアが声をかけているが、その音すら、遠く、霞みがかかっていく。
(テレジア、達者でな……)
やがて、ヒグドナは、完全にこと切れた。




