08-1.到着
聖島に、一隻の大型船がたどりついた。
しっかりとした作りで、補修のあとなどもない豪華な船だ。
船は聖島の入り江へと進み、そこで岩場に橋をかける。
「あれがガウェインか」
ヒグドナは遠くからユノと共にその様子を見ていた。
黒い大剣を背にした大柄の男が、大勢の乗組員と共に聖島に降り立った。
その後ろには眼鏡をかけた気の強そうな女性が常に付き添っている。
「よめか?」
ユノが聞くとヒグドナはかぶりを振った。
「いや、従者だろう。剣を持っている」
彼らは岩場から砂浜を通って、集落の方へ向かってきた。
大人数であり、後ろには大きな荷物を持った青年たちが続いている。
彼らはまずデルガルトが出迎えた。
そこで形式的な挨拶を交わし、ガウェインはまっすぐヒグドナの元へ向かってきた。
「はじめまして、ヒグドナ殿。私がガウェインと名乗らせていただいている剣士でございます。お噂は我が街にも届いております」
「エティダルグでは機会がなかったな。まあ、堅苦しい挨拶はいい。今はテレジアのことを話そう」
「ええ、こちらもそのつもりです。話している間に仮住まいを建てさせましょう。ルネ、頼んだぞ」
ガウェインが指示を出すと、眼鏡をかけた女性は頷いて部下たちに指示を出し始めた。
「さて、ここは少し騒がしい。私の船でお話をしましょう」
「ああ、わかった。ユノはここで待っていてくれ」
ガウェインの提案を飲んで、ヒグドナは彼の大型船へと向かった。
ユノを連れてこなかったのは、彼がわざわざ場所を変えようと言ったからだ。
テレジアのことはすでに個人の問題ではなくなっているのだが、彼は恐らく内密な話をしたがっているのだろう。
船の客室は、やはり、絢爛豪華な内装であった。
赤や金の装飾は上質な美術品のように煌びやかであり、触れることすら躊躇わせる。
彼は曲りなりにも貴族なのだ、と実感した。
木目の美しい椅子に座って、長机を挟んでガウェインと向かい合った。
「すみません、面倒な手間を」
「構わん。お前はあれに詳しいと聞いたが、もう正体は掴めているか?」
「ええ、実は、私が討伐しようと思っていたのです。あれは危険なものです」
その真剣な顔を見るに、ガウェインが嘘をついているようには見えなかった。
「アムカ、いや、剣聖パーシヴァル。彼は聖杯に憑りつかれた男でした。生涯をかけて聖杯を探し求め、やがては辿りついたと聞きます」
「そこなんだが、剣聖ってのは聖杯から名前をもらうんだろ? おかしくないか?」
ずっと疑問に思っていた。
聖杯を見つけて剣聖になったのではなく、剣聖になってから聖杯を探しだしたのなら、順序がおかしい。
「剣聖が名前をもらう聖杯というのは、本物ではないのです。これは少しややこしい話になるのですが、皆はあれを聖杯ということにしている、と言いましょうか」
「偽物だと?」
「いえ、あれは本物です。ただし聖杯ではなく、本物の呪いの杯なのです。剣聖として生きることを強要される呪い。呪いの正体は欲望であり、本能。抗うことのできない衝動を身に宿すことになります。剣聖の称号と引き換えに、呪いを受けるといった認識でかまいません。
本物の聖杯があればその欲望を打ち消すことができ、呪いを解くことができる。パーシヴァルはそう信じて聖杯を探しました」
「呪いは解けたのか?」
「解かせてもらえませんでした。彼の着ていた鎧はガリンデルガ、つまり、欲望が形を成しているようなものでしたから、呪いと相性が良く、やがては彼自身の心を蝕んでいたのです。当時の剣聖たちは連携して彼を殺し、この地に埋葬しました。彼が正気であったなら他の者に聖杯を託すこともできたのでしょうが、そのころには会話すらままならず、剣聖たちも彼はまるで野生の獣のように感じた、と記録には残っています」
ヒグドナはアムカの様子を思い出していた。
あの剥き出しの感情は、まさに獣であった。
「そういうこともあり、今テレジアがどういう状態でいるか、私にも分かりません。ガリンデルガの影響を受けていることも視野にいれておいた方がいいでしょう。ただでさえ厄介なあいつが、欲望と衝動に刺激を受けて、殺意のある行動に出ることまでは充分予測できます」
「おれたちを殺そうとするということか」
「それも、一切の躊躇なく。あいつはかつて矢や大砲の飛び交う戦場でさえ、単身で人を切り回っていたやつです。数で押しても死体の山ができるだけでしょう」
「少数精鋭が良いってことだな。それには賛成だ。正直、人のことを守りながら戦えるとは思えない」
「あなたにそう言ってもらえると助かります。まあ、自分の身を自分で守れるくらいの実力となると、私くらいしかいませんが」
ガウェインはそう言って苦笑した。
「おれとお前でやろう」
「ヒグドナさん、戦えるのですか?」
「そうだな、心配させても仕方ない。少し見せてやろう」
ヒグドナは立ち上がって腰につけていた弓矢を取り出した。
そして何に狙いを定めるでもなく、流れるように矢を番え、壁に向かって放った。
とん、と壁に矢が刺さると、その壁が倒れ、中に隠れていた男が姿を現した。
「戦ってみるか?」
矢を一本取り出して、ヒグドナは言う。
男はガウェインの方をちらりと見る。
ガウェインは不敵な笑みを浮かべたまま、ヒグドナを見ていた。
「よろしくお願いします」
男は声を震わせながら、剣を構えた。
様子を伺っているようで、まったく攻めてくる様子がなかったため、ヒグドナはまた素早く矢を番え、放った。
狙いを定める様子を見せない射撃は、相手にとって恐怖だろう。
甲高い金属音が響いて、彼は剣から手を離した。
「さすが! やりますね」
ガウェインがそう言って笑う。
ヒグドナの矢は剣の刀身を貫き、背後の壁に打ちつけていたのだ。
やられた男も、反応に困ったのか、ただ茫然と壁に張りつけられた剣を見ている。
「まあ、こんなところだ。足手まといにはならない」
「疑っていたわけではないのですが、いざ目の前にすると、見てみたくなったのですよ。オークのヒグドナの弓さばきと言えば、武芸に通じる者の間では有名ですから」
それほど有名だとは聞いたことがない。
ヒグドナは人目に触れないよう気をつけて暮らしてきたのだから、ヒグドナのことをこれだけ知っているガウェインが情報通であることは間違いないようだ。
「そんな顔をしないでください。エティダルグの街はオークが多いので、ヒグドナさんの噂はよく聞いています」
「どんな噂かは知らないがな。テレジアを助けるために最低限の戦力にはなれるだろう。それで、具体的な方法はあるのか?」
「ええ、そのための準備をしてきました。とはいえ、時間が充分ではなかったので一発きりですが」
ガウェインは部下の男に命じて、二本の矢を持ってこさせた。
「まずこちらが、銀の矢。これを撃てばエルフであるアムカは怯むはずです。その隙に、こっちのラッツリックの破片を矢じりにしたものを打ちこめば、ガリンデルガを剥がせるはずです」
「ラッツリックの共振か」
水晶であるラッツリックは、衝撃を与えることで特定の振動を起こす。
それには強力な破邪の力があるとされ、病魔を退けるために実際に使っているところもあるくらいだ。
「やることはわかったが、テレジアに矢を当てるのは容易なことではないぞ」
「難しい方が燃えますよ」
彼の目はまるで少年のように爛々と輝いていた。
きっと彼の中では、難所に挑むことが価値を持つのだろう。
先程言った呪いというものと関係があるのかもしれない。
「細かい連携の話は、今日の夜行いましょう。テレジアと対峙する上で必要なものがあれば取りにいかせますが、何かありますか?」
「そうだな……。おれが使っている大鉈があるんだが、これの新しいものを調達できるか?」
ヒグドナの取り出した大鉈は、刃こそ欠けていないが、使いこまれた故の黒い沁みが銀色の刀身に点々とついてしまっている。
万全を期すなら新しいものに変えてしまった方がいい。
「たしかに、これではテレジアの剣で折られかねない。ドワーフに依頼して最高のものを用意させましょう」
彼はそう言って、大鉈を発注するための準備を始めた。
オリハルコンでできた最高級の大鉈が届いたのは、それから十日ほど経ってからだった。
 




