07-3.死闘
早朝、日が昇り始めたころ、テレジアは目を覚ました。
体調は良好、緊張による寝不足の影響はなさそうだ。
「鎧、着ようかな」
ずっと荷物の奥にしまっていた鎧を取り出して、身につけた。
薄い鉄板の鎧で、これを着ていれば安心というものではないが、ないよりはいい。
父の遺品であり、思い入れのある鎧だ。
だから、こういう場所であれば、何か特別な恩恵があるかもしれない、と少しだけ期待をしている。
それこそ、アムカの鎧のように。
腰にベルトを巻き、剣をさす。
以前はいつだってこの格好だったが、旅に出てからは久しぶりだ。
「もう行くのか?」
物音に気がついて目を覚ましたのか、ヒグドナが起き上がって言う。
「いや、少し体動かしてからね」
「そうか。朝飯は?」
「食べておこうかな。昨日の魚、残してたよね?」
もうすっかり冷えてしまった焼き魚の残りを食べながら、テレジアは心を落ち着かせていた。
実力を出すコツは、いかに普段通りであるか。
テレジアにとっての普段通りは、朝食を食べて、軽く運動をすること。
朝早くから始めたそれを終えるころには、起床したエルフたちが見学に来ていた。
「スナさんを思い出しますね」
デルガルトが、同じくその様子を見るユノに言う。
ユノはむすっと膨れて返した。
「キラレ、デル、コツテルト(お父さんはもっと強かった)」
「ははは、そうですね」
ふたりが会話する隣りで、ヒグドナは弓の点検をしていた。
荷物の中からオーク特製の弦を取り出して、バンドゥ・ラマの弓へつけかえる。
中仕掛けの太さを調節して、矢へあてがい、まだ太いと指でくるくるとよっていく。
準備を終えるころには、テレジアも一通りの軽い運動を終えて、休憩をしていた。
「剣はどうする? 研ぐか?」
「いい。相手は鎧着てるし、薄くすると刃がかけちゃうから。ユノちゃん、もうすぐ出発するけど、準備はいい?」
木陰に佇んでいるユノに言うと、呆れたようにため息をついた。
「わたしはずっとまっている。おまえたちのじゅんびがおそすぎる」
「頼もしいね! ユノちゃんには邪魔が入らないように、周囲を見張っていてほしいんだ」
「じゃま? そんなことするやつはいないぞ」
「グラウレンは死者をも甦る場所、そうでしょ? 邪魔っていうのは、他の死者が甦ったりしないかを見ていてほしいってことなの」
ユノは大変驚いた様子で、唇を震わせた。
「……なんで、そんなことをしっている? いきかえるひとがいることは、ひみつのはずだ」
「生き返った人に会ったことあるからね」
イザベルタのように、死んでいながら生き続けることがあることは知っている。
「誰も来なければそれでいい。でも、もし誰か来るようだったら、嚆矢をうって」
「……わかった」
「よし! じゃあ、いこうか。道案内をよろしく」
ユノは頷いて山への道を歩き始めた。
その後ろについて、テレジアたちも進む。
不思議と、山の中は歩きやすかった。
草木もうっそうとは生い茂っておらず、木の密集具合もおとなしいものだ。
そんな場所だったからか、少し山を登るだけで、周囲の景色は背丈の短い草と岩だらけになっていた。
山頂へはまだ遠く、山の周囲にそってらせん状に登山道が続いている。
その途中に、アムカの墓があるようだ。
「お墓にはよく行ってたの?」
「わたしはツラスルトだから、はかのせわもする」
「お父さんも?」
「おとうさんもツラスルトだった。だから、さいしょのぎせいしゃになった」
「最初のってことは、お父さんはなぜアムカの鎧が動き出したのか、知ってるの?」
ユノはかぶりを振った。
「わたしもそこにいた。おとうさんはしまにかえってきたばかりだった。なにもわからないまま、おとうさんはわたしをにがすために、アムカにきられた」
一緒にいても、アムカが生き返った理由はわからないと言う。
「お父さんに何か理由があったのかな」
「わからない。はかにはちかづいただけで、さわっていない」
「うーん……」
答えが出る前に、一行は平たく広い入り口をした洞窟の前に辿りついた。
エルフの使う消えない松明の火が、奥へ点々と続いている。
「このおくだ」
「じゃあ、ユノちゃんはここで待っていて」
「わかった。……しぬなよ」
「死なないよ。心配してくれてありがと」
ユノの頭を撫でて、テレジアはヒグドナと共に、洞窟へ足を踏み入れた。
中は空気の流れがないものだと思っていたが、なぜか奥から微かに風を感じる。
松明にそって進んでいくと、だだっ広い空間に出た。
岩が半円状に繰り抜かれ、その壁を伝うようにして、松明が模様を作り出している。
壁から天井まで、橙色の光に覆われ、正面にある小さな四角の塔のようなエルフの墓が、無数の影を作り出している。
その墓の前に、アムカの鎧が立っていた。
立派な長剣を杖のようにして体の前に立てて、真っ直ぐにテレジアを見つめていた。
「うう、ぴりぴりする」
ヒグドナはこの空間の手前で、通路の暗いところに隠れている。
だから、この殺気は感じていないだろう。
まるで、一族郎党皆殺しにあった男が、やっと仇を見つけた時のような、血涙したたる殺気だ。
「何をそこまで憎んでるの?」
聞いたところで答えは返ってこない。
テレジアは剣を抜いて構えた。
今度は、最初から本気でいくつもりだ。
アムカもそれを感じたのか、長剣を右手に持ち、肩に担ぐ。
そして、吠えた。
地面を震わせるけたたましい声に、テレジアは少し表情を歪めたが、精神的な準備を待ってあげるほどお人好しではない。
一直線に素早く駆け寄り、間合いに入る直前で右へ飛ぶ。
アムカは動きにつられて、反応が一瞬遅れた。
テレジアは左足でアムカの足を踏み、背中に剣を叩きつける。
バランスを崩したアムカは、その勢いのまま、地面へ倒れ込んだ。
好機とばかりに、テレジアは流れるように右足の腱を狙って切り飛ばした。
具足ごと、足首がぱっくりと割れる。
血は出ていないが、右足はこれで使い物にならないはずだ。
剣を振り回しながら跳ね起きたアムカから距離をとり、テレジアは少し様子を見た。
「やっぱり……!」
思った通り、アムカの足は、黒い煙に覆われて、すぐに元通りになった。
生きている人間と同じ急所は使えないということだ。
考える時間を与えないかのように、アムカは飛びあがり、回転しながらテレジアへ剣を叩きつける。
寸でのところで躱したものの、体勢を崩され、反撃ができない。
次の攻撃に移るのはアムカの方が早かった。
えぐり込むようにして迫る刃を、テレジアは避けきれずに、左腕で受ける。
血の飛沫が、洞窟の壁に、赤い花を咲かせた。
「くっ! ううっ!」
咄嗟に左腕を抑えようとするも、ない。
腕部から下が、骨ごと断たれていた。
(くそ! くそ!)
心の中で悪態を繰り返しながら腕を抑えるが、流れ落ちる血は止まらない。
あまりの状況に、思考もまともではなくなっていく。
落ちた左腕を探すべきか、戦うべきか、わからない。
次の瞬間、ヒグドナの矢が、銀の閃光を描いてアムカの喉元に突き刺さった。
アムカも衝撃には耐えたものの、大きく怯んだ。
「その傷じゃもう無理だ! 逃げるぞ!」
ヒグドナの声が響く。
しかし、判断力を失っていたテレジアは、アムカへ向かって駆けた。
「ガアアアアアアア!!」
これを逃せば、片腕を失った自分では勝ち目がない、と思ったのだ。
戦争で生命をかけて戦い続けた結果の状況判断が、その体に擦り込まれていたのだろう。
たとえ片腕を失おうとも、向かってくる兵士を何人も見た。
大局的な勝利とは関係なく、目の前の敵に勝ちたいという、ただそれだけの本能とも言える精神が、テレジアを動かしていた。
テレジアが水平に払った剣を、首の矢を引き抜いたアムカは高く跳んで躱す。
そしてそのまま、空中からテレジアのうなじめがけて、長剣を突き刺そうと迫る。
テレジアには、ちゃんと見えていた。
そう動くよう、仕向けたのだ。
斜め下に構えた剣を、渾身の力を込めて大きく振り上げる。
アムカの股下に入った剣は、重さと勢いで、めりめりと音を立てて、鎧を裂いていく。
二分するまではいかず、途中で止まった剣をそのままに、壁へと叩きつけた。
股から腹部まで裂かれたアムカは、まだ再生しようと黒煙を噴きながらもがいている。
テレジアはふらふらと隣りに立ち、剣を引き抜くと、足で体重をかけてアムカの首を落とした。
すると、まるで灰のように、鎧が全て黒い粉になって、地面へ広がった。
テレジアは、全身の力が抜けて、膝から崩れ落ちた。
意識がもうろうとする。
駆け寄って来るヒグドナの声が、遠い。
体がひどく寒い。
血を流し過ぎたのだ。
自分の死を意識したのは、初めてだ。
今まで死ぬことなんて、一度も考えたことはない。
(死ぬって、こんな感じなんだ。思ったより、怖くない)
死にたくはない。
だが、死は等しく誰にでも訪れるものだ。
向かってくる死を拒むことは、誰にもできない。
まどろむ意識の中で、テレジアは不思議な声を聞いた。
誰の声かはわからないし、言っている内容もよく聞き取れない。
(うるさいな……)
その言葉がエルフの言葉であることに気がついたのは、それが耳元でずっとおなじ言葉を繰り返していたからだ。
『ラウロ、ココウグル、ソウラニャ』
――――聖杯はどこだ。
その声が何を求めているか、テレジアは理解した。
聖杯の匂いのする剣聖が近寄ったことで、アムカは目覚めた。
もし、そうであったなら、アムカに心当たりがある。
(聖杯に名を返していない剣聖のうちのひとり、パーシヴァル。聖杯の探究者……)
剣聖の中では有名な話であった。
剣聖パーシヴァルは、死しても尚聖杯を探し続けている、と。
ふと、黒い影が眼前に迫っていることに気がついた。
視界はぼやけているが、粉になった彼の鎧が、テレジアを覆い始めたのが、見えた。
もはや抵抗する気力もなく、黒いものに体を預けた。
先程までの憎悪などはまったく感じず、暖かい毛布にくるまれているような心地よさがある。
(眠っちゃダメ。だけど、すごく眠い……)
ヒグドナに声をかけられながら、テレジアは意識を失った。




