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07-1.聖島

海鳥の鳴く声が聞こえる。

雲ひとつない青空の下、鏡写しのように青い海に揺られながら、一隻の小舟が進んで行く。

ここまで送ってくれたイザベルタの船は、すでに遠くの景色で小さな黒い点となっている。


テレジアは口を開かず、黙々と習った通りに櫂を動かした。

そう時間のかからないうちに、聖島の漁村にある桟橋へと、テレジアたちはたどりついた。


桟橋に繋いである船には誰も乗っておらず、上半身裸でたくましい体を見せているエルフたちが、砂浜の奥に見える小屋の付近で各々くつろいでいる。

初めは休漁しているのかと思ったが、船の甲板にカラカラに乾いた魚の死体が転がっているところを見て、ただごとではないと感じた。

しばらく漁に出ていない様子と、漁師たちの覇気のない様子のふたつから考えるに、何か理由があるのだろう。


「しばらく船を使ってないみたいだね」


テレジアは桟橋に小船から伸ばした舫い綱を結びながら、そう呟いた。


「そうだな」


ヒグドナは周辺の様子を見ながら、何の気もなさそうに言った。

すっかり船を繋ぎ終えると、それを見計らったように、ひときわ大きな小屋から、年の頃十四、五くらいのエルフの少女が出てきた。

背丈と同じほどの大弓に矢をつがえながら、テレジアたちの方へと歩んで来る。


「おまえたち、なにしにきた」


片言で、彼女は言った。

決して喋りなれているようではないが、言葉は通じるようでひとまず安心した。


「ええと、私たちは、グラウレンに行きたくてこの島を訪れました」

「グラウレンには、はいれない」

「え? なぜですか?」

「グラウレンは、しんせいなばしょ。おまえたちのような、わけのわからないやつらは、いれられない。それに――――」


ヒグドナを一瞥して、彼女は続けた。


「オークはくさい」


ヒグドナは困ったように頭をかいた。

エルフの一部はオークを嫌っているという話を、以前ヒグドナから聞いたことがある。

テレジアも歴史の話はよく理解していないが、奴隷時代があったことが関係しているようだ。

ほとんどのエルフはもうそんなことを気にしていないが、こういった僻地では価値観の更新が行われないために、今でも百年前と変わらない偏見を持っているのだ。


「ここのデルガルトと話をさせてくれ」


ヒグドナがそう言うと、少女は矢を向けた。

その目には確かな敵意が宿っている。


「オークにはあえない。ケガレがうつる」

「お前はいいのか?」

「わたしはツラスルト(担い手)だ。ケガレをひきうけるのがやくめ。オークはいのちをうばっていきるけだものだ。デルガルトにあわせるわけにはいかない」


それを聞いて、テレジアが我慢出来ずに口を挟んだ。


「ちょっと待って。私はどうなるの?」

「おまえはオークではない。ひとはたべるためにいのちをうばうこともある。しかし、オークはちがう。オークは、かいらくのためにいきものをころす。だからかんりされた」

「オークが快楽のために生き物を殺す?」


テレジアは思わず繰り返した。

正しい知識を持っていないテレジアにも、その話がおかしいことは分かる。

狩りをして暮らす種族であるため、獲物を殺すことはある。

だが、快楽のために殺しをするような種族であったら、あんな生活は長く続かないだろう。


それに、生き物を殺すことがケガレだと言うなら、テレジアだって負けてはいない。


「言ってることはよくわからないけどさ、そういうことなら私はここにいる誰よりもケガレてるよ」


少女が眉をひそめた。


「覚えているだけで三百人は切り殺した。覚えていない人を合わせたら、もっと多い。それでもまだオークだけをケガレだなんて言うつもり?」


戦争で殺した人間の数は、そんなところだ。

戦争以外となると、指名手配の罪人や辻斬りなどの悪人で、それもいれると四百人ほどになるが、テレジアの記憶に彼らのことは残っていない。


死んで当然の人間たちと戦争で戦った兵士たちとでは、命の価値が違う。

テレジアはそう信じていた。

だから、命の価値が低い悪人のことは覚えていないのだ。


少女は、信じられないと目を見開いていた。

この島でずっと暮らしていたのなら、戦争も知らないのだろう。

テレジアの三百人という数も、剣での殺傷数であり、火薬などの兵器を用いた砲撃手などは、もっと途方もない数を殺している。

数千人死んだなどと聞けば、卒倒するかもしれない。


「だ、だったらおまえもケガレだ! しまにははいらせない! かえれ!」


彼女は憤って言った。

その顔は真っ赤に染まっており、唇はわなわなと震えている。


怒るのも無理はない。

そう思ったテレジアは何も言わずに、ただ踵を返した。


「おい、テレジア」

「いいの。もう行かなくて」


ここまで案内してくれたヒグドナには悪いが、彼を置いてひとりで行くこともできない。


「ごめんね、ヒグドナ。これからどうしよっか」


そう言って振り返ると、ヒグドナは木々に覆われた緑の山を見ていた。

少女も同じように、こちらから視線を切って、じっと山を睨んでいる。


訝しんだテレジアもそれに習うと、木々の合間から立ち上る細く黒い煙が見えた。


「山火事?」

「いや、違う」


煙は風に揺られているが、消えることなく、空の彼方までのぼっている。


「アムカだ……」


少女は呟いた。

その額には脂汗が浮かんでいる。


突如、オオカミの遠吠えのような声が響いた。

テレジアであってしても、身の芯まで震えるような、凄まじい声だ。


「まずい! おまえらかくれろ!」


少女はそう言って、海に飛び込む。

テレジアとヒグドナも、それに続いて、海へ飛び込んだあと、桟橋の下へと隠れた。


さっきまで外に出ていたエルフたちも急いで小屋へ戻り、扉を閉めている。


「何がいるの?」

「しゃべるな。やつがくる」


彼女は小さく震える声で言った。

しばらく桟橋の下から様子を伺っていると、木々の間から、真っ黒な鎧を全身にまとったものが姿を現した。


直感的に、テレジアはぴりぴりとしたものを感じた。

誰に向けられているでもない、鋭い殺気だ。

武器の類を持っていないが、体の節々から、薄気味の悪い黒い煙をたなびかせている。


その煙に言い様のない気持ち悪さを感じたが、あれが何であるかテレジアにはわからない。


何を探しているのかわからないが、うろうろと、まるで獲物を探す獣のように、小屋の周辺を歩いている。


(あ……!)


黒い鎧と小屋を挟んだ反対側に、小さな男の子がいた。

外で遊んでいて逃げ遅れたのだろう。


影に隠れているが、あのままではすぐに見つかってしまう。

それに気がつくと、深く考えることなく、テレジアは桟橋へと上がった。


「ばか! はやくもどれ!」


エルフの少女が小さく叫んだが、テレジアの心は決まっていた。


「私は本当にたくさんの人間を殺したけど、子供見殺しにできるほどケガレてないんだ」


テレジアが剣を抜きながら砂浜へ降り立つと、黒い鎧もこちらを視界に捉えたようで、くるり、と向き直る。

兜に覆われた目線を感じると、背筋がぞくぞくとする。

久しく味わっていなかった感覚、名のある剣士と向かい合ったときの、刺すような視線。


(こいつ、強い)


鎧が、吠えた。

思考や駆け引きを超えた、純粋な敵意に、テレジアは剣を構える。


それは、両手を大きく広げ、前傾姿勢での突撃を始めた。

人間に出せる速さかと思えるほどの速度で突っ込んで来るが、その姿勢から繰り出される攻撃はそれほど多くない。

注意すべきは両手と頭突きだ。


相手よりも姿勢を低くすれば、そのどちらも空を切るはず。

人間の動体に対する反応は上方向へは強いが、下への素早い動きには弱い。


テレジアは迫る両腕を躱すため、下へもぐりこんで胴を切り上げようとした。


テレジアに追いつけない両腕は、頭上をかすめる。

とった、とテレジアが確信した瞬間に、両足が消えた。


テレジアが潜り込んだことを認識した瞬間に、突進の勢いを殺さないように跳ぶなんて、想像できるはずもない。

凄まじい反射神経と動体視力である。


テレジアを飛び越えて、空中で一回転し、背後をとるようにして着地する。

そして、着地のために曲げた膝をそのまま跳躍に使い、テレジアの頭部へ回し蹴りを放つ。


流れるような一連の動きに、テレジアもやっとの思いでついていく。

咄嗟に左腕を曲げて防御するも、メイスで殴られたかのような重い一撃にテレジアの体勢が崩れた。

衝撃で頭が揺れ、視界が歪む。

倒れることはなかったが、敵の場所を、一瞬だけ見失った。


すると、背後から顔を覆われ、後ろから足をはらわれて、テレジアは砂浜に叩きつけられた。

仰向けになり、上に乗られかけたところを、両足でそれの胴体を蹴り上げ、テレジアはなんとか脱出した。


(いったい、何者なの!?)


理性を失った狂人というだけでは説明がつかない。

明らかに戦い慣れている人間の動きだ。

テレジアと同程度か、それ以上に。


テレジアは本気を出すため、剣を斜め下に構える。

本来、テレジアが最も得意な型はこれだ。


鎧はまたも突進を繰り出すために、身をかがめた。

しかし、本能で危険性を察知したのか、テレジアに近づかない。


(来ないなら、こっちから行く!)


テレジアは軽く膝を曲げて、やつまでの距離、およそ五メートルを助走無しに跳躍した。

型はそのままに、着地と共に、剣を振り抜く。

完全に捉えたはずだったが、テレジアの剣は空を切った。


先程までそこにいたはずの鎧は、跡形もなく消えていた。

頭上では、黒い煙が揺らめき、空へのぼっていく。

それは、まるで山頂へと帰って行くようであった。


「なんだったの……?」


取り残されたテレジアは、茫然とその様子を眺めていた。



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