01-3.ふたりの出会い
テレジアがガイゴラに襲われてからしばらく経ち、辺りは夕闇に包まれ始めた。
空よりも早く暗くなった森の闇でフクロウが鳴く。
「うっ……」
テレジアは、小さくうめき声をあげた。
薄く目を開けると、ごつごつとした洞窟の天井が見えた。
「気がついたか?」
「……誰!?」
聞きなれない声に、テレジアは飛び起きた。
少し離れたところで、深い緑色の肌をしたオークが、たき火に木の枝を加えていた。
火に照らされたヒグドナの姿を見たテレジアは、満足に動けない体ながら機敏に警戒態勢をとる。
「おれはヒグドナだ。お前は?」
「オーク!? 私をどうする気!?」
「……どうにかするならとっくにしている。それよりも怪我はどうだ?」
言われて初めて自分が手当されていることに気がついた。
包帯を手で触り、いかに丁寧に処置されているか実感する。
「……ごめん。さっきの発言を取り消させて」
「構わん。そういう反応は想定していた」
「私はアルフレド皇国の騎士団で副団長をしているテレジア。助けてくれてありがとう」
「騎士団か……。テレジア、なぜこの森に入ってきた? ここは人間が来るようなところじゃない。誰からも聞いたことがないのか?」
ヒグドナは少し怒ったように言った。
無知ゆえの行動であったかもしれないが、彼が助けなければ死んでいたのだ。
「……この森で、人間が行方不明になっているの。それもひとりやふたりじゃなくて、十数人いなくなっている。それを調べるため、私は部下ふたりを連れて探索を始めたんだけど、その部下たちはあの巨大なトラにやられてしまった。そして私も……」
テレジアは俯いて、言葉に詰まった。
目からは、ポロポロと涙が落ち始める。
あっという間のできごとだった。
剣を構える暇もなく、仲間たちは無残にやられて、テレジアも一撃で気絶してしまった。
全く力が及ばなかったことによる悔し涙であった。
「あいつはガイゴラって猛獣だ。人間の装備では傷ひとつつけられないくらい硬い体をしている。まあ、何人いようが食われてしまっているだろうな」
「……私も自分で経験して分かった。狩りをするのにあそこまで気配を消せるなんて、あれは人間では手に負えない」
「だが、おれたちには奴らにない知恵と経験がある。正しい対処ができれば、絶対に勝てない相手ではない」
あのような猛獣と何度も渡り合ってるのだろう。
ヒグドナの自信に満ちた顔は、そう思わせる。
しかしながら、ヒグドナと話していると、なぜか少し落ち着くような気がする。
オークと話すことなど初めてだと言うのに、どこか懐かしさすら感じる。
「なんで私を助けたの?」
「人間に会うのは久しぶりだからな。世話を焼きたくもなる」
ヒグドナは少し嬉しそうにそう言った。
「以前にもこんなことが?」
「ああ、まあ、百年ほど昔だがな。もう生きちゃいないだろうよ。名前は何て言ったかな。たしか、ローゼンミュラーだったか。あのころは、まだ皇国はなくて……どうした?」
ローゼンミュラー、と聞いてテレジアは動悸が激しくなる。
荒くなる呼吸を抑え、少し間を置いて、テレジアは聞いた。
「……フルネームは?」
「ロジーナ・ローゼンミュラーだったと思うが」
「ロジーナ・ローゼンミュラー……。私の曾祖母と同じ名前……」
頭が真っ白になるような気持ちがした。
色々なことが一気に起こって、処理しきれない。
「そうか。お前、テレジア・ローゼンミュラーか」
ヒグドナは驚いた顔でそう言う。
「……ロジーナは元気か?」
「死んだよ。何年も前にね。病気だったけど、すごく長生きだってお医者さんも驚いてた」
「そうか。……人間の寿命は短い。お前も死に急ぐなよ」
「うん。私も、死ぬのは嫌だ。今度からは気をつける」
「そうしてくれ。さて、もう寝た方がいい。大怪我をしていたんだ。動けるようになったらここを出て街道に向かうぞ」
「そうするよ。おやすみ……」
なぜ曾祖母の名前が出て来たのか、と考えていたものの、体の緊張は限界であったため、テレジアはすぐに寝息を立て始めた。
朝日が昇り、白い光が洞窟の入り口から差し込む。
入り口付近で寝ていたヒグドナが先に起きて焚き火を処理していると、テレジアも目を覚ました。
「ん、おはよう。もう起きてたの? 早いね」
テレジアが起き上がり、目をこすって背伸びをする。
「ああ、もう朝日が昇った。鎧は必要か? 必要なければ置いて行け」
「着て帰らないと説明が難しくなっちゃうから、一応着ていくよ」
ボロボロになった鎧を拾い上げる。
まだなんとか身につけられるくらいの原型はとどめているようだ。
「おれと会ったことは言うなよ」
「言っても信じてもらえないだろうけどね」
「そうじゃない。言えば辛い目に会うぞ」
「どういうこと……?」
テレジアは鎧を着る手を止めて、きょとんとした顔で聞く。
「オークのことは知らないのか?」
「少しだけなら。この辺りのオークは、深い森に住んでいて、あまり人里には出てこない。自給自足が基本で、閉鎖された集落で一生を暮らすって聞いたことがある」
「ああそうだ。それくらいしか知られていないからな。人間は自分の知らないところには宝があると思い込む習性がある。言えばお互い不幸になるぞ」
「あっ、そういうことか……」
オークの集落があることが知られたら、資材を奪いにくることは簡単に想像できる。
少なくとも、アルフレド皇国はそういうところだ。
そしてもしそうなったら、自分も参加しなくてはならなくなるだろう。
テレジアは喋りながら鎧を装着した。
怪我をしているにも関わらず素早く終わらせられるくらいには、着慣れた鎧であった。
しかし、そんな愛着のある鎧も、ところどころ大きな傷がつき、修復しなければ、鎧としての機能を果たせそうにない。
ヒグドナは鎧を着たテレジアを背に乗せ、崖を軽々と上っていく。
人間の体重くらいならあってもなくてもさほど変わらないのだろう。
彼は森の中ですら、まるで平坦な道を進むかのように、すいすいと進んでいく。
外敵の気配に鋭敏な感覚を張り巡らせ、相手に気がつかれるよりも早く違うルートを選択する。
そうして歩き続け、半日が経った。
森の奥に、ようやく開けた土地が見え始めた。
ヒグドナは街道の手前数十メートルのところで止まり、テレジアを降ろした。
「本当に、なんてお礼を言ったらいいか……」
「礼はいい。これから騎士団に戻るのか?」
「報告しないといけないからね」
「戻らずに家族を連れて遠くで暮らしてもいいんだぞ。お前は死んだことになっているだろう」
ヒグドナの申し出にどのような意図があるか彼女は知らないが、ただ黙って首を横に振った。
「家族はいない。もうみんな死んじゃったから……。それに、誰にも言わずに遠くに行くなんてできないよ。私はこれでも副団長なんだ。雇われている以上、責任がある」
お金をもらっている以上は騎士として働かなければならない、くらいの使命感である。
決して重くはないが、生活する上では軽くない理由であった。
「そうか、そうだよな。……おれは帰る。じゃあな」
「……うん。ありがとう」
そうして、二人は別れた。
テレジアは、彼の後姿を見送りながら、心の中で何度もお礼を言った。