06-1.港町エンゲイト
明るい日差しが、海面をきらきらと照らしている。
海から吹く風は、下に広がる町から突き上げるようにして、テレジアの髪を揺らした。
港町エンゲイトは、内側にえぐられるような形をした入り江にそって、作られている。
白を基調とした四角い建物が立ち並び、まとまりのある景観を見せている、美しい町だ。
大きな港には、大小様々な船が停まっており、その白い船体が、遠くからでも輝いて見えた。
「山を越えるだけで、景色って変わるもんだね」
テレジアが感心して言った。
潮の香りが鼻をつき、変わったのは見た目だけではないと知る。
「港に来たことはあるんだろう?」
「いや、あの時は馬車使ったし、こうして景色楽しむ余裕もなかったんだよね」
山をくだりながら、ふたりはそんな会話をしていた。
整備された街道は、右へ左へと緩やかな角度を保ちながら、町へと続いている。
夏初期に入ったばかりで、まだ涼しい風を感じるが、あと十日もすれば、うだるような暑さが大地を襲う。そうなると、海辺や川辺には、避暑のために人が集まる。
それを気にしていたヒグドナは、少しでも旅路を短縮できるようにして、ただ街道を歩くより五日ほど早く港町にたどりつくことができていた。
この時期であれば、まだ船も予約でいっぱいということもないだろう。
町中へたどり着いてみると、外から見ただけではわからなかった、活気や生活の音が、耳に飛び込んできた。
船の出るところだからか、人種も様々で、ヒグドナのようなオークも珍しくなかった。
港から倉庫街を挟んだところにある大広場へ出ると、潮風に乗って、何かを焼く香ばしい匂いが漂っている。
どうやら、軽食を出す酒場があるようだ。
テレジアは少し気にかけながらも、そこを通り過ぎた。
向かうのは宿をとってからでも遅くはないだろう。
適当に歩いていると、宿はすぐに見つかった。
広場から少し入り組んだ路地を抜けたところにある、二階建ての少し豪華な宿だ。
貧乏旅でないことに感謝して、テレジアたちはここに泊まることにした。
部屋は綺麗で広く、絨毯まで敷いてある。
まるで貴族の屋敷にある客室のようだった。
テレジアはそわそわと落ち着かない様子で荷をおろしながら、ヒグドナへ聞いた。
「ね、そういえば、今って地図で言うとどの辺りなの?」
テレジアが聞くと、ヒグドナは地図をテーブルの上に広げてみせた。
「俺たちが歩いてきたのは、この道筋だ。アルフレド皇国のあったところがここで、ずっと西に向かって歩いてきた。地図で見ると地形が分かりやすいだろう」
「ふんふん。砂漠、荒野、エティダルグの街、そして山を越えて海に出たところだよね。こうしてみるとけっこう歩いたね」
大陸を西に向かって六十日も歩けば、かなりの距離になる。
ヒグドナが様々なことを教えながら歩いてくれたために、退屈な旅ではなかったし、歩くことも苦ではなかった。
「ありがとう、ヒグドナ」
「何がだ?」
ヒグドナはきょとんとしている。
なんだかお礼を言わないと気が済まなくなったテレジアは、ちゃんと彼に向き合って、言った。
「私のわがままに付き合ってくれて、ありがとう」
「まだ早いぞ。グラウレンは、ここだ」
ヒグドナが指で示したのは、エンゲイトの港町から続く大西海の中央辺りだ。
海が広がるばかりで、何も書かれていない。
「え、ここ?何もないけど、もうあと少しなの?」
「ああ、ここに、聖島という島がある。その島の中央に、グラウレンはある。しかし、俺も行ったことのないところでな。島の存在も噂でしか知らない。ここに向かう船があればいいが」
「あては?」
「ない」
キッパリと言われ、テレジアは力が抜けた。
観光の前に、まずは聖島まで向かってくれる船を探さなければならないのだ。
「いざとなったら、自分たちで船を買って行けないかな」
「航海士でもなけりゃ、自殺行為だな」
操舵の技術もないことを考えれば、現実的ではない。
しかしながら、地図に載っていない島へ定期便が出ているとは考えづらい。
頼んだら本来の航行ルートにないところへ向かってくれる船などあるだろうか。
「あ……」
「どうした?」
「あて、あるかも」
「知り合いがいるのか?」
「うん。エティダルグで会った、イザベルタさんがここにいれば、頼めるかもしれない」
女海賊のイザベルタは、普段はエンゲイトの町にいると言っていた。
港に海賊船らしきものはなかったが、仮にも海賊を名乗る者が堂々と停泊しているはずがない。
「じゃあ、まずはそのイザベルタを探すんだな」
「うん。広場にあった酒場で聞いてみようと思うんだけど」
ヒグドナは同意したように小さく頷いた。
「私がひとまず聞いてくるから、ヒグドナはここで待ってて。ダメだったらすぐ戻るから」
「ああ、わかった。気をつけてな」
テレジアは宿屋の風呂で汗を流して、それから酒場に向かった。
手荷物を全て宿屋に預けると、まるでこの町の住民のような軽装になった。
昼を過ぎているからか、大広場にいる人はまばらで、酒場も忙しい時間帯を過ぎたようだ。
店の開け放たれた木の扉が、風でかすかに揺れている。
中は閑散としており、隅の方で静かに酒を飲んでいる人が数人いるくらいであった。
テレジアはつかつかとカウンターに向かい、エールを一杯注文した。
清潔に整えられた髪と髭をした主人は、無言で金を受け取って酒を出す。
エールを飲み干したテレジアは、主人に聞いた。
「イザベルタって海賊を探してる。心当たりはない?」
その言葉を口にすると、店内が一気に緊張したのを感じた。
テレジアは背後に注意しながら、質問を続けた。
「イザベルタの知り合いでね。この町にいるって聞いたんだけど」
「……お嬢さん、あまりその名前を口にしない方がいい」
主人は低く小さな声で言った。
「どういう意味?危ないの?」
店内の雰囲気を察するに、彼女の名前はかなり危険な単語らしい。
主人は外の様子を確認したあと、ささやくように言った。
「最近、大きな仲間割れがあった。船長のイザベルタと、副船長のシュリックが方針の違いで揉めたのさ。それ以来、シュリック側のやつらは、イザベルタについたやつを見つけては乱暴している。名前を出すだけでも危険な理由はわかったか?」
「なるほどね。派閥争いが過激になってきてるんだ」
「わかったらその名前を出すな。巻き込まれたらかなわん」
主人に迷惑をかけるわけにもいかず、酒を飲みながらどうしたものか考えていると、通りからドタドタと大勢の歩く音が聞こえ始めた。
視線だけを通りに向けていると、見るからにガラの悪い集団が、我が物顔で店へ入ってきた。
「おい、酒だ。酒を出せ」
他の客を威嚇しながら、ぞろぞろと主人へ詰め寄る。
(十五人、それに全員武器を持ってる……)
テレジアは視線を向けないようにして、彼らを観察した。
海で暮らしているだけあって、筋肉も分厚く、手の内のタコから、戦い慣れているような様子が見える。
十五人がそれぞれ別の方向を警戒しているようで、隙がない。
「早く酒を出せ」
その集団の頭であろう人物が、主人を脅すように低い声で言う。
主人は諦めたように、後ろにある酒瓶を取り出して彼に渡した。
そのやり取りを終えると、海賊のひとりが、テレジアに言った。
「嬢ちゃん、邪魔だからどきな」
乱暴に、テレジアの肩を掴む。
しかし、テレジアは岩のように動かなかった。
これを利用しようと決めたのだ。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど」
テレジアは目だけを動かして、彼を見た。
驚きの表情はすぐに消え、怒りに変わる。
「聞こえなかったのか? 殺すぞ」
腰につけている剣を抜き、テレジアに向ける。
「忠告しておくよ。今のうちに剣を納めるなら、まだ間に合う。剣は、脅しで抜くものじゃない」
「あ?」
テレジアはグラスに残った酒を傾けた。
彼が剣を納めたら手荒な真似は最低限でいい。
「頭、いいですかい?」
彼は頭の顔を伺ったあと、テレジアの方へニヤつきながら迫った。
そして、剣を振り上げ、テレジアに切りかかろうとした。
その瞬間に、テレジアはグラスに残った酒を飲み干して、右手で彼の剣を握る手を抑えると、空になったグラスを彼の口に突っ込んだ。
そして、後頭部を掴み、カウンターに叩きつける。
グラスが割れ、あたりに破片と血が飛び散った。
「アガァァァァ!!」
まさに断末魔とも言うべき、悲痛な叫び声をあげる。
顎が外れたのだろうか、血まみれになった口を手で抑えながら、彼はのたうちまわった。
テレジアはそんな彼の足を引きずって、店の外へ放り出す。
二十六年ほど前、ゴナゴ海賊団船長のゴナゴがまだ漁船で見習いをしていたころの話。
大西海で漁をしていたとき、突然大嵐が襲った。
のちにロンガード(エルフ語で災厄)の名を与えられる、百年に一度も起きない大嵐だった。
ゴナゴの乗っていた漁船の乗組員、総勢五十八名のうち、約半数がその嵐で帰らぬ人となった。
人や物が上へ下へと関係なく跳ねまわり、チリやゴミと同じく飛ばされていく、凄まじい嵐だった。
あの時の、この世の終わりのような風景を思い出すほど、目の前の華奢な女の周りには、気絶した人間の山ができていた。
ゴナゴの従えた十四人の部下たちは、すでに意識を彼方へ飛ばし、床に転がっている。
女は、手をパンパンと払い、ゴナゴに向き直った。
「さて、やっと話ができるかな」
「話……?」
相手の出方を見ながら、ゴナゴは返した。
おそらく、女の方が強い。
それはわかっている。
しかし、このまま引き下がっては、海賊の名折れだ。
ゴナゴは、剣を抜いて切りかかった。
これだけ戦い続ければ、体力も底をついているはずだ、と考えていた。
肩越しにまっすぐ振り下ろされた剣を、半身になって避け、彼女は左足で刃の背を踏みつけた。
剣は床に突き刺さり、びくともしない。
ゴナゴもすぐに剣を手放せばよかったのだが、間に合わなかった。
「ぐっ!」
回し蹴りが側頭部に当たったことを認識できたのは、床に倒れこんでからだった。
視界が歪み、立ち上がれない。
顔を上げて女を見ると、つかつかとこちらに歩み寄ってきた。
「聞きたいことがある」
女はしゃがみこんで目線を合わせた。
威圧感はないが、この手合いが一番まずいことをゴナゴは知っている。
感情を昂らせずに人を切れる、日常的に暴力に浸かっているやつだ。
下手に抵抗すれば、死もありうる。
それも、いとも簡単に。
「なんだ……?」
「イザベルタって今どこにいる?」
「イザベルタ、だと?」
あの女の名前を、この街で呼ぶなんて正気とは思えない。
「……あいつの関係者か?」
「場所だけ言いなよ」
「……グランベール」
「ん?」
「グランベールにいる」
そう言うと、彼女は酒場の主人に聞いた。
「グランベールってどこ?」
「入江の裏側にある、墓地だ」
彼女は、眉をひそめた。




