05-4.デルガルト
ドワーフのデルガルトの家屋は、タニャルゴの一番奥にあった。
他の小屋と造りは同じで、その違いはデルガルトであることを示す旗が立っていることくらいである。
「おじいさま、ただいま」
日が落ちたころに帰ってきたヨルハにデルガルトは顔を向けた。
手元では山菜の鍋を煮ているところであった。
青臭く、山の匂いのする湯気が、辺りに立ち込めている。
「あの、おじいさま。あのふたりもここに連れてきて、一緒に晩ごはんを食べてもよろしいですか?」
「……うむ。連れてきなさい」
ヨルハの顔が明るくなり、いそいそと出て行った。
彼女にはシュリンガとしての役目が待っている。
だから、ある程度の我儘は許している。
それは、幼い孫に重い使命を負わせてしまった自分を慰めるためだ。
自覚しているものの、慣習を変えるには、老いすぎてしまった。
若いころに、何人もシュリンガとして身をささげた巫女を知っている。
そのころは、意を唱えても聞き入れてもらえなかった。
しかしいざ立場を得てみると、何人もの犠牲の上に成り立った景色が見え、その土台を崩してしまうことができなくなっていた。
「こんばんは、おじゃまします」
ヨルハに続いて、テレジアとヒグドナのふたりが小屋に入ってきた。
狭い小屋ではないが、それでもオークがひとり入ると、天井の低さが気になるものだ。
「孫は失礼をしませんでしたか?」
「とてもよくこの集落のことを教えてくれましたよ。これもデルガルトさんの教えのおかげですね」
「私は何もしておりません。孫が優秀なのです」
鍋の下の薪がパチパチと小さく爆ぜ、山菜鍋の湯気が、天井の穴から外へ抜けて行く。
鍋を囲うようにして、ふたりに座ってもらい、デルガルトはヨルハに器の準備をするよう言った。
「レリアシルはどうでしたかな?」
「とても綺麗でした。あんなに大きな水晶は初めてで、感動しました」
テレジアの目はきらきらと輝いており、デルガルトは少し誇らしい気持ちになった。
普段、訪れた人の感想を聞くことはそれほどない。
素直な感想が嬉しかった。
「それはよかった。我々の自慢ですから」
「ええ、ヨルハさんからも色んなお話を聞けました」
それを聞いて、ちらりとヨルハの方を見る。
彼女の表情は変わらず、黙々と山菜鍋を取り分けている。
シュリンガのことを話したのだろうか。
だとすれば、この旅人たちはお節介を焼きにきたということだ。
まったく、余計なことをするものだ。
「ヨルハさんの服って、他の人と少し違いますよね。何か特別な意味があるんですか?」
「これは、巫女の服なんです。ドワーフの巫女ですから、白くて清潔な服を着ることになっているのです」
「巫女、ということは、何か宗教的な祭事があるということですか?」
皆の前に、山菜をよそった器が配られた。
それを手にとりながら、デルガルトは少し考えた。
(なるほど、こちらの口から語らせようと言うことか。突然うちに来たことからも、ヨルハが話していないとは思えないしな)
説得しようというのなら、どういう手でくるつもりなのか。
デルガルトは正直に話してしまうことに決めた。
「ヨルハは、生贄となる使命を持った巫女です。アンデールの怒りを鎮め、シュレッドを防ぐために、肉体を捨ててアンデールと直接話さなければならないのです」
「彼女が生贄になることは、誰が決めたことなのですか?」
「誰、ではありません。役目は親から子へ受け継がれるものなのです。私がデルガルトになる前から、彼女の一族は生贄――シュリンガとしての役目を背負っています。これは、変えられない宿命なのです」
「あなたは、それでいいと?」
テレジアの聞きたいことは、デルガルトにも分かっている。
彼女はどうあっても、自分の口で言わせたいらしい。
「私の妻、彼女の祖母も、シュリンガでした。この手で溶岩の中へ棺を押したことを覚えています。妻の親類も、そうやって若くして生涯を終えました。すでにたくさんの犠牲の上に、この集落は成り立っているのです。それを分かって頂きたい」
「いえいえ、分かっていますとも。あなたが問題から目を背けているということが」
「何だと!?」
その言葉に、ついカッとなり、デルガルトは器を彼女へ投げつけた。
テレジアは座ったまま少しだけ身を屈めて、汁の入った腕を見事に躱す。
「お前に何が分かる! ここでやめては彼女たちの犠牲が無意味だったことになる! 今までに死んだ者たちのためにも、やめてはならないのだ!」
激昂する彼を前にしても、テレジアは落ち着き払ってゆっくりと腕の汁をすすり、言った。
「今まで犠牲になった人たちが無意味になると言いましたが、目的が変わっていませんか?」
「何がだ?」
肩で息をしながら、デルガルトは聞いた。
「そもそもシュレッドを止めるために、彼女たちは身をささげたはずです。ですが、依然シュレッドはなくならず、犠牲に犠牲を重ねているだけ。ヨルハさんが命を捧げたところで、それは変わらないことを、あなたもたくさんの痛みと引き換えに、よく分かっているはずです」
心の内で、ひそかに思ってはフタをしていたことを言い当てられ、デルガルトには何も言い返せなかった。
こんなことは無意味だと、頭では理解していた。
しかし、続けること以外に、彼女たちの死に意味を与えてやることが、できなかった。
「シュリンガという存在が、失敗だったことを受け入れろというのか……?」
「そうは言っていません。彼女たちの犠牲がないと、間違いであることに気がつけなかった。そして幸運にも、その間違いに気がつけたのが、あなただった。次の代へ渡る前に、制度の見直しができるのは、この集落にとって良いことではありませんか?」
たしかに、彼女の言う通りだった。
生きているのうちに何度も親しい者をシュリンガとして亡くす目にあったことを恨んだ日もあった。
しかしこれは、過ちを繰り返さないために必要なことだったのかもしれない。
デルガルトがヨルハを見ると、小さくまとまって座り、目を見開いて口を一文字に結んでいる。
孫娘になんという表情をさせているのだろう、と途端に自分が馬鹿らしくなった。
「だが、私ひとりの裁量で決められることでは……」
「それは、他の者の反対がなければ、シュリンガの制度を取りやめるということですか?」
「……うむ」
使命感や義務感と自分の感情との間で揺れており、歯切れの悪い返答になったが、デルガルトは小さく頷いた。
彼がシュリンガをやめると口にした途端、テレジアは立ち上がった。
「みなさん! 入ってきてください!」
彼女が入り口に向かって声をかけると、ドワーフの各幹部らがぞろぞろと入ってきた。
「聞いていたのか……」
やられた、とデルガルトは頭を抱えた。
最初から言質をとることが目的だったのだ。
まず周りの者たちから説得したのは、感情に流されやすいドワーフの特性をよく理解している証拠でもある。
皆が心の中で思っていても口にしていなかったことを代弁し、ひとりずつ順番に懐柔していったのだろう。
「デルガルト、英断でしたな!」
「ヨルハちゃんが無事でよかった!」
わいわいとドワーフたちが騒ぎ立てるなか、テレジアはデルガルトに深く頭を下げた。
「無礼なことをしてすみませんでした」
「いや、いい。それにしても、見事な策士だ。以前は何かやっておられたのかな?」
「ええ、少し前まで騎士を……うわっ」
話していると、テレジアの背後からヨルハが抱きついていた。
その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっており、なにか言いたくても、嗚咽ばかりで何も出てこない様子であった。
「ヨルハ、すまなかった。私の弱い心が、お前にシュリンガという役目をおしつけてしまった」
デルガルトが頭を下げると、ヨルハは首を振った。
「おじいさまは悪くない。だって、もうヨルハのあとに死ぬ人はいないんですから。おじいさまは、とても良いことをしたんですよ」
「ヨルハ……」
自分の手に余るくらいの、素晴らしい孫娘だ。
デルガルトは、人目もはばからず、おいおいと泣いた。