04-6.稽古
夜闇に包まれた闘技場の中で、テレジアとガウェイン、そしてルネリットの三人だけが残っていた。
今日は満月で、松明をつけなくても、周囲は明るく見える。
「ええと、稽古をつけるんだっけ?」
「はい。よろしくお願いします」
ルネリットの礼に、テレジアはまたつられて礼をする。
石畳の外ではガウェインが腕を組んで見ている。
手伝う気は全くないようだ。
「じゃあ、まずは軽く打ち合ってみようか。剣を構えて」
テレジアの言う通り、ルネリットは剣を構えた。
刀身が月明かりに反射して、綺麗な溝の射線を光らせている。
「変わった剣だね」
「蛇蝎剣と言います。こちらから仕掛けてもよろしいですか?」
「実力みないと指導できないしね。どうぞ」
ルネリットは剣を構えて、一直線にテレジアへ迫った。
彼女の剣を避けたり、受けたりしながら、剣の振りや、握りの強さをテレジアは見ていた。
速さはそこそこ、重さが少し足りない。
女性であることを加味すれば、充分な強さであるが、彼女は剣聖になろうと言うのだから、それではまだ足りない。
「うん、分かった。じゃあ、次はあなたの得意なやり方でやってみて」
テレジアがそう言うと、彼女は驚いた様子で目を見開いた。
「なぜ、今のが私のやり方ではないと?」
「なぜって、この程度なはずないでしょ。そこのヒゲだって、剣聖なんだよ。その一番弟子がこれくらいしか剣を振れないなら、指導者は責任とって辞任すべきだね」
ルネリットは、ガウェインの方を見る。
彼は何も言わずただ頷いた。
「許可が出たので、本気でいかせてもらいます」
彼女が剣の柄を引っ張ると、刀身がバラバラと地面に散らばった。
そのひとつひとつは、絹糸のような細い鉄の糸で繋がれている。
「なるほど、それで蛇蝎……」
ヘビのように這い、サソリのように刺す。
名前に負けない異様さを漂わせ、ルネリットは持ち手を振った。
すると、地面に転がった刃たちが、一斉に波打った。
テレジアはぞくぞくとする感覚を味わい、意識を集中させた。
かなり離れているにも関わらず、刃たちは正確にテレジアを襲った。
視界を、漂う刀身に塞がれた中で、前後左右あらゆる角度から迫りくる剣を、テレジアは防御も交えながら躱した。
(これは、並の相手じゃ一瞬で細切れにされるね)
闘技場に出ていた者とも違う、才能ある者が努力を重ねてやっと手に入れられるほどの剣技。
鞭のようにしなる剣の先端は、それこそ人が生み出せる速度の限界とも言える速さである。
ほぼ無敵のように思えた蛇蝎剣であったが、テレジアはすぐに弱点を見抜いた。
(足が止まってるなあ。あれじゃ、一対一では勝てても……)
大人数相手には使えない剣技だろう、と感じた。
そして、もうひとつの弱点も見つけた。
テレジアは刀身を弾き、合間を縫って、ルネリットへ一気に近寄った。
「近距離じゃ触れないでしょ」
そう言ってテレジアが剣を振り上げると、ルネリットは素早く剣を両手で握った。
「それくらいの対策はしてます!」
彼女が剣の柄を収めると、伸ばした刀身が一瞬で縮まり、元の形へと戻った。
テレジアの剣を防御し、後ろへ飛ぶ。
「面白い剣だね」
「あ、ありがとうございます……」
彼女はお礼を言って、大きく息を吐いた。
剣を振っている間はずっと体に力が入っているため、まともに呼吸ができない。
そのため、一度止まると呼吸が荒くなり、肩を大きく上下させて息をすることになる。
「今気がついたことだけど、足が止まっていることと、近距離に詰め寄られた時の対応が気になったかな。中距離だと凄くいいけど、それ以外がまだまだかも。とくに、近寄られたら距離をあけるための方法を用意しておかないと、私に打ち込んだくらいの剣じゃ簡単にやられちゃうよ」
「……はい。なんとか、改善します」
テレジアはガウェインの方を見て言った。
「稽古って、これでいいの?」
「ああ、ありがとう。俺も近くで見ているとなかなか分からないことがあるからな。助かった」
「いえいえ、どういたしまして」
石畳から降りようとしたところで、ルネリットが声をあげた。
「待ってください!」
何事かと思い、テレジアは彼女の方を見る。
「今日一日ずっとあなたのことを見ていましたけど、まだ、一度も本気で戦っているところを見ていません。本気を見せてくれませんか? でないと、私、悔しくて」
必死で繰り出した剣すら、いとも簡単に躱された。
その力が本気の何分の一なのか、ルネリットは知りたがっているようであった。
自分がどれだけテレジアに危機感を与えられたか知りたかったのだろう。
「いや、あのさ、本気ってそう簡単に出せるもんじゃないよ」
「私は怪我しても構いません。何なら死んだっていい! 真剣勝負で命を落とすのは、自分が未熟だったというだけのことですから」
それを聞いて、テレジアは淡々と言った。
「真剣勝負ってさ、命のやり取りをするだけのことじゃないでしょ。それに、死んだっていいなんて言ってるうちは、全然ダメ。本当に命をかけて戦いたいなら、まずは絶対に死なないことを目標にしなさい。何をしてでも、絶対に死なないこと。
あなたたち半端者は、すぐに命をかけることを口にする。命の重さも、生きる辛さも、まるで理解していないから。簡単に命をかけられるのは、強さじゃなくて、弱さなんだからね」
「ぐっ……」
何も言い返せなかったのか、ルネリットは口をつぐんだ。
「とにかく、私を本気にさせたかったら、私に死ぬと思わせるしかないよ。それくらい強くなったら、またいつでも相手してあげるから」
テレジアはそう言って踵を返した。
悔しい。
ルネリットの心の中は、その感情に支配されていた。
師匠であるガウェインはああいう男だから、たとえ死んでも弟子相手に本気は出さないだろう。
だから、ガウェインが自分を相手に手を抜くことに対して、そう思ったことはない。
しかし、彼女の場合は違う。
誰が相手でも、自分より格下に本気で戦うつもりが全くない。
それに、剣聖ランスロットの名前を継いでいながら名乗っていないのは、謙虚でもなんでもなく、剣聖の名に敬意を払えていない証拠だ。
テレジアの剣を数度受けたが、そのどれもが、当てる気のない柔らかなものである。
反射神経や動体視力こそ優れているが、攻撃は大したことないのではないだろうか。
ルネリットの胸中にそんな疑問が浮かぶ。
それは、あまりにも軽率で、普段の彼女なら絶対にやらないことである。
しかし、この時だけは正常な判断能力を失っていた。
負けん気の強さが、彼女の行動を狂わせた。
「テレジアさん、お父さんがいたんですよね」
声が上ずって震える。
自分が何を言おうとしているのか、頭では理解しているが、止められない。
テレジアはこちらを向かず、背中を見せたまま足を止めた。
「おい! 何するつもりだ!」
ガウェインが大声をあげる。
しかし、ルネリットの耳にその声は届いていない。
「さ、さぞかし、立派な父親だったのでしょうね。ひとり娘に、た、戦うことしか教えなかった、無教養で、愛情のない父親なんでしょう?」
声がか細くなり、もうそれ以上の言葉は出てこない。
言ってはならないことを言ってしまった。
手足が震える。
それでも、剣を握る手だけはしっかりと意識を保つ。
テレジアがゆっくりと顔だけをミリアに向けた。
まったく、先程と同一人物とは思えないほど冷たい表情をしていた。
その目は、今までに見たどんな目よりも殺気を感じた。
「ルネリット!!」
ガウェインの駆け出した様子が視界の端に見える。
だが、ルネリットはテレジアから視線を外せなかった。
気がつくと、ルネリットは蛇蝎剣を展開して、凄まじい殺気を放つテレジアに向けて振っていた。
しかし、刀身が届く前に、彼女の姿が消えた。
「えっ!?」
テレジアは蛇蝎剣よりも下、地面との僅かな隙間に潜り込めるほど体勢を低くして、ルネリットの傍まで詰め寄っていた。
そして、最初の一撃で、刀身の根元から伸びる鉄の繊維を斬り飛ばす。
下から打ち上げられ、銀色の刀身がばらばらと、まるで星のように夜空へ舞い上がる。
呆気にとられたルネリットの眼前に、半身になって剣を引いて構えたテレジアがいた。
(突きがくる!?)
そう思ったものの、体が動かない。
先程のテレジアの一撃で、腕が弾き飛ばされていて、避ける姿勢を作れない。
空気の凍ったような感覚がした。
血の気が引くというのは、まさにこのことを言うのだろう。
テレジアの剣は、ルネリットの眼鏡のガラスレンズに突き刺さって止まっていた。
あと数センチで、左目が使い物にならなくなっていただろう。
「……満足?」
テレジアがまだ無感情な目を向けて、そう一言聞いた。
「……はい」
「それと?」
「……すみませんでした」
「よし」
テレジアは表情を柔らかくして、剣を納めた。
挑発しておかながら、何もできずに、剣を折られて、なんと情けないのだろう。
へたり込んだまま、動けなくなったルネリットの目に、涙が溢れ出した。
「泣くの?」
テレジアはもう怒っていないようだったが、冷たい口調でそう言った。
ルネリットは、涙の溜まった目を手袋の甲でごしごしと拭き、立ち上がった。
「泣いてません! だって、私は、剣聖になるんですから!!」
敬意が足りなかったのは自分の方だった、とルネリットは先程の愚行を恥じた。
そんなルネリットから闘う意志を感じたのか、テレジアは、ガウェインの方を向いて言った。
「ガウェイン、代わりの剣持ってきて」
「ああ、わかった」
走っていくガウェインの後姿を見送って、テレジアは言った。
「ルネリットは本気で剣聖になりたいみたいだし、これ、言おうか悩んだんだけど、せっかくだし、言うね。剣聖になるのって、ただ称号をもらうだけのことじゃないんだよ」
テレジアが困ったように微笑んだ。
これから剣聖になろうとしているルネリットに、伝えておきたいことがあるのだろう。
彼女は言葉を続けた。
「名声や責任なんかより、もっと重いものを背負わされる。私も知っていれば、剣聖になんてならなかったかもしれない。でも、あの時はそれ以外道がなかったし、今考えても、仕方ないことなんだけどね。
聖杯は、剣聖の名を与えるけど、同時にあるひとつの使命を課す。その使命を果たす覚悟ができた時、初めて剣聖を名乗ることになるの。私には、それができなかった。目の前にある自分の目的しか見えてなくて、剣聖って名前だけ利用してやるつもりだったからかもしれないけど、本当は、怖気づいていたんだろうな」
ルネリットもガウェインから少しは剣聖のことを聞いていた。
しかし、剣聖に使命があるなどという話は、聞いたことがない。
「私は弱いからさ、大きな使命を成し遂げられるなんて、思ってない。でも、ガウェインは、すぐ覚悟を決めた。聖杯からあれを見せられて、そういう行動をとれるのって、すごいんだよ」
「それって、何なんですか?」
「それは――――」
「え?」
テレジアの口はたしかに動いているが、まるで見えない壁があるかのように、音がまったく聞こえなかった。
「ね? 聞こえないでしょ。聖杯から託された使命って、剣聖以外には話せないようになってる。だから、あなたが剣聖になったら、また改めてこの話をしようね。その時には、私も覚悟が決まってると思うから」
代わりの剣を五本ほど持ったガウェインが、向こうから歩いてくる。
テレジアが弟子の特訓に付き合ってくれる気になっていることが嬉しいようで、使い走りにされていても、嫌な顔ひとつしていない。
「さあ、まだ月は高いよ。私と戦って得られるものがあるのなら、いくらでも持っていって」
「はい! お願いします!」
夜はまだ、始まったばかりだ。




