04-5.決勝戦
朝から始まった闘技大会も、日が暮れ始めると同時に決勝戦を迎えた。
少し休憩時間を挟み、テレジアとイザベルタの試合が始まろうとしていた。
「正々堂々やろうぜ、テレジア」
「はい、お願いします」
イザベルタの曲刀は、それほど大きなものではない。
剣の刀身ならテレジアの持っているものの方が長い。
しかし、テレジアは曲刀を使う相手と対峙したことがなかった。
彼女がどんな動きをするか、全く予想できない。
試合開始の銅鑼が鳴った。
イザベルタは剣を片手に構え、半身になる。
それを見て、ある程度はテレジアにも予測がついた。
ナイフと同じようなその体勢は、狭いところや物の多いところで戦うためのものだ。
そのため、大振りな攻撃はない。
そう思った時、イザベルタが飛びあがった。
これが人間の跳躍力か、と思うほど高く飛びあがり、真正面からテレジアに切りかかったのだ。
しかし、しっかりと見ていたテレジアは難なく躱し、着地に合わせて剣を振る。
胴に当てて、場外まで吹き飛ばすつもりだった。
それを読んだのか、彼女は猫のように四足で着地し、テレジアの剣は彼女の三角帽を斬り飛ばすのみとなった。
「あっぶねえ!」
イザベルタは、そう言いながら、数歩後ろへ下がる。
間合いを開けて、他の攻撃を仕掛けようとしたのだろうが、見逃してやるほどテレジアも甘くない。
鎧を着ているとは思えない速さで、彼女へ追いつき、曲刀を持っている手を弾く。
曲刀は空中を舞って、イザベルタから離れたところへ転がった。
「ま、待て!」
彼女が武器を無くしたことを伝えようとしたのか、両手を出してテレジアを制しようとしたが、テレジアはそれを聞くことなく、剣を振った。
反射神経がよほど優れているのだろう。
イザベルタはギリギリのところで剣を避け、曲刀を拾いに行こうとした。
テレジアの狙いは、そこであった。
踏み出した足に、自分の足を合わせ、イザベルタを転ばせようとする。
しかし、意外にも、彼女はその場で踏みとどまり、テレジアの剣を左手で掴んだ。
「何をしているの?」
「振りほどいてみなよ」
強い力で握られた拳は、少し剣を動かしたくらいでは全く開く様子がない。
(こんなことして……。指がいらないのかな)
長い間戦場にいたこともあり、戦っているときのテレジアの心からは『容赦』という言葉が消し去られている。
相手のことを気遣っていては、自分が殺されるからだ。
だから、当然のように刃を滑らせ、指を斬り落として剣を抜こうとした。
その時、剣が突然軽くなった。
握りが外れたのかと思ったが、左手はたしかにそこにある。
なくなったのは、手首から先だ。
(義手!?)
テレジアの驚いた顔を見て、イザベルタは不敵な笑みを浮かべた。
「隠し玉だぜ」
イザベルタの左手からは、黒い鉄の筒が伸びている。
それが何であるかは分からなくても、危険を感じたテレジアは咄嗟に剣を捨て、回避の体勢をとった。
瞬間、鉄のつぶてが、テレジアのいたところを襲った。
石畳には穴が空き、それがただならぬ威力であることを伝える。
小さな筒がイザベルタの肘から排出され、軽い金属音を立てながら床に転がる。
「もう一発!」
イザベルタはテレジアに腕を向けようとしたが、すでにテレジアは至近距離に詰めていた。
胸倉を掴み、イザベルタを力任せに投げ飛ばした。
片手が使えない状態ではイザベルタも満足に姿勢の制御ができないのだろう。
背中から石畳の上に落ち、息を詰まらせる。
すぐに起き上がったが、その時にはテレジアが剣を突きつけて立っていた。
義手の中に武器を隠しているなど、初めてのことである。
気がつかなかったら危ないところだった。
「終わりです」
「……ああ、クソ! 負けだ負け! あたしの負けだぁ!」
イザベルタのその叫びが響いたあと、試合終了の銅鑼が鳴った。
今回の優勝者は、テレジアと決まり、会場は沸きに沸いた。
無名の新人が優勝となれば、熱狂する者も出る。
テレジアへの声援が響き渡るほど、彼女は今日一日で多大な人気を集めていた。
表彰式では、テレジアに記念のメダルと賞金の金貨十枚が贈られた。
テレジアはすぐに賞金を孤児院へ寄付することにして、ガウェインにそういう手続きをするように言った。
闘技場から出ると、孤児院のシスターと子供たちが、テレジアを取り囲んだ。
「すごいすごい!」
「お姉さんかっこよかった!」
「なんであんなに強いの?」
テレジアが笑って彼らの頭を撫でていると、シスターが言った。
「賞金、寄付していただいたのはありがたかったのですが、本当に良かったのですか? 旅の費用にあてた方が……」
「ああ、お金はたくさん持っているんですよ。なので、これくらいのことは問題ありません。それより、ありがとうございました。今日勝てたのも、みんなに応援してもらえたからです」
「そんな、私たちがいなくても充分勝てたでしょうに」
「いえいえ。とんでもない」
謙遜して話していると、後ろからイザベルタに背中を叩かれた。
「うわっ」
「あんたが勝てたのは、この子たちのおかげだって? あっはっはっは! 全く本気じゃなかったくせに!」
イザベルタは豪快に笑って言った。
「あんたさ、あたしが本気で殺そうとしてたことにも気がついてたろ」
「はい。最初からずっと、ですよね。少しでも親しくなっていれば剣が鈍るはずですから」
「こりゃ驚いた。全部分かった上で付き合ってたのかい」
「そういうことには、少しだけ心得があるので」
「そうかい。完敗だわ」
イザベルタのところにも子供たちは集まっていた。
彼女は前から人気があったのだろう。
握手を求められ、それに応じている。
「あたしのこと、知らないんだったね。改めて自己紹介させてもらうよ。あたしはイザベルタ・ジークリッド。オールーズの海でエレシエル海賊団ってのをやってる。あ、海賊って言っても客船襲ったりはしないぜ? まあ、海賊狩りの海賊って感じだ。」
「海賊だったんですか。わかりませんでした」
「ここの賞金で船の装備整えてんだ。まあ、今年みたいにとれない時もあるから、ないと困るものではないんだが」
「これからまた海へ戻るんですか?」
「海賊だからね。あたしたちはエンゲイトって港町を拠点にしている。もし寄ることがあったら声かけてくれ。歓迎するよ」
そう言って、イザベルタはテレジアたちの前から去って行った。
被った三角帽にはテレジアの剣の跡がついている。
それを見て、申し訳ないことをしたな、と少し思った。
「じゃあ、私たちも帰りますか。今日はテレジアさんのお祝いをしなくちゃ」
「ああ、そうだ。ごめんなさい。私まだやることが少し残っているので、孤児院へ戻るのは夜中になるかもしれません」
「そうですか……。残念です」
「お気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます。ヒグドナが戻ってきたら、そう伝えておいてください」
「分かりました。では、暗くなる前に、私たちは家へ戻りましょう」
子供を連れて去って行くシスターの後姿を見送り、テレジアはひと息ついて、闘技場を見上げた。
まだ少し明るい夜空に月が出ていた。
エティダルグの街の路地裏に、オークのための店がある。
ヒグドナは人が少なくなりはじめた夕方ごろに、そこへ向かっていた。
オークのための店は、オークにだけ分かる匂いを道しるべに使い、街の入り組んだ場所に隠れている。
大きな街にはだいたい五軒か六軒ほど存在するその店は、そのほとんどが酒屋である。
一般向けの酒屋で酒を飲むことに抵抗のあるオークたちは、夜な夜なその店で酒を飲むのだ。
ヒグドナがその店に入ると、中ではすでに数名のオークたちが飲んでいた。
広い店内の奥では楽器を鳴らすオークたちがいた。
ムントと呼ばれる弓状の木に弦を張った弦楽器の音色と、ボンバゴという太鼓の音が、オークの民謡を奏でている。
その音楽を聞きながら、皆は静かに飲んでいた。
ヒグドナはカウンター席に座り、酒を注文した。
「お客さん、遠くから来た人かい?」
「ああ……」
「もしよければ、そのフードを外してくれねえか」
ヒグドナは旅用のマントを外し、顔を出した。
その顔を見た酒場の主人は、小さく驚いた。
「あ、あんたは……」
主人はそれだけ言うと、黙って小さな酒のボトルをあけて、ヒグドナへ渡した。
「俺、あんたのファンなんだ。深緑のヒグドナ。こんなところで会えるなんて。これはこの店にある中で一番いい酒、俺からの気持ちだ」
「そうか」
ヒグドナは短く返して、彼からその酒を受け取った。
彼がおすすめする色々な種類の酒を飲みながら、どれだけヒグドナのことを尊敬しているか聞いていると、新たに来客が現れた。
店内の音楽が止まり、全員がその来客を見る。
背が高く、すらっとしたエルフの男がそこに立っていた。
「……お客さん、ここはオークの店だ。悪いけど、帰ってくれねえか」
「オーク専用ってわけでもねえんだろ。なんだ、お前らは人種で差別すんのか?」
男はそう言って、勝手に席へついた。
周囲のオークたちの視線を浴びながらも、彼は涼しい顔をしていた。
「……注文は?」
「そうだな、オークの生首ひとつってとこか」
「笑えない冗談だ。力づくで放り出されたくなければ、今すぐ出ていけ」
主人は怒りを隠さずに、彼へ強い口調で言った。
しかし、彼は笑った。
「ここに、ラルゴってやつよく来るだろ。そいつの首が、俺の目的。闘技場から帰ってきてるんじゃねえか?」
店の奥の座席にいた、ひとりのオークが立ち上がった。
「俺がラルゴだ」
「おお、いたのか。オークなんてどいつもこいつも同じで見分けつかねえからよ。助かったぜ」
彼は懐から鉄の火筒を取り出し、彼に向けた。
「てめえ、エレシエル海賊団のやつか」
「申し遅れた。俺はエレシエル海賊団、副船長のシュリックだ。船長は嫌がるだろうが、ここでお前を始末しておけば、来年からは賞金を毎年うちがもらえるからな。収入源のひとつとして安定させたいのさ」
「やってみろ。それを撃った瞬間に、首の骨をへし折ってやる」
ラルゴは彼の前に歩み寄った。
確かな殺意をはらんだ目で彼を睨んでいる。
彼が引き金に指をかけた、その時である。
銃身をヒグドナが掴んで、握り潰した。
「なんだ、てめえ!」
シュリックは即座に銃を捨てて、ナイフを取り出し、ヒグドナの腹部に突き刺した。
しかし、全く刃は通らず、金属音と共にナイフは折れて、弾け飛んだ。
「おれを刺したかったら、最低でもオリハルコンのナイフを持ってくるんだな」
「クソが!」
ヒグドナが彼の腕を掴もうと手を伸ばすと、彼は野生の獣のように素早く飛び退き、店から出ていった。
主人が追いかけるも、すぐに見失ったようで、すごすごと戻ってきた。
「助けなんか、いらなかったぜ」
ラルゴは不満げにヒグドナにそう言う。
ヒグドナは黙々と、シュリックの落とした銃の破片を拾った。
「これを見ろ」
ヒグドナがラルゴに渡したのは、銃に込められていた弾である。
まるで矢のように尖っており、その先には毒が塗られていた。
「体に自信があったとしても、よくわからない攻撃は避けておけ。これが打ち込まれていたら、お前は死んでいたぞ」
「あんたにはこれが何の毒か分かるってのか」
「分からないのか……」
オークなら知っていて当然の草木の知識が、彼にはないようであった。
ヒグドナは少しだけ落胆したが、若いオークが森へ入らず人間と共に生活出来ていることは喜ぶべきことだと考え直した。
すぐに、主人がカウンターから出てきて、ヒグドナに説明した。
「ヒグドナさん、すみません。彼はこの街で生まれ育ったオークなので、無知なもので……」
「は? おっさん、なんでこんな余所者のジジイにそんな低姿勢なんだよ」
彼らの会話を聞いて、ヒグドナは笑った。
「それでいい。生きるための知恵が必要ないというのは、いいことだ。安心して暮らせているということだからな」
「……馬鹿にしているのか?」
「そう聞こえたか。まったく、元気がいい。おれの時代もお前みたいに血の気の多いやつが多ければ、もう少し楽だったかもな。……さて、余所者は帰るとするか。酒、美味かったぜ」
ずっと森で暮らしていると分からないこともあった。
今の子たちは、すでに自分たちとは違う世代なのだと痛感させられた。
店を出たヒグドナは夜空に浮かぶ月を見た。
長い時を重ねたら、大きく変わることもある。
奴隷制度がなくなっても迫害の無くならない世の中へ絶望するヒグドナに、ロジーナはそう言った。
オークを奴隷制度から救ったとして、彼らに人間と仲良く暮らしていけとは、とても言えなかった。
あの時の、怨念のこもった黒い瞳を、ヒグドナは忘れられない。
そんな、絶対にどうにもならないと思えることですら、百年という月日は変えてしまっている。
時間の流れは、恨みという大きな岩石ですら、少しずつ削っていけるのだろう。
(もう、テレジアも戻ってきているころだろうか)
ヒグドナは、旅用のマントをもう一度頭まで被り、孤児院を目指して歩いた。




