04-3.闘技大会一回戦
闘技場の一番高いところでは、黒い髪に黒いヒゲを生やした大男が、豪華な椅子に座り、外を眺めていた。
彼の傍らには彼の身長と同じくらいに大きく、闇夜のように黒い刀身をした剣があり、部屋の奥には鎧もかけられている。
「ガウェインさま、失礼します。本戦出場者が決まりました」
そう言って部屋へ入ってきた女性は、眼鏡をかけた冷徹そうな雰囲気を出しており、腰には蛇腹のような模様がついた剣がある。
「ルネちゃん、おつかれ」
「今年もあの方がいらっしゃっています」
「イザベルタ? こりないねえ。俺のことが好きなのかな」
「冗談はその不潔なヒゲだけにしてください」
ガウェインは大声で笑うと、ルネリットの尻を触ろうと手を伸ばすが、すぐに掴まれて放り投げられた。
「ルネちゃんの堅物。ちょっとくらいいいじゃん」
「師匠のそういうところ、本当に反吐が出ます」
ルネリットは、窓の外で、試合会場に並ぶ参加者たちを眺め、言った。
「ガウェインさま、今年は女性がもうひとりいるようですね」
「あー? どうせゴリラみたいな女だろ。もう見飽きてんだよ、その手のやつは」
「いえ、けっこう可愛らしい方ですよ」
「……なに?」
ガウェインは座席の下から遠眼鏡を取り出して、試合会場を覗いた。
今年もイザベルタやオークのラルゴが来ていることを確認する。
毎年、ほとんどの場合は、彼らの優勝争いになる。
他の選手のために、そろそろ何か処置をしてやらないといけないな、と思っていたところだ。
視線を順に移していき、テレジアが視界に入った途端、ガウェインは遠眼鏡を落とした。
「……ガウェインさま?」
目を見開き、口を閉じることも忘れ、ガウェインはしばらく固まっていた。
この場にいるはずのない人間を見てしまったことで、思考が完全に停止していた。
「な、ななな、なんであいつがここにいるんだ!?」
「落ち着いてください、ガウェインさま。誰なんですか?」
「本物のゴリラだぞ! あいつは!」
「落ち着いてください。人間です」
ガウェインはふらふらと椅子まで戻り、どかっと座った。
「あいつは、ランスロットだ」
ガウェインがつぶやくと、ルネリットは驚いた様子で、床に転がった遠眼鏡を拾い上げ、眼鏡をずらして会場を眺めた。
「嘘でしょう!? だって、まだあんなに若いんですよ!? それに、ランスロットって、ずっと兜を被っていたから、誰も素顔を知らないって……」
「そう、素顔を見たらお前と同じ反応をするだろうからな。あいつは人にそういう目で見られるのが、嫌いだ」
そう言って、ガウェインは上半身の服を脱ぎ始めた。
「あの、何をやっているんですか?」
ルネリットは目を細めて剣に手をかける。
慌ててガウェインはそれを制した。
「違う違う! 分かった、脱がないから! ……俺の体にある、肩から胴まで抜けてる大きな傷、知ってるだろ? 俺はあいつに一回殺されかけてんだよ」
「痴漢行為を働いたからですか?」
「……信用ないのね、俺。まあでも、とにかく、俺が人生で味わった中で一番怖かった出来事でもある。だから、できればあいつを見たくない。思い出してしまうからな」
「じゃあ、ここに呼びましょう」
「なんでだよ」
「師匠にも苦手なものがあるのなら、勉強しておきたいからです。それに、本当にランスロットなら、私も少し武芸の手ほどきを受けたいので」
「……お前の勤勉さに引いてるわ」
ガウェインは、頬杖をついて、そう言った。
テレジアは、雰囲気に飲まれていた。
四方から歓声や応援が飛び交う。
それが自分に向けられたものでないことは分かる。
しかし、会場を包む熱気が、テレジアの感じたことのない戦場の空気を作り出していた。
「あがってるね」
イザベルタがそう言ってテレジアをつつく。
「はは、いや、こういう場にはなれてなくて」
「いいじゃん、可愛いよ」
八人の予選突破者がここに並んでいた。
テレジアとイザベルタ以外の六人は全員男性である。
名前は、端からカルステン、レオポルド、ブレリール、ジェム、ダニ、ラルゴとなっているが、テレジアの頭に残ったのは、ラルゴただひとりである。
彼は、唯一オークでの参加者だった。
いつもヒグドナを見ているテレジアの目からは、一回り小さいオークに見えている。
それに、肌の色も、ヒグドナが深い緑色をしているのに対して、彼はまだ若い木のような明るい茶色をしている。
手には背丈の半分ほどの巨大なこん棒を持っており、あれに当たると痛そうだ、とテレジアは思った。
「いちゃついてんじゃねえぞ、イザベルタ」
テレジアの隣にいた若い男、カルステンがそう言って突っかかった。
イザベルタは肩をすくめて、返した。
「万年一回戦敗退の人じゃん。ええと、名前、何て言ったっけ?」
「貴様……!!」
「二回戦まで上がってみれば? そしたら、名前覚えてやるよ。ねえ、テレジア?」
「えっ!?」
テレジアは慌ててイザベルタの顔を見る。
彼女はニコニコと笑っていた。
(ま、巻き込まれた……!?)
カルステンは、まだ何も言っていないテレジアまでも敵視していた。
ずっと彼に睨まれたまま開会式を終え、抽選の結果、対戦相手が決まった。
テレジアの相手は、つい先程恨みを買ったばかりのカルステンであった。
よく分からない人間関係に巻き込まれ、せっかく楽しくやろうとしていたのだが、彼は本気でテレジアを叩き潰すつもりになっているようだ。
本気で向かって来られるのは構わないが、終わったあと禍根を残すようでは困る。
こういう時、大切なのは敗北感だ。
完膚無きまでに負けた、と彼に思わせなければならない。
そしてそれは、並大抵のことではない。
そうこうしているうちに、一回戦が始まった。
テレジアとカルステンの試合は、一回戦の第二試合だった。
石畳の上で向かい合い、審判の合図と共に両者とも武器を構える。
カルステンの武器は長槍であった。
槍先を下段に降ろし、体を捻って背面を見せる特徴的な体勢は、突撃することだけに重きを置いた構えである。
テレジアの作戦は、すでに決まっていた。
彼の一番得意な技を正面から破って、こちらは手の内を見せないまま勝つ。
そう考えていたのだが、銅鑼が鳴って試合が始まり、彼が槍を持ってテレジアに飛び込んできた瞬間に、テレジアは反射的に槍を斬り飛ばしていた。
何千回と繰り返した動きを、体が勝手に行ったのだ。
「なっ……」
彼が驚いている暇に、テレジアは回転し、がら空きになった彼の腹を剣の柄で撃つ。
くぐもった声と共に前かがみになった彼の後頭部を掴み、地面に叩きつけていた。
会場が、静寂に包まれる。
誰も、テレジアがそこまでやるとは思っていなかったのだろう。
実際に戦っていたテレジアの意識がはっきりしたのは、そこからであった。
「あっ、やりすぎた!」
そう自覚した時には、カルステンは医務室へ運ばれていく最中であった。
観客席中から歓声があがる。
テレジアは、たったひと試合で、彼らの心を掴んでしまったのだ。
照れくさくなり、笑いながら試合場から控室へ向かう。
試合の様子を見ていた他の参加者たちは、まるで化け物でも見るような目でテレジアを見ていた。
「テレジア、あんた、何者?」
イザベルタですら、興奮さめやらぬ様子で、テレジアに話しかけた。
「いやあ、何と言ったらいいのか……」
のらりくらりと質問をかわしていると、控室に銀色の眼鏡を光らせたルネリットがやってきた。
「テレジアさん、ガウェインさまがお呼びです」
「あ、やっぱり、そうなるよね」
ルネリットに連れられていくテレジアに、イザベルタは言った。
「まさか、棄権するんじゃないだろうね。あんたは決勝まで残るんだよ。いいね?」
「うん、大丈夫。棄権はしないから。イザベルタさんも、がんばって!」
ふたりは硬い握手をして別れた。
次は、イザベルタとジェムの試合である。




