04-2.闘技大会予選
明るい日差しが窓から差し込み、テレジアは目を覚ました。
ヒグドナはすでに起きているのか、 室内にはいない。
いつものことだ、と気に留めず、自分も出かける準備を始めた。
腰に剣をさし、せっかくなので鎧も着ていくことにした。
外に出ると、シスターが子供たちを遊ばせている。
「おはようございます。お世話になりました」
「いえいえ、これから受付に行かれるのでしょう?急いだ方がよろしいかと」
「そうですね。少し寝過ぎました」
「私たちは後で応援に行きます。予選が終わってからでないと観戦できないので、昼ごろになると思います」
「了解です。ああ、緊張してきた」
人前で剣技を披露することは、剣聖の試験以来、約八年ぶりである。
指を閉じたり開いたりして、緊張の確認をしながら、テレジアは闘技場へ向かった。
昨日にも増して、街の中には人が溢れていた。
朝だというのに、闘技場の周りは観客たちの列が続き、今か今かと門の開く時間を待っているようであった。
テレジアは人の波をかき分け、闘技大会の受付へ、やっとの思いで辿りついた。
「まだ、参加は間に合いますか?」
「ええ、まだ参加を受け付けていますよ。ここに名前と、あと誓約書にサインを。参加費はお持ちですか?」
「これで足りますか?」
「銀貨一枚ですね。大丈夫です。では、ええと、テレジア・ローゼンミュラーさん。選手番号は五十二番です。そのままこの通路を通って、奥の控室へお進みください」
(五十二番ってことは、前に五十一人いるってことだよね。多いなぁ)
控室は広かったが、空気は悪く、むせ返るような臭いが立ち込めていた。
テレジアも少し前まで騎士団にいたのだから、これくらいは慣れているが、久々に味わった男臭さに少しだけ顔をしかめた。
わざわざ室内に控室を用意せずとも、野外でも良かったのではないだろうか、と少し思う。
陽射しなど気にするような繊細な輩ではないだろうに。
テレジアは周囲の様子を見ながら、落ち着ける場所を探して歩いた。
すると意外にも、女性を何人か見かけた。
彼女たちはみんなすらっとした長身で筋肉質な体を露出しており、テレジアのように鎧を着込んでいる者はひとりもいない。
なんとなく居心地の悪さを感じ、やがて部屋の隅に椅子を見つけ、テレジアは座った。
そうしてみると、やはり視線を感じる。
テレジアは、その視線の意味をよく理解している。
年も若く体格の小さい彼女の姿は、ここにいる戦うための体をしている厳つい男たちから見れば、よほど場違いに見えているに違いない。
視線や興味に耐えること数十分、大会の運営者から、予選のため場所を移動するよう通達があった。
控室から選手番号順に出ていく。
テレジアよりあとに入ってきた人間がいないことを考えれば、一番最後になるだろう、と肩の力を抜いて座っていた。
すると、控室で暇そうにしていた女性のひとりが話しかけて来た。
「ね、あんた、なんでここに来たの?」
皆が思っているであろう疑問を直接聞きに来た彼女は、赤と黒で装飾された三角帽を被り、服もまた、赤と黒で統一されている。
胸の中心には大きな髑髏が描かれており、右腰には曲刀が供えられていた。
「出ることを約束してしまったので」
「そうなんだ」
彼女はくすくすと笑い、テレジアの隣に座った。
「あんた面白いな。普通それくらいで出ないでしょ。名前は?」
「テレジアです。あなたは?」
「あたしはイザベルタ。イザベルタ・ジークリッド」
自信満々にそう言って、彼女はしばらくこちらの反応を待っていたが、やがて首をかしげた。
「……もしかして知らない?」
「ごめんなさい」
「あっはっはっは! そう、いや、ならいいんだ。テレジア、予選って何やるか知ってるか?」
「ええ。体力テストか何かですか?」
「ハッ! ここは闘技場だぜ? 客を楽しませられないような雑魚が残っても仕方ないだろ」
確かに、無様な戦いを見せるようではせっかく身に来た甲斐がないというものでもある。
それに、きちんと相手を倒せなければ、見に来た観客たちも白けてしまうだろう。
「じゃあ、何をやるんですか?」
「実戦だよ。あのガウェインの弟子と戦うんだ」
「ガウェインの……」
「心配すんな。あいつらだって、殺しはしねえよ」
「あはは……」
苦笑いをするしかない。
ガウェインの弟子となれば、そこそこ強いだろう。
手加減して、潜り込んでいることが知られないようにする作戦は、少し無理なのかもしれない。
「次、二十二番の方! 準備をお願いします!」
「お、あたしだ。じゃあな、テレジア。本戦で会おうぜ」
「はい。がんばってください」
イザベルタはテレジアと拳を合わせて、予選会場へ向かって行った。
(有名な人、だったのかな。緊張をほぐしてくれたみたいだったけど、たぶん、牽制なんだろうなぁ……)
何を企んでいたのかは分からないが、彼女のおかげで、テレジアは残りの時間を落ち着いて過ごせた。
控室の中の人影は段々と少なくなり、やがてテレジアを残して、全員出ていってしまった。
「五十二番の方、どうぞ!」
係の者から呼ばれて、テレジアは通路を抜けて闘技場の中へと入った。
周囲全てをまだ誰も座っていない客席に囲まれ、中央には石畳の敷かれた闘技場がある。
その周りには審判や救護係の者が待機している。
そして、闘技場の真ん中には、半裸で体格の良い男が立っていた。
見事に鍛えられた筋肉が、まるで岩石のような鈍い光沢を放っている。
右手には、長い鉄棒を持っていた。
「では、お上がりください」
「え、は、はい」
男は礼をして、テレジアに向かい合った。
「私は、エドワルドと申します。あなたは、どんな手段や武器を使ってもいいので、私に一太刀浴びせられたら合格です。こちらからは攻撃しませんが、審判が無理だと判断するか、この石畳から出てしまうと、失格になります。よろしいですか?」
「はい、だいたい分かりました」
なるほど、とテレジアは納得した。
一定以上の実力者を見極めて、わざと負けるのが彼の仕事なのだろう。
修行という側面もあるだろうが、いいところで隙を作ったりするはずだ。
(それで勝っても、ねえ)
人と戦うことが久しぶりであることと、自分の調子を取り戻すためにも、少し彼には本気を出してもらいたい。
「あの、ひとつ質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「この予選って、他の選手は見ているんですか?」
「いいえ。本戦を公平にするために、見られないように別室へ移ってもらっています」
テレジアは、よし、と拳を握った。
誰にも見られないのであれば、ここで何をしようと問題はない。
できるだけ、彼らに騒がれたくないこともある。
「では、私にも鉄の棒をもらえますか?」
テレジアは、石畳の外にいる男に声をかけた。
「はは、剣でもいいですよ」
「あなたを倒すのに、剣はいりませんから」
そう言われて、エドワルドは少しだけ眉を動かした。
ガウェインの弟子というくらいだ。
自分の強さに少なからず誇りを持っているに違いないとふんだのだ。
「ああ、すみません。別に鉄の棒である必要はありませんでした。ここに鞘のついている剣がありますから」
「……挑発のつもりなら、あまり感心しませんね。私もこういう立場の者ですから、けっこういるんですよ。あなたのように、身の安全が保証されていると思い込んでいる馬鹿が」
彼は少し怒気をはらんだ声になった。
もうひと押し、とテレジアは続けた。
「誓約書にサインしたことを、お忘れですか? ここで怪我をしても、訴えられませんよ」
「あなたこそ、訴える準備をした方がいいのではないかと。怪我をしたら、ガウェインにも怒られるでしょうし」
その瞬間、彼の堪忍袋の緒が切れたのだろう。
まだ剣を構えていないテレジアに向かって、一直線に突進してきた。
「師匠を呼び捨てで呼ぶな!!」
素早く鞘を腰から外し、テレジアは構える。
彼の間合いに入ると、体重を乗せた凄まじい連撃が始まった。
岩を砕く濁流のようなその攻撃を、テレジアは鞘で受け、一歩も引かない。
外で見ていた審判や係の男たちは、その危険な事態に、全く動けなかった。
「エドワルドさん、本気だ」
「今まで挑発してきた相手は、必ず半殺しにしてるエドワルドさんを怒らせるなんて、あの娘、死ぬぞ……」
最初は彼らも、そう言って、助けに入ろうとする気はあったようだったが、やがて、口をつぐんで、戦いの様子を見守っていた。
それは、テレジアがあまりにも涼しい顔で、彼の剣を受け続けていたからだ。
全員が、その光景に釘づけであった。
突風でも吹けば飛んでいきそうな体の小さな女が、牛のような男の連撃を全て凌いでいる。
全くもって効果のあるとは思えない攻撃を続けていたエドワルドも体力の限界が来たのか、少しだけ、攻撃の手が緩んだ。
その瞬間、テレジアは進み続ける彼の足を、いとも簡単にすくった。
仰向けに転がった彼の上に乗り、鞘を喉に突きつける。
「もう一回、やる?」
息も絶え絶えの彼を見下ろして、テレジアは言った。
しばらく、彼はテレジアを睨んでいたが、やがて首を振った。
「……あなた、人が悪いですね。私に本気で打ち込ませるために、わざと挑発して」
「ごめんね。でも、剣筋、悪くなかったよ」
「褒められてる気がしません」
彼は仰向けに転がったまま、四肢を放り投げた。
完敗だ、と認めたのだろう。
実力差を素直に認められるのはいい事だ、とテレジアは微笑んだ。
「彼女を出場者の部屋へ」
テレジアは鞘のついた剣を腰へ戻し、次の部屋へと向かった。