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04-1.エティダルグの街

エティダルグの街は、大いに賑わっていた。

まだ昼間だと言うのに、大通りにそってたくさんの灯りが吊るされ、市場の活気もさることながら、おそらく他の地域から来たであろう観光客も多い。

通りは多種多様な人たちに埋め尽くされ、少し進むのにも押し合いへし合いしながら、やっと数メートルといったところだ。


そんな人の波の中で、テレジアとヒグドナは宿を探していたのだが、難儀であった。

まず、宿屋を探すだけでも大変であり、そもそもほとんどの宿は、すでに満室である。


日が暮れ始め、辺りが夕暮れに包まれたころ、テレジアは七軒目の宿を後にして、路肩に座り込んだ。

さすがに昼間よりも人は減っているが、夕闇の静かな雰囲気とはほど遠い。


「もう無理! なんでこんなお祭り騒ぎなの!?」


テレジアはそう言ってわめいた。


「さっき貼り紙がしてあったが……」


ヒグドナから一枚の紙を渡され、テレジアはそれをしげしげと眺めた。


「春終期十日、剣聖ガウェイン主催の闘技大会開催……?」

「今日が九日だから、明日だな」


今年も開催、との煽り文があり、恐らくは毎年やっているのだろうということが伺える。

優勝者には記念のメダルと金貨十枚が贈られるようだ。


「それで人が多かったのね。じゃあ、宿が空いてるはずないね……」

「こんな街中での野宿は、俺も出来るだけ避けたいが」


オークと小娘の二人組が寝転がっている様は異様だろう。

野宿するなら街から少し離れたところに出た方が良い、とヒグドナも言う。

そんな会話をしていると、不意にヒグドナの背中に小さな男の子がぶつかった。


「あっ、ごめんなさい」


その男の子の後ろから、ひとりの年老いたシスターが追いかけてくる。

黒い装束に欠けた円のペンダントをしている様子から、ライト教の人だろうとテレジアは思った。

ライト教は慈愛を掲げており、孤児院をやっているところが多い。


「すみません! 大丈夫ですか!?」


シスターの周囲にはたくさんの子供たちがいる。

おそらくは祭りの引率だろう。


「元気がいいですね」


テレジアがそう言うと、シスターは困ったように笑った。


「ねえ! お姉さんも大会出るの?」


シスターの隣にいた女の子が言う。


「ううん、私たちは今日ここに着いたばかりだから、大会には出たくても間に合わないよ。どうしてそう思ったの?」

「だって、お姉さん、剣持ってるし」


テレジアは腰にさした剣を指さされ、自分が剣を持っていることを思い出した。

あまりにもこれが自然な装備であったため、普段は全く意識していないのだ。


「えー、出ないのー?」

「出てよー」

「お姉さんが戦ってるとこ見たいー」


子供たちは口々にそう言い始める。


「でもね、もう受付終わってるんじゃないかな? だって明日なんでしょ?」


それを聞いてシスターが答えた。


「当日の飛び込みも出来ますよ。本当に出場なさるおつもりなら、朝のうちに受付まで行ってみるとよろしいかと」


まさか、そんなことが出来るだなんて思っていなかったテレジアは、言葉を濁しながらやんわりと断ろうとした。

剣聖の称号のひとつである『ガウェイン』を持っている男を、テレジアはよく知っている。


称号をもらう試験会場で出会った、言わば同期の剣聖であった。

だからこそ、あまり顔を合わせたくない。

決して彼のことが嫌いというわけではないが、そのころの周囲を取り巻く環境を思い出しては、少しばかり胸が痛むからだ。


「えっと、その……。私たち、今日泊まるところもないくらいなので、やっぱり大会には……」

「だったらうちに泊まったらいいじゃん!」

「そうだよ! ねえ、先生、いいでしょ?」


シスターは、伺うようにこちらを見ている。


「うちは、孤児院なんです。あなた方がもし良ければ、泊めてさしあげることもできますが……」


そこまで聞いて、ヒグドナが口を開いた。


「どうする? 俺は甘える方に賛成するが」


ここまできて野宿をしたくないのは、テレジアだって同じことだ。

しかし、ここで泊まれば否応なしに明日の闘技大会に出なくてはならなくなる。

だが、シスターの親切心を無下にはできない。


「……本当にいいんですか?」

「ええ。この子たちも喜びますから」


ふたつの気持ちの間で揺れながらも、テレジアはシスターに甘えさせてもらうことにした。

孤児院へ向かう道中も、子供たちはテレジアの剣に興味津々なようであった。


「剣触らせてー」

「危ないからダメだよ」


「僕もね、強くなりたいんだ」

「頑張れ。諦めなかったら絶対強くなれるよ」


「お姉さんは強いの?」


その質問に、テレジアは少し微笑んだ。


「――強いよ!」


子供たちは、わあっと盛り上がる。

明日の闘技大会が楽しみなようだ。


孤児院は、エティダルグの闘技場と正反対の場所にあった。

歩きながら、テレジアはシスターに聞いた。


「それにしても、闘技場と孤児院がある町ってすごいですよね。初めて見ました」

「ええ、それに関しては意見も多かったんです。闘技場に集まるお客さんの中には、怖い人も多いので、子供たちを育てるための環境が整っていないのではないか、と。それに、闘技場そのものも、子供たちが暴力的になるのではないか、と散々に言われました」


シスターは穏やかな口調で言った。


「でも、清いものだけを集めれば、人は正しく生きるというものではありません。清濁併せて学び、その中から自分で正しいものを選ぶ知識を学ばなくてはならないのです。そういう理屈なら、この町ほどの適所はありませんよ」

「考え方次第ですね」

「柔軟な考え方のできない人にこれだけの子供が育てられますか!」


シスターはいたずらっぽく笑う。


「それに、暴力と戦いが違うことも、この子たちはちゃんとわかっています。剣に憧れて、その危険さも知っていれば、人に向けようなんてことは早々思いませんからね」


テレジアはぐっと手を握った。

人に剣を向けずに済む人生というものは想像できないが、周囲にこうして導いてくれる大人がいれば、今とは違う道を歩むことができたのだろうか。


「人を切ることと同じくらい、切らないことだって大変なことですよ」


テレジアは無意識に少しいじけたような口調になってしまったが、訂正はしなかった。

それはシスターにも伝わったようで、少し戸惑ったような様子を見せた。


「……そう思うのは、あなたがきっと、両方経験したからですね。それができるようになるまで、大変だったでしょう。よくがんばりましたね」


今までになく、やわらかな口調でシスターは言う。

不意に、そのひとことで、テレジアは胸の中がカッと熱くなった。


「どうしました?」

「……いえ、なんだか、ずっと言われたかったことだったような気がして」

「ふふ、そうですか。何も知らない私からでも、あなたの努力はわかります。胸を張ってください」


シスターの言葉は、さすがと言うほかなかった。

テレジアは長々と考え、大会はいいところで負けて終わらせようと思っていたが、彼らのために一肌脱ぐことにした。

自分の強さがこのような形で役に立つも悪くない。

せっかくなら、優勝して彼らに夢を見させてあげよう。


ガウェインは良い顔をしないだろうが、どうせこの一回だけなのだ。

毎年やるのなら、たまには飛び入り選手の大番狂わせがあってもいいだろう。


孤児院に着くと、シスターや子供たちから手厚い歓迎を受けた。

石造りの教会と一体になった屋敷では、十五人の孤児がひとりのシスターと一緒に暮らしている。

教会には他のシスターもいるが、子守をしているのは彼女ひとりだけである。


多忙な時は他の者の手も借りることはあるが、ひとりに任せた方が子供たちの指導もしやすいだろうという理屈なのだとシスターは教えてくれた。


「大変じゃないんですか?」


テレジアが聞くと、シスターは微笑んで言った。


「正直言うと、少しは。でも、それを帳消しにするくらい彼らに助けられていますから。疲れても苦じゃありませんよ」


天職とはこういうことを言うのだろう。

慈悲が深いという言葉だけではとても足りない愛情の大きさに、テレジアは感銘を受けた。


その隣で、ヒグドナは自分がオークであることを子供たちに教えていた。

ヒグドナがオークだと分かっても、驚く者はいなかった。


むしろ、余計に人気を集めていたようであった。

オークはその堅牢で強靭な体のおかげで、闘技場でも人気が高い種族だったようだ。


「おじさんは大会に出ないの?」


子供が純粋に聞く。


「ああ、おれはもう歳だからな。それに、若い人に枠を譲る方がいいんだ。少ない枠にいつまでも年寄りが居座っていてはな」

「では、私たちと一緒に観戦しますか?」


シスターからそう聞かれても、ヒグドナは首を振った。


「悪いが、おれは人ごみが苦手なんだ。しばらく静かなところでじっとしているさ。終わるころには戻ってくる」

「そうですか……。そう言えば、オークの方が観戦しているところはあまり見ませんね」


「奴隷時代が長かったからだろう。見せ物にされることを思い出したくないやつは多い。そうなると、オークの特徴を生かすため大会に出場するか、興味を断つかの二択だろうな。元々強いオークの中で、人の強さに憧れるやつは少ないからな」


「奴隷……。もう百年ほど前の話ですね。今でもオークを良く思わない人が少なからずいると聞きますが……」

「そういうことだ。この街ならこそこそする必要もなさそうだが、そこは性格なんでな。オークのための店でも探してみるさ」


ヒグドナは全く闘技大会に興味がないようであった。

オークのための店には、テレジアも興味があるが、今は自分がやるべきことをやらなくてはならない。


すっかり夜は更け、子供たちは挨拶をして寝室へ入った。

すると、シスターはふたりのためにぶどう酒を用意し始めた。


「ヨナハ産のぶどう酒ですか? 有名ですよね」


テレジアがボトルの頭が封蝋されているところを見て、そう判断した。

その印をアルフレドに居た頃よく見たことがあったからだ。


シスターはそれが分かってもらえたことが嬉しかったようで、子供たちの前では見せないような笑顔をして言った。


「これはね、私の故郷で作っているぶどう酒なんですよ。毎年送られてくるのですが、子供たちといるとなかなか飲む機会もなくて」


ボトルを開け、グラスに三人分のぶどう酒を注ぎながら、シスターは実に楽しそうであった。


「いただきます」


グラスを口元に持っていくと、芳醇な香りが嗅覚を刺激した。


一口飲むと、ぶどう畑の真ん中に立っているような爽やかさと果実の甘みが体に染み渡り、それはまるで急に別の世界に引っ張り出されたような感覚を作り出す。

どこまでも続く地平線と水平線と大空が彼方で混ざり合い、今自分が室内にいることをしばし忘れるほどであった。


「美味い酒だ」


ヒグドナがただ一言、そう口にした。

テレジアもそれ以上にこのぶどう酒を示す言葉を知らない。


「ヨナハ産のぶどう酒ってここまで美味しいものだったんですね。初めて飲みました」

「そうでしょう、そうでしょう。普段は王貴族くらいしか買わない高価な酒ですから」

「ちなみに、おいくらなんですか?」

「ふふふ……」


シスターは静かに指を四本立てる。


「金貨四枚、です」


金貨は一枚あたり、庶民の六十日分の収入になる。

金貨四枚がどれだけ高価か、すぐに分かるだろう。

テレジアも、貴族の買うぶどう酒なのだからそれくらいするだろう、と納得しかけたが、シスターは続けた。


「あなたが飲んだその一杯が、金貨四枚です」

「ええっ!?」


だとすれば、あのボトル一本で、金貨五十枚ほどの価値があることになる。

途方もない金額に、テレジアは目眩がした。


「そんな贅沢品、いいんですか?」

「売ろうにも、買える人がいないでしょう? それに、これはただのぶどう酒です。五十枚の価値を感じる人もいれば、銅貨一枚と同じ価値だと感じる人もいるわけです。あなたはあなたが感じた価値を信じなさい。市場の貨幣価値に振り回されてはいけませんよ」


そう言って、シスターはグラスのぶどう酒をぐいっと飲み干した。

もっともらしいが、テレジアの目には最高級のぶどう酒にしか見えない。


開けたお酒は最後まで飲んでしまわないと捨てることになる、とシスターに言われ、もったいないとは思いつつも、三人でひと瓶飲み干した。

そして酔ったふたりは客室へ案内され、速やかに眠りについた。

その日の夜は、今までの野宿とは比べ物にならないほど随分と心地よく眠れた。


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