01-1.アルフレド皇国騎士団
雲ひとつない青空の下、宮殿の隣りにある訓練場で、小柄な女性が団員たちに剣の指導をしている。
短い金髪と、透き通るような碧色の綺麗な目をしたテレジア・ローゼンミュラーは、彼ら騎士たちをまとめる副団長である。
「手元じゃなくて、相手を見て剣を振って」
テレジアよりも年上の騎士は、指導を受けながら、生返事を返す。
何度同じ個所を指摘しても、彼らはまるで直す素振りを見せない。
「あのさ、やる気ないの?」
「ふん、貴様に教えてもらわずとも、我らには我らのやり方がある」
その高慢な態度に、テレジアは眉をひそめた。
「ああ、そうなの。だったら、勝手にどうぞ」
このやりとりも、もう何度目だろう。
テレジアが十五歳の時、剣聖の称号を引っ提げて入ってから、騎士たちはずっとこの調子であった。
理由を聞いたこともあるが、女であることと年下であることが主な原因のようだった。
くだらない、とテレジアも思ったが、現実としてそのくだらない問題を解決する手段がない。
反感を買いながらも、仕事として指導しなければならなかった。
このアルフレド皇国は、その国土を森に囲まれている。
グレタ共和国の跡地に建国して三十年ほどの、まだ歴史の浅い国であったが、戦争によって何度も勝利をおさめ、少しずつ領土の拡大を行っていた。
そのアルフレド皇国には、騎士団があり、その中でも副団長のテレジアは、騎士団一の剣の使い手であった。
その腕たるや、世界でも数の限られた剣聖のひとりに選ばれ、『ランスロット』の称号を手に入れられたほどである。
そういう理由もあって、今年で二十三歳という若手でありながら、他の騎士に剣の指導を行っていたのだ。
しかし、なかなか熱意は伝わらず、いつものようにひとりで宿舎の前に座り、ため息をついていると、騎士団の団長が歩いてきた。
「サボりか? しっかり働けよ」
「何の御用でしょうか」
テレジアは事務的に返した。
彼も裏であることないこと言っていることを知っているのだ。
団長がそのようなことをやっていては、団員も言うことを聞くはずはない。
テレジアも、もう諦めていた。
ここはどうしようもなく腐っているのだ。
「森に猛獣が出ているらしい。討伐に向かった狩人も、捜索に向かった騎士たちも帰らない。どうやら、非常に厄介な相手のようだ」
「はい」
「そこで、君に命令だ。部下をもうふたりばかり連れて、森へ行って原因を探ってきたまえ。なに、たかが獣だ。心配はない」
「了解しました」
心配ないなどと、涼しい顔で嘘を言う。
すでに被害者が多数出ているではないか。
テレジアは、騎士の中から新人のふたり選んだ。
比較的、命令を聞いてくれそうな二名である。
「じゃあ、行くよ。目標は森の獣。実態さえ掴めばあとは狩人の仕事だから、無理して深追いはしないように」
部下のふたりに注意を促すも、返事すらしない。
テレジアは、本日何度目かのため息をついて、森へと足を踏み入れた。
鬱蒼としげる森は薄暗く、テレジアはすぐにランタンをつけた。
部下のふたりはテレジアの後ろをずっと追ってきていた。
本来なら先頭をきって行ってほしいものだが、ふたりはあまりやる気がないようであった。
「ふたりとも、周囲をよく見ておいてね。怪しい影さえ見つければ帰れるんだから――――」
しばらく歩いたあと、そう言って後ろを振り返ると、誰もいなかった。
「嘘でしょ? 冗談じゃないんだけど……」
金髪を手でくしゃっとかき上げる。
彼らとはぐれたのか、どこかに逃げたのだろうか。
ともかく、たったひとりではいるかもわからない猛獣を探すのだって難しい。
「あー、もう! なんでこんなことに!」
苛立ちから近くにあった木の幹を拳で叩いた。
すると、その音に反応したように、木々の間の闇が動いた気がした。
(何かいる……)
テレジアは気持ちを切り替え、その闇の方を睨んだ。
ふたつの目がじっとこちらを見ている。
その目の位置から、かなり大きな動物であることがわかる。
テレジアは剣を抜いて構えた。
猛獣と戦ったことなどなく、緊張で冷や汗が流れる。
闇の中の目が消え、テレジアは獣の姿を完全に見失った。
人間相手とは違い、気配が全くない。
これでは探せない。
テレジアはランタンを遠くに放り投げ、その場から少し離れた。
野生の獣に先手をとられるわけにはいかない。
しばらく様子を見ていると、ランタンの投げ捨てられた場所に、とてつもなく大きなトラが姿を現した。
(こんなところにトラが出るなんて聞いたことがない! しかも、なんて大きさなの!?)
理由はともかく、現状をどうにかしなければならないのだが、相手の体格はテレジアの三倍はある。
剣で切りつけたところで、折れる想像しかできないほどに、凄まじい威圧感を放っていた。
そしてその爪先には、赤い血がついているところが見える。
(まさか……)
トラから目を離さずに、テレジアは周囲の様子を探った。
さっきまでは緊張のせいで気がつかなかったが、今は血の臭いをかすかに感じる。
草の生い茂って影になったところに、すでにこと切れた部下ふたりの姿があった。
どちらのものとも分からないほど内臓がばら撒かれ、無残な姿になって転がっていた。
音もなく、気配もなく、彼らはすでに殺されていたのだ。
テレジアは音を出さないよう、そっと彼らの死体を背負った。
血に塗れた遺体を、肉食動物の近くで持って歩くことの危険性を、冷静でない彼女には考えられなかった。
元々力には自信があったため、重さはそれほど感じない。
早く森を抜けるため、テレジアは必死に歩いた。
気がついた時には、周囲は暗闇に覆われ、どちらに歩けば抜けられるのかもわからない。
草木のざわつく音が、全てやつの足音に聞こえる。
息が荒くなり、正常な判断がつかなくなる。
そして、全く何もわからないうちに、突然大きな衝撃が全身に走り、テレジアの意識は暗闇の彼方へと消えた。