呂-500かく戦えり
日本海軍は沖縄戦が始まったことをうけ、回天を載せた伊号潜水艦4隻からなる「多々良隊」を編成して出撃させたが、成果は不振に終わってしまう。
それでも回天戦は続行される。潜水艦による敵艦艇への攻撃は、燃料や物資が乏しい日本がとりえる数少ない抵抗手段の1つになっていたからだ。回天戦こそ有効な戦法であると考えられていたし、そう信じるしかなかった。
今や潜水艦は、日本海軍の重要な戦力であった。伊号潜水艦で試験用の魚雷を搭載して試験運用などしている場合ではない。信頼の厚い従来の魚雷を積み込んで出撃させるべきだという声もあったらしい。だが、海軍上層部では五式魚雷に期待を寄せる人間もいた。回天戦に使用できなくて、損失しても問題ないであろうとされる潜水艦はどこかにないか。
そこで呂-500に白羽の矢が立つ。
ドイツの潜水艦である呂-500は、日本到着すると徹底的に調べあげられた後は対潜訓練隊の標的艦として使用されていた。対潜訓練隊は空襲の激化により佐伯港から舞鶴港に拠点を移していたが、呂-500は佐伯港に留め置かれて呉に回航する。訓練隊から借りるということで五式魚雷を搭載して出撃することになり、乗員や装備を呉で整えていたのだ。
開発チーム全員の突貫工事で仕上げた試験魚雷4本、そこに私が合流して呂-500は出港する。機雷と敵潜水艦に警戒しながら豊後水道を抜けて沖縄とマリアナ諸島を結ぶ線を目指した。私は実戦で潜水艦に乗り込むのは初めてで、繰り返し実施された急速潜航訓練と船酔いに体力を削られながらも五式魚雷の調整に努めた。
そんな道中、山本艦長や航海長、水雷長の前で五式魚雷の概要を説明したときのこと。敵を音を探知して蛇行しながら追尾することを聞いた水雷長が独り言のように呟いた。
「まるで『うみへび』だな」
それから、五式魚雷の愛称は「うみへび」となった。
他の乗組も、私が五式魚雷をみていると「うみへびの調子は如何でありますか」などと言われることもあった。大した話ではないが、他の魚雷と識別するため、五式魚雷にチョークで大きく「五式」と記入していたのだが知らぬうちに蛇の落書きをされたことがあった。その絵ときたらなかなか上手なもので、どこか愛らしいその蛇の作者を探しだしてチョークを渡し「また描いてくれ」と願うほど、私は気に入ってしまったのだった。
太平洋に漕ぎだして5日、呂-500は作戦海域に到達する。山本艦長は呂-500の上官を海図台のまわりに集めて作戦を再確認した。再確認とはいえ、私が作戦の内容を知らされたのはこの時である。海図にはマリアナ諸島から沖縄にかけて、鉛筆で線が引かれていた。米軍の輸送船団の予想経路である。
「我々は、ここにいる」
艦長が線の上を指差す。そこから指を沖縄の近くに動かして、線上にバツ印を書いた。
「ここには、同時期に出撃した回天攻撃隊の伊-47と伊-36の『天武隊』が本艦の背後に網を張っているはずだ。我々の目的は敵の船団を一足はやく攻撃し、船団護衛能力を弱体化せしめることで天武隊の露払いとなることである」
このとき、私は最前線に送り込まれたことをあらためて実感していた。
「くどいようですが、攻撃目標は護衛艦。駆逐艦ですね」
水雷長が鼻息を荒くして艦長に訊いた。
「そうだ。まず我々が護衛艦を撃沈し、回天隊もこれを叩く。裸同然の輸送船を2隻の伊号潜水艦が撃滅し、敵の補給線を切断することが最終的な目標だ」
上官、配置について聞いていた乗組員、その場にいたすべての男が握りこぶしをつくって奮い立った。
駆逐艦は潜水艦にとって天敵といえる存在。しかし輸送船と駆逐艦を比べたら、攻撃するのであれば同じ戦闘艦と戦いたいという気持ちが我々にはあった。そして、呂-500には五式魚雷という心強い味方がついているのだ。この日本海軍の海蛇が敵の航跡の後ろに忍び寄り、喰らい付く光景を乗組員のだれもが夢想した。
それから五式魚雷の海蛇の絵柄は、水雷長の発案で敵の駆逐艦の艦尾に噛みついたものに変わったが、どうしても蛇の顔が愛らしく、水雷員には不評であった。
……夜、日付がかわるころ。呂-500は充電のため浮上してエンジンを始動させていた。哨戒をはじめて3日もたたないうちに、ときは来た。雲に隠れていた月が顔を出し海原が白くきらめきだした、そのとき――。水平線近くに黒光りする粒を双眼鏡のなかに見た当直の哨戒員が、突然に上ずった声をあげた。
「敵艦視認! 右10度方向!」
「両舷停止! 急速潜航ーっ!」
「非番は艦首だ! 走れ! 走れ!」
静かな空気は破られる。哨戒員は次々に船内に飛び込み、ハッチが閉められた。
「潜航用意よし!」
「ベント開け! 深さ30!」
バラストタンクの弁から空気が開放され、浮力を失った呂-500は瞬く間に海中に没した。
「感あり。微弱ですが近づいて来ます。ボイラー、推進音2軸、駆逐艦かと思われます……艦数2」
山本艦長が指定した深さに到達すると、聴音員が敵艦の情報を逐一報告した。敵は駆逐艦のようだった。数隻の駆逐艦隊がこちらに向かってくる。これは護衛駆逐艦隊であり、輸送船団の前方で潜水艦狩りをする駆逐艦2隻の部隊であった。電探が示したこちらの位置に殺到していると思われた。
「艦首発射管装填。1番、2番、五式魚雷。3番、4番は九五式酸素魚雷」
ついに五式魚雷が初陣をかざる時が来る。発見されたと断定した艦長は、待ち伏せて攻撃することを決定する。潜望鏡も一切上げずに潜伏し、駆逐艦隊が近付くのを待つ。射程距離まで引き付けて五式魚雷を撃ち込むという作戦であった。
「少し浮き上がるぞ。浅い深さで待機する」
艦長は対潜訓練隊の標的艦としての経験から、浅い位置が洋上艦の超音波探信儀に探知されにくいことを熟知していたのだ。
逆に、音を聴取される危険が高まる。よってスクリューを極力回転させないようにする。だが、完全に停止させれば潜水艦は沈降してしまう。潜伏位置として浅い深度は絶妙な操艦が求められるが、うまくいけば敵駆逐艦の裏をかけるはずだという山本艦長の考えだった。
敵駆逐艦は単縦字に向かってくる。電探で我々の位置を捉えたのは一時的で、今は聴音でこちらの位置を探っているようだ。探信音も弱い。敵は、待ち受ける呂-500の右前方に近付きつつあった。スクリュー音は、刻一刻と大きくなる。全員、声も出さずに攻撃の時を待った。
通常ならば潜望鏡で敵艦の距離や速度を分析して雷速と発射角度を計算しなくてはならない。その作業が五式魚雷には必用なかった。聴音で大雑把な距離と方角が分かれば良いのだ。
「距離、概ね2000」
「一番、発射用意……発射っ……!」
その号令で、がくんと艦に衝撃が走る。
遂に「うみへび」五式魚雷が海を疾走した。
「後進半速。現在地点から離脱する」
そのとき、私の顔色は真っ青になった。マイクロフォンの感度が高過ぎるという五式魚雷の性質を、説明し忘れていたのだ。すぐに聴音員は不思議そうな顔で発令所に顔を向けた。
「妙です。魚雷が左に旋回していようで……」
まずい、魚雷が返ってくる。
「魚雷の追尾が狂います! スクリューを止めて下さい!」
私は発令所で叫んだ。艦長はすぐにスクリューを停止、艦は無音航行に戻る。潜水艦は魚雷を発射した直後、すぐに発射地点から離れるのが基本である。魚雷の整備に気をとられ、重要な説明を失念していた私の落ち度だ。艦長の素早い操艦により、走る五式魚雷は大きく蛇行するように右旋回して、無事に駆逐艦を捉えたようだった。
「着弾まで10秒!」
ストップウォッチを持つ水雷長が告げる。
我々は固唾を飲んでその時を待った。
「……3……2……1……いま!」
――爆音。
腹に響くような重い音が艦内に轟く。
続けて何度も爆発が続く。誘爆らしい。
「撃沈だぁ!」
艦内は湧きあがった。
冷静な山本艦長は聴音員に声をかける。
「聴音室、ほかの艦の様子はどうか」
後続の米駆逐艦は、すぐに攻撃は仕掛けては来なかった。艦長はこちらが撃沈した駆逐艦乗員の救助を行っているだろうと予想し、今のうちに現在地から離れることにする。後進の号令で艦首を敵に向けたまま、艦はその場を離れた。
少し離れた後に潜望鏡で様子を探ると、予想通り駆逐艦は救助活動に専念していた。武士の情けとでも言うのだろうか、そのとき山本艦長は攻撃命令を下さなかったし、先任や水雷長など誰もがその事に疑問を持っていなかった。私は初めて“海戦の掟”というものを見た気がした。
我々は、また息を潜めて米駆逐艦がくるのを待った。作戦は順調であるように思えた。「海蛇」が、不具合無く敵を沈めたことに私も満足であった。だが、呂-500の戦いはこれからが本番であったのだ。
再び米駆逐艦が近付いて来たが、我々が潜伏するところからずれていた。これには理由があった。魚雷の突入角度である。殆ど正面から雷撃されたと思い込んだらしい米駆逐艦は、その方角に索敵に向かったが、我々はもっと左側の方に潜んでいたのだ。私が魚雷の説明を怠って、魚雷のコースを大きく湾曲させたことが結果的に駆逐艦側の判断をくるわせることになったということだ。
「艦首発射管、二番、注水」
発射管は注水され、攻撃の準備は整った。我々は好機が到来するのを、また微動だにせず待つことになる。
* * *
救助活動を終えた後続艦、その駆逐艦長レイモンド中佐は先ほど戦闘を思い出していた。左前方から魚雷が接近していることを察知していた先頭の駆逐艦は、回避するべく取り舵をとった。魚雷は遅かったので回避できるはずだったのだ。
ところが、たった1本の魚雷は、吸い込まれるように左舷後部に命中。大きな水柱と炎が月夜の海上に噴き上がるのを、レイモンド艦長は目の当たりにしたのだ。日本潜水艦の潜伏予想地点の付近を索敵していたが見つからず、レイモンド艦長は言い知れぬ違和感を覚えた。
――眼下に忍んでいる敵は、これまでの敵とは異質の何かをはらんでいる。
駆逐艦長としての、そのような直感が彼にはあった。アクティブ・ソナーを打って索敵するが、それらしい反応はない。だが、まだそう遠くへは行っていないはずだった。やむを得ず索敵の範囲を拡大して、潜水艦の探索を続けていた。
そのときは突然に訪れた。米駆逐艦のソナーマンは右舷より、発射音と魚雷走行音を感知する。レイモンド艦長は、最大戦速をだすように号令。艦は猛烈なスピードで直進した。これで回避できるとレイモンド艦長は判断する。ソナーマンも魚雷のスクリュー音が艦尾の後ろに消えたことを報告し、難を逃れたかに思えた。
しかし、ソナーマンは艦尾方向の音に引っかかっていた。艦尾は自艦のスクリュー音が邪魔をして聴音することが難しいのだが、後方の雑音の中に聞きなれない音源があることに気がついたのだ。レイモンド艦長の命令で転舵すると、ソナーマンは謎の音の正体に愕然とする。
「キャプテン! 航跡のなかに魚雷が!」
だが、駆逐艦のスピードについて行けない魚雷はどんどん引き離される。大西洋での戦いでドイツが音響魚雷を使っていたことを知っていたレイモンド艦長は、日本の新型魚雷であるかもしれないと思った。
彼は、艦のスクリューを停止させる。弧をえがいて航行していた駆逐艦はスピードを緩め、慣性だけで進む。ソナーマンは魚雷の音に耳を集中させた。航跡の下を追尾していた正体不明の魚雷は、突然に弧の外側へコースアウトする。そして航行限界をむかえたのか、ぷっつりとスクリュー音は途絶えたのだった。
――こちらの音源を失探して迷走したのだ!
レイモンド艦長は敵潜水艦が音響魚雷を使用していることを確信した。さらに、スクリューを停止したことで微弱な音源も探知できるようになっていた駆逐艦のソナーが、少し離れた位置に新たな目標を感知する。それは、潜水艦が大量の気泡を吐き出す注水音だった。
* * *
「……はずしたか」
山本艦長の呟きが、静寂につつまれた発令所に響いた。我々は撃沈に失敗したことを悟ると、すぐさま潜航を開始。深い海中で敵をやり過ごそうとした。
「駆逐艦接近、感2」
聴音員が声を押し殺して山本艦長に伝える。敵艦はこちらに気がついたようだ。私は後部発射管室で五式魚雷の調整をするように命令された。艦首発射管の五式魚雷は撃ち尽くしたのだ。対駆逐艦攻撃での有効性を確信した山本艦長は、艦尾の五式魚雷をいつでも使用できるようにしておきたかったらしい。
深度は80メートル。頭上からは、定期的なアクティブ・ソナーのピンが降ってきて我々をビクつかせる。無音航行中での魚雷整備は神経をすり減らす思いだが、水雷員と協力して任務を遂行する。ここで私は、電池魚雷は整備性の悪い兵器であることを改めて実感した。
電池室の常時換気、バッテリー液の点検、さらには、蓄電池の温度によって充電量が変わるため、備え付けられたヒーターで蓄電池を暖める必要があった。この作業を怠れば、射程距離が大きく変動してしまうのだ。無理矢理に組み込まれた自動操舵装置も悩みの種で、もはや機関部は整備するための手を入れる隙間すら無に等しい。それらを分解することもできるが、そうするに潜水艦はあまりにも狭すぎたのだ。そんな中でも、容赦なく米駆逐艦はこちらに肉薄してくる。
「感度上がった! 感3……感4……感5!」
「衝撃そなえよ!」
形勢は逆転した。船体に叩き付けるようなソナー音が我々を恐怖させる。駆逐艦が発する機関車のような騒音が真上を通り過ぎた。それは聴音員ではなくても聞き取ることができた。
多数の爆発。爆雷が頭上遠くでいくつも爆ぜる。艦長はすぐに機関を始動させ転舵をとり、沈降する。爆発から水中が落ち着くまでの間は、駆逐艦はこちらを探知することはできない。
「深度90でトリム水平、無音潜航」
「敵艦遠ざかる、感3」
爆雷攻撃はその後も続いた。だが、敵艦は呂-500の正確な位置までは掴んでいないようで、手探りで攻撃しているように思えた。
……そこで失敗をやらかしたのが私である。
魚雷整備をしていた私は工具箱を転ばしてしまったのだ。金属質の音が発射管室内で反響した。私以外の水雷員も青ざめて、悲痛な顔で天井を見上げるしかなかった。再び敵艦の音が頭上に近づき、爆雷が投下されたことが発令所から伝声管で伝えられた。
「藤堂中尉! 隔壁から離れて下さい。吹き飛ばされますよ!」
若い水雷員に注意された直後、船体が殴り付けられるような衝撃を受ける。近距離の水中攻撃で呂-500は大瀑布へ放り込まれた笹舟のように、爆裂する渦流の中ので踊らされた。私も計器へ強かに叩きつけられる。まるで空き缶の中の石ころのように、揺さぶられる度に打ちのめされた。極めて正確な深度を調節してきたところをみると、先ほどの音に駆逐艦は気付いたようだ。
送電線が切断されたらしく艦内は真っ暗になり、あちこちで漏水がおきる。こうなれば魚雷になどに構っていられない。非常灯が点され、私も浸水を止めるべく協力するが、言われた通りに動くのがやっとだ。パイプから噴き出す海水、飛び交う怒号、てんてこ舞いで防水活動に追われた。負傷者も数人でたが、なかには衝撃で歯が折れたにもかかわらず、口から血を流しながら作業する者もいた。
何とか漏水を食い止めて電気も復旧させるが、攻撃は続く。こうなってしまうと潜水艦は一方的に攻撃されるだけで、本当に惨めだと思った。私は駆逐艦に対抗できるのは五式魚雷しかないと思い、いつでも使用できるように魚雷整備に戻ることにした。
魚雷に気をとられていると、水中攻撃の頻度は減っていった。近づいては離れる機関音と降り続ける探信音が聞こえ、時折に落とされる爆雷の狙いは精密で、上方か下方で爆発して呂-500を強かに揺さぶった。こちらも負けじと隙をみては運動を繰り返し、しぶとく堪えて好機を待つ。そんな状況が数時間も続く。艦内の気温は40度を超え、湿度も高い。酸素も薄れで息苦しい。いよいよ意識が朦朧としてきたとき、水雷長が私を呼びに来た。発令所に来いという。
山本艦長は肌着1枚で誰よりも汗だくだった。私はこの場で敵駆逐艦が遠ざかったことを知る。航海長は撃沈と判断したか爆雷が欠乏したのではないかと分析したが艦長は首を横にふった。駆逐艦は離れてはいるがこちらを失探したわけではないという。離れていっても艦尾を向けたことはなく、いつでもこちらも音を感知できる方向を向いている。我々が損傷を受けてもだんまりを決め込んだ成果なのか、敵は呂-500の正確な位置を見失っただけのようだ。
「気の短いやつだ」
艦長いわく、助かったと思わせて動き出すこと狙った敵の陽動である。これは好機と逃げ出そうとしたところを捕まえて、爆雷を投下されるという筋書きである。
「では、まだ潜伏しますか」
「おおよその位置は知られている。隠れていても時間の問題だ」
動かなければ、敵はソナーと爆雷攻撃の正攻法に戻るだけだ。それに仲間を呼ばれる可能性もある。艦長は口を開く。その決心した表情を発令所の誰もが凝視した。
「我々はこれより意表を突いて敵の死角に飛び込み、敵艦を撃沈する」
マッチ箱を海図台の上に置き、敵艦と自艦に見立て、艦長が説明を始める。まず駆逐艦に対して反航するように進む。全速でその真下に潜り込み、逃亡を図るというものだった。探知不能領域である真後ろに隠れれば、敵はこちらを失探するかもしれない。しかし、それは一時的なことであるし、何よりも真下を潜航するのだから爆雷攻撃を受けることは必至であるように思えた。
水雷長はそう意見したが、艦長は毅然としている。
「忘れるな。私は敵艦を撃沈すると言った。艦尾の五式魚雷でな」
艦長は視線を私に向ける。
「藤堂君。至急に艦尾の五式魚雷の調整を。準備でき次第に装填、注水する」
「発射可能性なのは艦尾の1本だけです。2本目は整備が間に合いません」
私は艦長に言った。
発射できないことはないが、2本目には手がまわらなかったため本来の性能を発揮できるか怪しいところだ。
「構わん、その一撃に賭けよう。水雷長、さきほど言った艦首の魚雷はどうだ」
「ご命令通り、1番、2番に九五式酸素魚雷を装填、作業は完了」
「よろしい。艦首、全発射管注水。今回は潜望鏡を上げるぞ、どうせ気付かれているからな」
発射管に水が満たされる。五式魚雷の速度を調節するように言われたのだが、指定されたのは余りにも遅い数値……雷速10ノット。どうやって敵艦を沈めるというのか。そして艦首から発射される魚雷の意味、そのどちらも私には分からなかった。
「両舷全速。進路を駆逐艦にむけろ」
* * *
ソナーマンは日本潜水艦が動きを見せたことをブリッジに報告した。膠着状態に業を煮やしていたレイモンド艦長は敵が罠にかかり、一瞬ほくそ笑んだがすぐに気を引き締める。相手もこちらが与えたチャンスを利用して何かをしかけてくるかも知れない。直線コースで駆逐艦に向かってくるので、副長などはカミカゼアタックではないかと危ぶんでいたが、レイモンド艦長はそう思わない。
精密射撃に切り替えて無駄撃ちを避け、狙いをさだめて攻撃を繰り返したにも関わらず、敵は健在である。潜水艦は爆雷投射直後の回避運動を繰り返し、巧みに攻撃を避けて息を潜めていることは分かっていた。相手の艦長は最後まで諦めない根気と、どのような状況でも冷静な判断を下せる人物であろう。そんな人間が、このチャンスを捨て鉢の自爆攻撃を行うことは考え難い。
敵潜水艦の動きはよめている。本艦の探知不能領域であるスクリューの下に潜り込むつもりなのだ。そこでこちらに隙をつくりだし、近距離で例の新型魚雷を撃ち込んでくることも予想できる。もしも後部より発射可能な潜水艦であるのなら、本艦とすれ違ったあとスムーズに雷撃することが可能であろう。
――逃げ場所はそこしかない。
――だが、そのコースはこちらにとっても絶好の攻撃ポジションであることを忘れてはいないか。
「爆雷投下、セットアップ」
レイモンド艦長はいつでも攻撃できるように指示した。艦尾の下を通るのだから、爆雷を投下すれば敵潜水艦に高確率で致命的なダメージをあたえることができるはずだ。新型魚雷を発射されたとしても問題はない。先ほどの戦闘で、スピードを上げれば魚雷を振りきれることは分かっている。それに爆雷の炸裂音で魚雷の音響システムは正常に機能しないはずであり、圧倒的に駆逐艦側が有利であった。
海上は夜が明けようとしていた。朝日を跳ね返してきらめく波間から、黒い突起が見えてすぐに消える。潜望鏡だ。
「潜望鏡視認、距離2000」
「敵艦から魚雷発射音! 雷数4!」
レイモンド艦長は双眼鏡を目にあてがう。沸き上がる気泡は、発射管から吐き出された圧搾空気だ。そこから4つの線がのびたが、すぐに消える。無航跡魚雷だ。
「雷速は分かるか」
「……およそ40ノット以上」
速い、音響魚雷ならおたがいの航行音で狙いが狂ってしまうので複数使用はできない。これは通常魚雷の可能性が高い。
「スクリュー音が拡がるように向かって来ます」
「キャプテン、回避命令を!」
「これは扇状射撃だ。どっちにターンしても脇腹にズドンだぞ」
ソナーマンは走る魚雷の進行状況を漏らさずに報告する。魚雷は左右に2本ずつ駆逐艦を挟むように疾走。それらは空しく両脇を通過し、離れていく。
――敵の潜水艦長の罠だ。
こちらに舵をきらせないための策略である。だが逆に、本艦の真下を行くぞという明確な意思表示でもあった。レイモンド艦長は勝利を確信する。死角に逃げ込まれ、本艦の後方から音響魚雷を発射されたとしても30ノット以上で航行中の我々は魚雷を回避できる。それにひきかえ、敵は投下した爆雷をまともに喰らう事になるのだ。
「敵艦がスクリュー停止、メインタンク注水音! 急速潜航をかけています! かなりのスピードで沈降中!」
「爆雷用意! おそらく後方から魚雷がくるぞ。注意しろ!」
――チェックメイトだ、日本人。
レイモンド艦長は投下の合図を示すため、右手を軽くあげる。その瞬間、スピーカーから割れんばかりのソナーマンの声がブリッジに響いた。
「潜水艦の水中航跡のなかに音源! 前方から何か来ます! 前方です!」
……前方。どういうことなのか、レイモンド艦長は一瞬では理解できない。
「蛇行しながらこちらに……ヘビみたいだ、これは……?」
「面舵一杯! 全速回避だ!」
――新型魚雷!
総毛立つような悪寒が全身に走り、とんでもない仮定が脳内によぎる。敵艦は発射した魚雷に、自分のスクリュー音を探知させて航跡の中に隠していた。
「ただちに爆雷を投下せよ!」
「急速回頭中は危険です!」
「構わん!さもなければ取り逃がすぞ!」
こんな潜水艦長がいたとは……。レイモンド艦長は初めて、心の底から敗北感を味わった。爆雷が艦尾から落とされた瞬間、艦首に激震が走り、爆炎の閃光がブリッジのなかを満たした。
* * *
上から叩きつけられるような衝撃が呂-500を襲った。魚雷が命中したのだ。山本艦長の作戦は成功。艦尾から発射した魚雷はUターンして呂-500を追尾。水中航跡のなかに魚雷を隠し、駆逐艦の直前で無音潜航に切り替えて下げ舵で深みに逃げる。 駆逐艦のスクリュー音に目標をかえて命中――。理論上は可能であることは分かっていたが、それを実行して成功したことは後になって考えると信じられないことのようにも思え、私は艦尾の発射管室にいて胸を撫で下ろしていた。
……なんだ?
頭上から音がする。何かがぶつかって転がるような音が。
機械室から機関長が飛んできて叫んだ。
「爆雷だ! こっちに退避しろ!」
言い終わらぬうちに激震が走る。油断して何にも掴まっていなかった私は、天井の配管に頭部を強かに打ってしまった。目の前で火花が散り、私は倒れたこともわからず気を失ってしまったのだ……。
……意識を取り戻したのは、1日後。私は士官用のベットで目が覚ました。頭は包帯がぐるぐる巻きになっていて、まだ少し痛んだ。
「お目覚めかな」
最初に話をしたのは山本艦長だった。彼は落ち着いた面持ちに、私は危機を脱したのだと見て安堵した。呂-500は進路を呉に向けていた。たった1回の戦闘で艦はぼろぼろになってしまったのだ。
「君が倒れた後が大変だったのだぞ」
聞くに、最後の一撃は致命的で漏水がなかなか止まらなかった。潜望鏡も破損して使用不能。なんとか沈降を食い止めることができたが、さらに安全に航行できるよう艦を軽くするため、残った魚雷はすべて投棄された。
通路を見ると、たしかに防水用の角材があちこちに差し込まれていた。私は自分だけ寝ていて申し訳ない気持ちになった。何かできることはないかと思って起き上がろうとしたが、まだ頭が痛む。
「寝ていろ。君の仕事は終わったのだ」
「しかし、手伝えることはないのですか?」
「そうだな……。豊後水道を無事に抜けられるように、祈っておいてくれ。そこの神棚にな」
艦長は笑いを含んだ顔で去っていってしまった。私の必死な祈祷のお陰もあり、無事に豊後水道を突破することができた。
5月の中旬。五式魚雷の短くも激しい戦いは終わりを告げる。呂-500は呉に入港。ドイツ製の潜水艦であるため修理不能な箇所が多かったので結局は手を付けられる事はなかった。荒れ果てた呂-500が埠頭に係留されたまま終戦を迎えたのはもう少し後の話である。