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五式魚雷の開発計画

 五式魚雷とは、日本初に開発された音響追尾魚雷である。戦局を好転させるため、敵海軍力に大打撃をあたえるべく開発されたこの魚雷は、完成さえ早ければ、戦局を変えるほど重要な兵器のうちの1つであったに違いない。弱冠26歳の技術中尉だった私は、開発に苦心していた当時のことを鮮明に記憶している。






 ……太平洋戦争は中期、昭和18年8月。

 日本軍は、劣勢に立たされていた。


 北方におけるアッツ島の守備隊は玉砕、南方のソロモン諸島やニューギニアでも敵の反抗は厳しさを増していた。米軍は、同年の後半にむけて様々な新型兵器を配備しようと着々と準備を進めていた。旧式の兵器を使い続ける日本軍は、作戦でも兵器でも連合軍に勝利することは難しくなっていく。


 そんな時期。1隻の潜水艦が日本の呉に入港する。ドイツ海軍の〈U-511〉である。日本へ無償で譲渡されたこの艦は、インド洋での海上交通破壊に日本を協力させようと目論む、ヒトラー総統からのプレゼントであった。


 この潜水艦には日本でUボートを建造させるため、数人のドイツ人技術者が乗り込んでいた。多くの図面を携えた魚雷の専門家もその内の一人である。当初、魚雷に関する技術供与は予定に含まれておらず、日本の独自技術をドイツに持ち込まさせたいヒトラーの恩着せがましい奮発と思われる。


 理由はどうあれ、ドイツの魚雷技術が日本にもたらされる。そして日本海軍はある魚雷に目をつけた。U-511に装備されていた「G7es魚雷ファルケ」である。これは敵艦艇のスクリューの音を感知して追尾する音響追尾魚雷なるもので、ドイツ人技術者の手には他にも、完成直前であった後継モデルの「G7es魚雷ツァーンケーニッヒ」の図面も含まれていた。


 それらはどれも日本にとって新技術であり、回避不能の性能を誇る強力な魚雷であるように思えた。また、日本海軍が音響追尾魚雷に関心をよせたのは、潜水艦での魚雷攻撃が敵艦隊への有効な攻撃手段として期待されていたからだ。


 これまで、海軍の主だった作戦の成果は芳しくなかったが、文字通りの水面下では潜水艦攻撃が活発だったと言えよう。空母〈ヨークタウン〉〈ワスプ〉〈サラトガ〉のうち二隻撃沈して一隻大破させたことや、オーストラリア東海とインド洋での輸送船攻撃も含め、多方面でそれなりに戦果を挙げていた。そこに舞い込んだ新型魚雷の情報は、海軍にとって魅力的であったことは想像に難くない。


 日本潜水艦の第一目標は主力艦である。伊号潜水艦を太平洋に散りばめ、敵艦隊に忍び寄り、新型魚雷の“必中の性能”で連合軍の戦艦や空母のことごとくを撃沈することができるかもしれない。


 更に、九二式電池魚雷にその音響追尾弾頭を組み込んではどうか、という意見があった。九二式魚雷とは、バッテリーとモーターによって駆動する電動方式である。遅い速力と短い射程距離、さらには整備性の悪さにより用兵側に嫌われて倉庫で山積みになっていた。これを流用することで、潜水艦の戦闘力強化と在庫整理もできて一石二鳥というわけだ。


 秋の終わり頃。以上の事もあり、艦政本部第二部は音響追尾魚雷の開発を決定。呉海軍工廠の水雷部に所属していた私のもとに、新型魚雷の開発計画がもたらされた。


 当然ながら、開発は難航する。日本の技術者は、スクリューが発する音の性質なども研究する必要があったからだ。聴音装置から得た情報をもとに判断して作動する自動操舵装置も新設計しなければならないし、どのようにして九二式魚雷に組み込むかも課題であった。開発に当たっては多大なる時間を要し、新型魚雷の開発で1年が簡単に過ぎてしまったが、ドイツ人技術者の協力もあり、昭和19年の後半には形にすることができた。


 昭和20年。開発に没頭しているうちに、戦況は修正できないほどに悪化。本土はB29の爆撃にさらされていた。前年のレイテ沖海戦での敗北から、潜水艦戦は組織的な行動をとることが不可能となっていた。海上交通破壊などと悠長なことはしてられず、特攻兵器「回天」を用いた主力艦への突撃戦法が決行されるほど、日本海軍は切迫していたのだ。


 早春の2月、新型魚雷は完成する。

 名を“五式”と冠され、制式採用された。


 直径約53.3センチメートル、長さ7.15センチメートル、雷速30ノットで航走距離5000メートルと、基本的に九二式魚雷と変わらない。しかし、これに敵艦のスクリュー音を追いかける音響誘導性能が追加された。


 簡単に説明すれば、魚雷の先端部に取り付けられた2つのマイクロフォンが音を拾い、音量が大きくなった方に舵をきるという構造である。ドイツの音響魚雷は追尾する音の周波数を1つに調整していたが、五式魚雷は複数に設定した。これにより日本の音響魚雷はドイツ製とは違い、敵艦が速度を変えても追尾が可能になるはずだ。


 ただし、拭いきれなかった課題や問題点もある。まず、炸薬量が318キログラムから290キログラムに減ってしまったこと。原型である九二式魚雷に多くの機器を組み込まなければならなかったため、そのスペースをつくるべく炸薬を削らざるを得なくなり、破壊力は減少してしまう。


 更に、追尾性能を有効にするには雷速を25ノットに抑えなければならない。性能としては30ノットは出せるのだが、魚雷自身の航行音が聴音を妨害してしまうことが原因であった。マイクロフォンが敏感過ぎることも不安の種で、発射した潜水艦のスクリュー音を感知してしまう可能も否めなく、魚雷が打ち出されたあとにUターンして返ってくることも理論上あり得えることだった。


 ともあれ、追尾性能が申し分ないために速力はそこまで問題として取りあげられることはなかった。発射時は潜水艦を静粛状態にし、魚雷逆走も防止できるだろうということで五式魚雷は完成を認められた。


 あとは兵器製作所との調整を進めて大量生産を待つばかり。

 そんな矢先、思わぬことにより量産に待ったがかかる。


 五式魚雷と同じく、九二式魚雷を流用した電動型回天の開発構想が持ち上がっていたからだ。我々が先だって開発を進め、制式採用も受けたのだから優先権は五式魚雷にあるはずである。にも関わらず、試作段階にも入っていない電動回天が優先されようとしていたことには理由があった。


 回天は昨年の後半より使用されている。甲板に搭載して出撃した伊号潜水艦からは、多くの艦艇撃沈の報がもたらされた。それら戦果報告の真偽はさておき、回天はすでに潜水艦作戦の第一線で使用されていたということもあり、有効な攻撃手段として認められたのだ。


 対する五式魚雷は、追尾性能に半信半疑だという声も多い。

 不調に悩まされるであろう新兵器より、日々訓練に励む回天搭乗員の操縦技術の方が、多分の信用を得ていた。回天戦で更なる活躍が期待された結果、新型回天の開発が優先されてしまい、五式魚雷の量産先送りにされてしまったというわけだ。つまり五式魚雷は、必中の水雷兵器という地位を回天にとって代わられたのだった。


 ……全ての努力が水の泡になるかに思えた。


 3月。私のいる工廠も空襲に曝され、その月の後半に米軍は沖縄への攻撃を開始。戦況の悪化と重なり、我々はすっかり意気消沈してしまっていた。そんな折、開発チームの班長が明るい顔で仕事場に入ってきた。


 「捨てる神あれば拾う神ありだ」


 彼はそう言って、五式魚雷が実戦で試験的に運用されることを告げる。話はこうだ。五式魚雷もまったく信用がないわけでもないらしく、この試験運用で良い結果を出せば、少量でも量産を計画することもやぶさかではないとのこと。


 沖縄に集結する敵の艦隊への攻撃と、その補給を妨害するために潜水艦が投入される。五式魚雷を一隻に搭載し、実戦において有効であるか試すと言う。それにはまず、数本の五式魚雷を我々で製作しなければならない。さらに、技術顧問として潜水艦へ誰かが乗り込まなくてはならなかった。


 「藤堂、その任を貴様に託す」


 私はひとりで班長に呼び出され、そう告げられる。全ての準備が整い、桟橋に向かったのは数週間後。そこで私を待っていた潜水艦〈呂-500〉は、音響魚雷の技術を日本にもたらしたU-511であった。


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