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第98話 再生の地

 朝靄の掛かる村外れは、一種独特の雰囲気になっていた。

 赤毛の大男と茶髪の少年が並んで木剣を振り、その正面には赤毛の小さな隻眼の少年。その後ろには村の少年達が列をなして同じように木剣を振るっていた。


「……二十九……三十! よし、次は型だ」


 レイモンドの掛け声で全員が同じように型を真似る。アルスはその様子を見ながら、少年達の適性を見極めていた。身贔屓でなく、ティアナの適性の高さに舌を巻く。


 型の稽古が済むと、アルスがそれぞれの能力や体格に見合った相手を選び、それぞれで打ち合い稽古をさせた。

 ティアナは体格に合う相手がいないのと、他の少年に比べて能力が抜きん出ているので、アルスとレイモンドの手合せを見学することになった。他の少年達も、勝負が着いたら見学に回ることになっている。


「……よろしくお願いします」


「……おう……」


 二人の手合せは二回目だ。だが、前回とはアルスの目付きが違う。レイモンドはゴクリと唾を飲み込んだ。


「……お手柔らかにお願いします……」


「やなこった」


 アルスは明らかにレイモンドだけに殺気を向けている。何となく理由が分かるだけに、譲る訳にも行かず、レイモンドもギリリと歯を食いしばり剣を構えた。


「……ふん……」


 アルスは最小限の動きで間合いを詰めて、一見無造作な動きで斜めに斬り上げた。

 レイモンドは軽く身を躱し、そのままの動きでアルスの脚に蹴りを入れる。


 ガッ、と音がして、アルスはレイモンドの蹴りを一蹴して相殺すると、今度は木剣を真上から振り下ろした。


 流石に避けきれないと踏んだレイモンドは自身の木剣でその攻撃を受け止め、殺しきれない勢いをそのまま受け流して、自分の体を入れ替える。


 向き直ったアルスはまた同じように真上から木剣を振り下ろし、レイモンドは自分の木剣で受け流して、体を入れ替える。


 アルスの攻撃はことごとく躱されて、受け流され、レイモンドも決め手のないままジワジワと時間ばかりが過ぎて行った。

 いつの間にか、他の少年達も手合わせを終えて見学に回っていた。

 レイモンドはジリジリとその人垣に近付き、アルスの行動を封じようとするが、少年達は巻き添えはごめんだと逃げ回り、人垣がまるで二人を避けるように動き回っていた。


「チィッ!」


 アルスは舌打ちをして木剣を構え直す。レイモンドも額の汗を肘で拭いながら、木剣を構え直した。


「……もういいじゃないですか」


「良くないな。ティアナをちゃんと任せられるか心配だからな……」


 アルスはヒバリと共に湖畔の村(ボーデュラック)に戻る事にしたのだ。だが、このままレイモンドにティアナを託すのには抵抗があるようなのだ。


「……勘弁して下さいよ……」


 レイモンドは既に息が上がっている。ずっと打ち込んでいるアルスの方が疲れている筈なのに、彼は少し息が弾んでいる程度で、汗もかいていない。一度対戦したからか、無駄な体力の消費を抑えているのだろう。


 レイモンドは観念して低い姿勢から思い切り地を蹴ってアルスの胴に木剣を走らせた。


 バキィ! と音がして、レイモンドの木剣が砕け、斬り上げたアルスの木剣がそのままレイモンドの首筋に触れてピタリと止まった。

 これが真剣であったらレイモンドの首は地に落ちていただろう。


「……ま……参りました……」


 木剣の同じ場所を使わせて、徐々に脆くなったところを砕かれた。レイモンドは体力だけでなく、技でも完全に組み伏せられた事を実感し、アルスに頭を垂れた。


「……まだまだだな」


 アルスはニヤリと笑い、呆然と観戦していたティアナをヒョイと抱き上げた。


「ちょっと……恥ずかしいよ……」


 ティアナは真っ赤になってアルスの肩に顔を埋める。


「なんだよ、勝利の口付けぐらいしてくれてもいいだろ? しばらく会えないんだから」


「……アルスの馬鹿」


 親子だとは公言しない事にしたが、これだけ似ている上に溺愛していればバレバレである。ティアナは溜め息をついてアルスの頰に軽く口付けした。


「……やっぱりアルスは強いね。勉強になったわ」


「だろ?」


「早く帰ったらどうですか? 奥様もお子さんもお待ちでしょうし」


 レイモンドは汗を拭いながら忌々しげに仲睦まじい父娘を睨み付ける。


「……ヒバリはまだ寝てるわよね? アルス」


 ある事に気付いたティアナは突然アルスの腕からスルリと抜けてトン、と着地すると冷ややかにアルスを見、首筋に幾つも残っている赤い痣を指差した。

 アルスは気まずそうに視線を逸らし、ガリガリと頭を掻く。


「……レイモンド、殆ど寝てないアルスに負けるなんて、情けなくない?」


「……はい。精進します……」


 ティアナに痛い所を指摘され、レイモンドは舌打ちしながら木剣の破片を拾い集める。


「まるで不死鳥みたいだよな。何度でも生き返ってさ……」


 受け流して殺した筈の手をすぐにまた使ってくる。最終的に木剣を砕く事が目的だったのだろうが、受けている方は気が気じゃない。


「……生き返る……?」


 レイモンドの言葉尻を捉え、ティアナがポソリと呟いた。


「……そうよ。生き返ったのよね……この村は……!」


「ティアナ?」


 我が意を得たり、と目を輝かせるティアナにアルスが怪訝な顔をする。


「……再生(ヴィーダガーベ)……ってどうかしら?」


「村の名前か?」


 ハッと気付いたレイモンドが尋ねると、ティアナはコクリと頷いた。


「成る程な……確かにそうだ。いいんじゃないか?」


 アルスも頷き、その場にいた少年達から拍手が沸き起こった。

 ティアナはその場の全員を見渡して片手を上げ、高らかに宣言した。


「この地を再生の地(ヴィーダガーベ)と名付けます!」


 その場にいた少年達の拍手と共に、喜びに震える村中の大地から膨大な量の魔力がティアナに注がれる。


「あ……すごい……!」


 流石、神族の村である。蓄えられている魔力が半端ではない。皓の村(ヴァイセスドルフ)よりも遥かに多い魔力がその身に宿り、その一部が定着したのを感じる。

 恐らく、村から離れても絶対値が下がりにくくなったのだろう。ティアナは生まれ故郷と絆を結んだ事による祝福を実感した。

 その魔力の奔流にその場にいた敏感な者達は恐れ敬い、ティアナに平伏していた。


「……な……なんと……やはりこの子が鍵……!」

「すごい……!」


 少年達が口々にティアナを讃え始めた中、一人の少年がティアナの前に跪いた。


「ランドルフ……どうしたの?」


 ティアナが首を傾げると、少年は顔を上げ、少し周りの目を気にしながら、ポソリと呟いた。


「後で少しお時間をいただけますか?」


 どうやら少し込み入った内容のようだ。ティアナは少し考えてから頷いた。


「……分かったわ……じゃあ、お昼過ぎに事務所で」


「はい」


 ランドルフが頷くのを確認し、ティアナはアルスとフィーネの家に戻って行った。


 ◇◇◇◇◇


「名付けは無事に終わったのね」


 朝食の支度をしながらフィーネに尋ねられ、ティアナはコクリと頷いた。全身に溢れる力は以前とほぼ同じである。だが、この地を離れるとどの程度まで力が減るのか分からない。


「この土地にいる分には問題ないんだけどね……」


 この地ではフィアードを助ける事は出来ない。もしかしたら方法はあるのかも知れないが、神の力を人間の思考で制御する以上、無理は出来ない。


「焦らないでゆっくり進みなさい。貴女は今はまだ子供なんだから」


 フィーネの言葉に頷き、ティアナは自分の両手を見つめる。

 フィアードの解放ばかり考えていたが、同時にサーシャとデュカスも解放する事になるのだ。その一瞬の隙にあの男が何をするか分からない。


「もっと……力がいるわ……」


 フィアードを害させる訳にはいかないし、自分も殺されるつもりはない。もうやり直すつもりはない。また(ダルセルノ)と対立したくないのだ。


「今はきっと、力を蓄える時よ。貴女は今出来ることをしっかりして、足場を整えなさい」


「うん。ありがとう……」


 二人で食事を並べ終えた頃、ギーグが寝癖を手櫛で整えながらフラフラと現れた。


「あぁ……おはよう。昨日は飲み過ぎてしまった……すまないね」


 コーダ村から駆けつけ、彼と一緒に飲んでいた筈のアルスは夜通し妻を慈しみ、更に早朝から剣術の稽古をして、レイモンドを叩きのめした。やはりあの男は尋常では無い。ティアナは自分にその血が流れている事に苦笑した。

 フィーネではきっと相手をし切れないだろうから、結婚しなくて良かったのかも知れない。


「……どうしたの? ティアナ?」


 フィーネはギーグに水を渡しながら、口元を緩めている娘を不思議に思い首を傾げた。


「ううん。仲が良いな……と思って」


 この二人のように程よい距離感の夫婦は見ていて安心だ。アルスとヒバリはお互いの身体を常に弄っているので目のやり場に困る。


「あらそうかしら?」


 フィーネが頬を赤らめた時、アルスとヒバリがラキスを抱いて来て、フィーネにペコリと頭を下げた。案の定、アルスの手はヒバリの腰に回されている。


「おはようございます。昨夜は失礼しました。何もお手伝いしなくてすみません」


「お客様ですもの。赤ちゃんもいらっしゃるし……お気になさらずに……ね」


 フィーネは椅子を引いて二人を座らせ、家長のギーグの合図で食事を始めた。


「朝食後に出発する事にした。慌ただしくてすまないな」


 アルスはパンを食べながらフィーネに言った。フィーネは少し残念そうに頷いたが、隣に座るティアナが身を乗り出した。


「そうなの? もっとゆっくりしたら?」


 ティアナが少し拗ねながら言うと、ヒバリはペロリと舌を出した。


「黙って来ちゃったの。お母さん達が心配してるわ、きっと」


「そっか。ラキスも一緒だしね……。でも、会えて嬉しかった……ヒバリ、無理しないでね」


 ティアナが意味深に少し声を落とすと、ヒバリは目を見張った。


「……分かるの?」


「当然。次は女の子がいいなぁ」


 名付け以降、以前と同様の視界が開けている。ヒバリの身体に宿る新しい命に気付かない筈がない。


「性別は分からないの?」


 ヒバリは首を傾げた。ティアナの能力ならば生まれる前に性別を知るのは容易だろう。


「知りたければ見ても(・・・)いいけど?」


 ティアナが眼帯に手を掛けようとするのをヒバリが慌てて止めた。


「いいわ。やめとく! 楽しみは後に取っておくわね」


「だから、アルス……ほどほどにね。でも浮気は駄目だよ」


 ティアナはアルスに指を突きつけ、ニヤリと笑った。


「お前に言われなくても大丈夫だ。ま、お前には沢山兄弟作ってやるからな。フィーネの方も頑張れば、一気に増えるぞ」


 肩を竦めながらアルスが言うと、いきなり話を振られたフィーネが真っ赤になった。


「……もうっ、朝っぱらから何言ってるのよっ!」


「……じゃあ、頑張るか」


 ポツリとギーグが呟き、その場の全員の視線がギーグに集まる。


「……馬鹿……」


 フィーネがギーグの頭を小突くと、ポリポリと頭を掻きながら照れ笑いを浮かべた。


「いやぁ、やっぱり賑やかなのはいいですね」


「ギーグさんって面白い人だね……」


 思わず吹き出したティアナの一言で空気が緩んだ。

 よく考えたら、この場に集うのはティアナにとって実母と実父、そしてそれぞれの連れ合いと子供という面子であった。


「なんか、一気に家族が増えたみたいで凄く嬉しいんだけど……」


「本当だな」


 アルスはしみじみと頷く。ずっと一緒にいたが、ティアナは頼る相手はフィアードだけという可哀想な子供と思っていた。まさかこんなに大勢の家族に囲まれて食事をする事になろうとは。


「……お兄ちゃんやお姉ちゃんもいるのかな?」


 ポロリとティアナが言った瞬間、アルスが青ざめて硬直し、ヒバリがニコリとティアナに笑い掛けた。


「見付けたらすぐに教えてね」


「……うん……分かった」


 その空色の目は笑っていない。ティアナはヒバリの周りに吹雪のような気配を感じて引き攣った笑いを浮かべた。

 奔放な性格のヒバリが意外と嫉妬深いという事を知り、自分が彼女にとって少し微妙な立場である事を実感したのであった。

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