第96話 千客万来
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フィーネは振り返ったまま、その場に立ち尽くしていた。
アルスは小さく吐息をついて、ちゃんと出会う為に、ハッキリと名乗った。
「コーダ村のアルスだ。フィアードと一緒に、ずっと旅をして来た。今はティアナに剣を教えている」
アルスは一息つくと更に一歩フィーネに歩み寄り、深々と頭を下げた。
「俺はこの村の人達に詫びなければならない事がある。聞いてくれるか?」
フィーネは呆然とアルスを見上げ、ギーグはそんな彼女を不思議そうに見つめていた。
「お母様……玄関周りのお掃除、よく分からない所があるから、残りはお任せするわ。荷物は預かるから……ギーグさん、一緒に準備を手伝ってください」
ティアナは今にも取り落としそうなフィーネの荷物を受け取って、ギーグに声を掛けた。
「……あ……ああ。そうですね」
ギーグはティアナとアルスを見比べ、ゴクリと息を飲んで何かを悟ったらしく、大人しく従った。
「……ティアナ……これは……?」
状況を理解できないフィーネは、上気した顔を隠すようにアルスから目を背け、縋るような目でティアナを見つめた。
「お母様、私……アルスにずっと守って貰ってたのよ」
ティアナは微笑みながら呟き、そのまま荷物を持って家の中に入って行った。ギーグは少し躊躇いながら、その後に続く。
「……ティアナ様……あの人はもしかして……?」
「……私の剣の師匠よ。そして大切な恩人。彼がいなければ、私はきっともっと辛い思いをしたわ……」
ティアナはギーグの質問にそう答え、スタスタと廊下を歩き続けた。
「……そうですか……」
ギーグは釈然としない顔で荷物を運ぶ。ティアナも何をどう話せばいいのか分からず、気まずい沈黙の中、荷物を台所に置いた。
「ギーグさん、本当に偶然なの。だから……」
「……そうですか」
「話は聞いていた?」
「はい……全て聞いていたので驚きました」
ギーグは参った、というように肩を竦めると、運んで来た荷物の中から野菜を取り出して洗い始めた。
「……私は……ずっと一人だった貴女と家族になりたいと思っていましたが……、貴女は既に家族と一緒にあったんですね……」
少し切なげなギーグの言葉に、ティアナは首を振る。
「家族なんて、簡単に言い表せないわ……」
ティアナは並んで野菜を洗いながら呟いた。自分とアルスの関係はそんな簡単なものではなかった。今更父親だと言われた所で、これまでの関係が無くなる訳でもない。
「……お母様を支えてくださってありがとう。私、お母様が幸せそうで本当に嬉しかったの……」
ティアナは今感じた事をそのまま伝える。あの二人がどういう結論を出すのかは分からないが、彼に対する感謝は計り知れない。
「ギーグさん、私、あんまりお料理出来ないの。教えてくれる?」
ティアナはニコリとギーグに笑い掛けた。ギーグは吐息をつくと、優しい笑みを浮かべて頷いた。
「はい。じゃあ、一緒に作りましょう」
「俺は、村の襲撃に加わっていた」
「えっ!」
フィーネの若草色の目が驚きに染まる。
「知らなかった事とはいえ、お前の同胞を手に掛けた事実に変わりはない。本当ならばここに足を踏み入れる資格はないが、お前に伝える事があったので、恥を忍んで会いに来た」
「……顔を上げて下さい」
「……もう一つ……。俺は、お前の亭主を手に掛けた。ティアナを守る為だけでなく、俺の個人的な私怨で斬った」
「それは……、貴方は傭兵なのだから当然のことでしょう?」
目の前で頭を下げる赤毛の青年にそう言うと、青年はゆっくりと顔を上げた。
赤銅色の目が優しくフィーネを見つめている。
「……でも、どうして? 何で貴方がティアナと一緒にいたの?」
「偶然だ。いや……もしかしたら、運命なのかも知れないが。俺も、ついこの間まで何も知らなかった……」
アルスは肩を竦める。
「お前の亭主を殺したのも偶然だった。結果的に、お前を未亡人にしてしまった……」
「……あの人を伴侶と思った事は無いわ……」
「……そうか」
アルスは肩の力を抜き、フィーネを見つめた。栗色の髪に若草色の目。彼の記憶の中の彼女よりも随分肌艶も良く、少しふくよかになった気もする。
「幸せそうで……良かった」
アルスの言葉に、フィーネはゴクリと息を飲む。
「ごめんなさい。私、自分で約束しておきながら……」
「無理もないだろ。まさか……子供が出来てるなんて思いもしなかったし……な。その上、村が襲撃されて……」
「あの子が生まれるまではね、なんとかして離縁して、生まれた子供とあの小屋で待つつもりだったの。貴方にどう思われても構わないと思って」
「……ああ……」
あの約束の日、もし彼女が赤ん坊を抱いて現れていたとしても、きっと自分は戸惑いながらも彼女を受け入れていただろう。
だが、彼女は現れなかった。
「でも……ティアナを手離してしまって……貴方に会わせる顔が無くて……」
その時の事を思い出したのか、若草色の目には涙が浮かんでいる。
アルスは思わず彼女を抱き締めようと手をのばし掛け、ハッと我に帰ってその手でガリガリと頭を掻いた。
その様子が記憶の中にある青年と重なり、フィーネの心が軽くなる。
「ティアナに全部話したところだったの……。貴方の事も……」
「……ああ……」
「でもまさか、貴方があの子とずっと一緒にいてくれたなんて……」
二人は肩の力を抜いて向かい合った。
「俺も、まさかティアナが娘だなんて思いもしなかった……。フィアードが余りにも頼りなくて、連れている赤ん坊共々、なんとか守ってやろうと思ったんだ」
「貴方の方が、あの子の成長をちゃんと見守っていたなんて……変な感じね……」
「ああ、本当だな」
「……それから……あの約束なんだけど……」
「あ……それな……」
アルスは微妙な顔をする。恐らく先ほどの男が彼女を支えてきたのだろう。だが、自分が現れた事で、彼女の中でどのような気持ちが変化するか分からない。
アルスはゴクリと息を飲んで、半歩下がり、ガバッと地面に伏してフィーネに頭を下げた。
「すまない! あの後、俺は別の女と結婚した。息子が一人いる。俺はそいつと別れる気はない」
彼女は今、幸せそうだ。もし、あの約束通りにしようとすると、色々な所で辛い思いをする人物が出てくる。
それならば、先に悪者になった方がいい。
アルスのその決意にフィーネは目を見張り、慌てて彼の前にしゃがみ込んだ。
「顔を上げて。私が最初に約束を破ったの。貴方が頭を下げる事じゃないわ」
「いや……だが……」
「私も、あの人とやっていくつもりだから……だから、貴方は何も悪くないわ……」
フィーネの言葉を聞いてアルスは顔を上げた。
「……そうか……」
「そう言えば、まだ名乗ってなかったわね……。私はフィーネ」
「アルスだ」
アルスは念のためにもう一度名乗った。
「……娘を守ってくれてありがとう……アルス」
「偶然なのか、必然なのかは俺にも分からないが、お前に出会った事には感謝してる……」
アルスは膝に付いた土を叩き落として立ち上がり、フィーネに手を差し伸べた。
「私も。貴方に会わなかったら、今でも夫の暴力に泣いていたわ。ありがとう」
フィーネはアルスの大きな手を握り、空いている片手で扉を開けて家の中にアルスを招き入れた。
「さ、入って。今日は彼の紹介を兼ねてみんなで夕食をいただくことになってるの」
「……俺も同席していいのか?」
戸惑うアルスの背中を押しながら、フィーネはどんどん廊下を進んで行く。
「ええ。是非」
「それじゃあ……」
照れ臭そうに鼻の頭をこするアルスを見てフィーネは吹き出した。
「準備してくるわね」
◇◇◇◇◇
しばらくすると、レイモンドとモトロも到着し、夕食はとても賑やかになった。
食事をしながら、それぞれがティアナが話した内容の補足をし、レイモンドがこれからの予定や方針などを話した。
一通りの話が終わり、フィーネは口を開いた。
「それじゃあ、この村にも名前を付けないとね」
ティアナはコクリと小さく頷いた。
「そうなんだけど……実はまだ考えていないの。中々思い付かなくて……。レイモンドの準備にまだ時間は掛かるだろうし、もう少し考えさせて貰ってもいいかしら」
どうしてもかつての村の事や帝国の事を思い出してしまい、相応しい名前を考えられないのだ。
「……そうね。ゆっくり考えなさい」
フィーネは優しく笑い、食器を片付け始めた。男達はどっかりと座り込んで話し込んでいる。
「協会の準備は大分進んでるんですけどね。物を揃えるのに少し時間が掛かりそうなんです」
「私でよければ、お手伝いしますよ」
ギーグの申し出にレイモンドは身を乗り出した。その言葉を待っていたようである。
「助かります。いや実は、この支部の責任者も探してまして……どなたか適任者はいませんか? 出来れば、我々のような若輩者ではなくて、復興に協力してくださった経験豊富な年長の方を探してるんですが……」
レイモンドの言葉にその場の全員が苦笑する。
「……ギーグ……ご指名よ」
フィーネの言葉に、ギーグはキョトンとしてレイモンドを見た。
「……え……?」
「お前は本当に調子のいい奴だな……」
溜め息まじりにアルスが呟くと、ティアナはウンウンと頷く。直接依頼しない所が憎たらしいのだ。
「あ~、やっぱりお前達だけじゃ心配だ。俺も同行する!」
アルスが頭をガリガリと掻きながら立ち上がった。
「おいレイモンド、お前のその人を小馬鹿にしたような言い回しはなんとかならないのか! フィアードはもっと素直だったぞ!」
「兄さんと比べられてもね……。娘が心配ならちゃんとそう言えばいいじゃないですか」
レイモンドがシレッと言った瞬間、場の空気が凍りついた。敢えてその話を避けていたのに、とティアナにジトリと睨み付けられて、レイモンドは慌てて口を抑えた。
「あ……すみません……」
レイモンドはこの村に着いてから、今までに身に付けてきた処世術に綻びが出てきた事に気付いて溜め息をついた。こんな失言、今までならばあり得なかったのに。
調子を崩したのはいつからだろう。父の墓参りをしてからか、ティアナの泣き顔を見てからか。
「ま、自覚すればいいか。大人ぶってても、お前はまだまだ年相応の若僧だってことだ」
アルスがニヤリと笑い、それにつられるかのようにギーグが笑い出し、戸棚から一本の酒瓶を取り出した。
「いやぁ、いつ名乗り出てくれるかと思ってたんですけどね。私は全て聞いていましたから大丈夫ですよ」
ドン、と酒瓶を机に置き、一緒に出した杯に波々と酒を注いだ。
「でもまさか、本人とこうしてお話しする機会があるとは思いませんでした」
苦笑しながら杯をアルスに手渡すと、アルスも苦い顔で受け取った。
その流れで夕食から宴会へと変わり、フィーネが酒の肴を作り始めた頃、玄関の扉を叩く音が聞こえた。
「こんな時間に誰かしら?」
男達の馬鹿話に飽き飽きしたティアナはフィーネを手伝いながら首を傾げた。モトロが運んで来た皿を机に置いて手が離せなさそうなフィーネに言った。
「僕が出ますね」
フィーネが頷いたのを確認し、玄関に向かったモトロは扉を開けて、その場に立つあり得ない客に呆然と立ち尽くした。
「……どうしたんですか……お母さん……」
「ん……と、アルスに話があって……」
まるでその姿を鏡で写したかのような乳白色の髪の少女が、腕に赤ん坊を抱えたままペロリと舌を出した。




