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第95話 男心、女心、親心

まだ少し回想です。

 激しい剣戟が響き渡る戦場は、一気に炎に包まれた。誰かが火を放ったらしい。


「子供を探すんだ!」

「女もいないぞ!」

「何ぃっ!」


 怒号が飛び交い、戦場は酷く混乱している。俄仕込みの連携などあてにならない。敵味方の区別などつかずに闇雲に剣を振り回す者も多く、(あか)い髪の魔人達がひたすら敵を屠っていくのを呆然と見ていた。


「何だ……これは……」


 余りにも異様な雰囲気に、赤毛の青年はゆっくりと戦線を離れ、辺りを見回していた。

 その時、村の外れから一人の女戦士が躍り出て襲いかかる男達をバタバタと斬り伏せながら、魔人達に斬りかかった。薄緑色の髪を振り乱し、人外の存在相手に戦う姿は強く美しい。


「……あの髪の色は……」


 初めて見る髪色だ。あれが噂に聞く、神の力を与えられた存在か。青年はゴクリと息を飲んだ直後、その女戦士と一瞬目が合った。


「……?」


 カチリ、と何かの符号が重なる感覚がして、青年の胸に一気に不安が広がった。戦場でこのような感情に支配された事は初めてだ。そして例えようのない焦燥感に駆られて走り出した。誰もいない方角へ。


 戦線からの逃走ーー傭兵として問題の行動だったが、自分の雇い主はあの女戦士に斬り捨てられていた。自分があの場に居た事が露見する確率は低いと考えられる。


 剣戟を避け、森の中を駆ける。村の女子供は何処に逃げたのだろうか。地の利は向こうにあるのだからそう簡単に見つからないだろうが、探さずにはいられなかった。


 気付けば、崖の下にある、小屋に辿り着いていた。


「……ここに……逃げて来てないか……」


 不安に胸を押しつぶされそうになりながら扉を開けるが誰もいない。

 あの娘を見送った後、冷たい川の水で洗って、二日間掛けて乾かした毛布があの時のまま畳まれている。


「……誰も……来てない……」


 青年は小屋の中にフラフラと入り込み、灰が積もった囲炉裏の側に腰を下ろした。

 床板をそっと撫でると、あの時よりは大分暖かい。まだ冬までは時間がある。彼女がここに逃げて来る可能性も否定できない。


「……しばらく……ここにいるか……」


 あの雪の日の後、村に帰った自分の様子は大分おかしかったらしい。従兄に散々からかわれ、珍しく大喧嘩をしてしまった。

 従兄は飛び出して行ったきり帰って来なかった。彼女を探し当て、その亭主を惨殺して囲い者にしていたらどうしようかと思い悩んだ。だが、いくらあの従兄でも、自分ですら名前を知らない相手にそのような事は出来ないはずだ。大方、父方の村にでも行ってしまったのだろう。


 名も知らない娘の事を思い出し、胸が掻き毟られるような思いに苛まれる。


「どうか……無事であってくれ……」


 まさか、自分が襲撃した村がこの小屋からこれほど近いとは思いもしなかった。

 あの女戦士を見た瞬間に何故か彼女を思い出し、もしやと思ってこの小屋を見つけた。やはりあの村が彼女の村だったのかも知れない。


「くそっ……!」


 自分が斬った中に、彼女の知己がいたかも知れない。傭兵をしていればその程度のことは良くあることだが、そう思うと息苦しい。とにかく、彼女には避難していて欲しい。今すぐにはこの小屋に来なくても、約束の日までに自分を思い出してここに来てくれると信じたい。


 青年は今まで感じた事がない程の不安を押し殺し、この木こり小屋での生活を始めた。




 冬が来て、雪がしんしんと降り積もる中、赤毛の青年は小屋から外に出てボンヤリと暗い空を見上げた。


「……満月……」


 雲で隠れてしまっているが、暦の上では今日があの日からちょうど一年後の満月の日である。


「……来ないな……」


 月が隠れているのは、彼女が来ない事を暗に示しているのかも知れない、と思い、空を仰ぐ。

 冷たい雪の結晶が頰に落ちて溶ける。睫毛に落ちた結晶が、視界を彩り、まるで彼の心を慰めるようだ。


「……あの日……送ってやれば良かった……」


 大丈夫だという言葉を鵜呑みしにて、彼女を送ってやれなかった事を悔やむ。雪の中、初めての夜を明かしたばかりの娘が果たして歩いて村まで帰れたのだろうか。

 約束の日に現れない娘を思うと、良くない想像ばかりが膨らみ、いたたまれなくなる。


 そもそも、あの後村に帰り着けなかったのではないか。

 自分との事が家人に露見し、激高した夫に酷い目に合わされたのではないか。

 襲撃の火災に巻き込まれたのではないか。


 考えれば考える程辛くなり、青年は夜明けを待たずにそのまま雪を掻き分けてあてもなく歩き始めた。

 もしかしたら、彼女の名残がどこかにあるかも知れない、と思いながら。


 ◇◇◇◇◇


「あの時と変わらない……訳でもないな」


 アルスは崖下の小屋の扉を開けて、アッと目を見張った。

 毛布が一枚増え、鍋が一つ囲炉裏に残されていた。


「……懐かしいな……」


 この小屋で過ごした二ヶ月の記憶は曖昧だ。恐らく正常な精神状態ではなかったのだろう。

 あの後故郷に帰って、フィアード達に会わなかったら、今でも彼女の事を引きずっていたかも知れない。それだけ彼らとの出会いは衝撃的だった。


「……でも……まさか……なぁ……」


 まさか、彼女との再会を果たす前にその娘に出会い、親子以上の縁を結ぶ事になるとは思いもしなかった。


「……あ……心配になって来た……」


 道中で別れた可愛い娘を思い、胸がざわめく。


「モトロはいいとして……、レイモンドだよな……あいつはヤバイ」


 女癖が悪そうだ。既に女を泣かせているのを見てしまった。娘が思い焦がれる相手の弟だという事も良くない。


「くそっ! 早く行くか……あぁ……でも、ヒバリが……」


 もしも彼女が自分と共にありたいとまだ思っていたら断り切れない自信がある。妻は理解があるから許してくれるだろうが、相談ぐらいはしなければならないだろう。


「……でも……やっぱり心配だ……」


 レイモンドをもう一人の師匠に任命したのは早計だったかも知れない。娘があの少年に心酔してしまったらどうしよう。

 フィアードのような愚直な男ならばある意味安心なのだが、なにせその弟は一筋縄では行かない男だ。しかもまだ若く、下手をすれば自分よりも強い。


「くっ、やっぱりすぐに向かうか……」


 アルスは小屋の扉を閉めて崖を一旦下り、登りやすい斜面から登っていく。


「……どんな顔して行けばいいんだ……」


 思い掛けず父親になっていたと知り、あの僅かな時を過ごした女性との再会が近付くにつれ、足が重くなる。

 彼女は自分が娘と関わっているとは知らない筈だ。どう切り出すべきなのだろう。それとももう既にある程度の説明を終えているのだろうか。


「そう言えば……ティアナは気付いてるのかな……」


 自分が気付いて、気まずい空気になった時には彼女は全く気付いていなかった。

 しかしあれだけ似てる似てると連呼されれば、気付いてしまうかも知れない。


「でも一応……不義の子だもんな……」


 真面目で潔癖な彼女がその出自を知って傷付かない筈がない。


「やっぱり……やめとくか……。いや、でもな……」


 このまま、湖畔の村(ボーデュラック)に帰ってしまいたい。そう思いながらも、約束してしまったのと心配でノロノロと歩を進めていた。


 ◇◇◇◇◇


「ほら、ラキスこっちよ……」


 芝生の上をハイハイで動き回る息子を呼び寄せて抱き上げ、ふっくらとした頰に口付けすると、ヒバリは小さな溜め息をついた。


「……そろそろ……会ったかしら……」


 草の汁で少し汚れたラキスの爪を見て、唇を噛む。


 初めに気付いたのはいつだろう。愛する青年の身体は隅から隅まで目に焼き付いている。

 その細々とした身体の特徴があの小さな女の子と似ているような気がして、胸がざわめいたのはいつ頃だったか。

 彼女の父親だという男を見て、あまりにも似ていない事に驚き、そして同時に、彼と彼女が出会った偶然に戦慄した。


「……ラキス、お父さんとお別れするかも知れないけど……、貴方はお母さんが大切に育てるからね……」


 親友からの報告で、どうやら彼女の母親が生きていて目的地にいるらしいと知ってから、毎日のように息子に言い聞かせている。

 あのお人好しの青年が、一度よしみを通じた相手に言い寄られたら断れない事は分かっている。


「どうせ、同じ時間を過ごせないんだもの……。少し早くお別れする事になっただけよ……」


 一人に戻る訳ではない。愛する相手との息子と共に生きられるのだ。それでいいではないか。

 そして、まだ確信はないが、恐らくもう一人……。

 ヒバリが下腹部を優しく撫でた時、一羽の鳥が彼女の前に舞い降りた。


「……手紙……? レイモンドさんから?」


 はっきり言ってあまり面識のない相手だ。何事だろう。


 首を傾げながら、鳥が運んできた手紙を広げると、地図の写しと、何かの詠唱が書かれていた。


「……これ……何かしら?」


 深く考えずにその詠唱を読み上げた。


 ◇◇◇◇◇


 母の打ち明け話の翌朝は流石に起きる事が出来ず、剣の稽古を休んでしまった。


「大丈夫か?」


 レイモンドとモトロが心配してフィーネの家を訪れたのは昼過ぎであった。


「……うん。ごめんね」


 フィーネは畑仕事に出ており、ティアナは一人で家を掃除していた。ティアナは掃除の手を止め、箒とハタキを置いて二人を招き入れた。


「それで、何か話せたか?」


 レイモンドは少し疲れた様子のティアナを座らせて、自分も腰を下ろした。モトロは入り口付近に立って二人の様子を見ている。


「うん……全部聞いたわ」


「そっか……」


「ごめんね、却って気を遣わせてしまって……」


「聞かない方が良かった、とかそういう話じゃなかったんだな?」


「うん。聞けて良かった……」


 ティアナがニコリと笑ったので、レイモンドはホッと胸を撫で下ろした。


「そっちはどう? 何とかなりそう?」


「事務所の準備は大分進んでるな。モトロが通信機を設置してくれる事になってるから、割と早く動かせるかも知れない」


「そっか、流石ね。でも、通信機の材料って足りてるの? 確か純度の高い水晶でしょ?」


 流石レイモンドだ。抜かりがない。ティアナは感心しながらも、気になった事を確認する。


「この土地でも良質な水晶が採れるみたいですね。神族の欠片持ちが昔から様々な媒体として使用していたそうです」


 モトロはティアナに少し近付いてから優しく説明する。


「へえ……そうなの」


「これから鉱山に行って、大きめの水晶を手に入れたら通信機を作り始める予定です」


 モトロは凄腕の技師の風格だ。ティアナは頼もしい二人の報告に破顔した。


「お母様が、今日みんなで夕飯を食べましょうって言ってくれたから、レイモンドもモトロも夕方には戻って来てね。私はその準備をしてるから……」


「了解」

「分かりました」


 二人も笑顔で頷いて、ティアナを残して元来た道を戻って行った。




「……さてと……もう少しね……」


 ティアナの目線だと大人とは違う所が見える。掃除は行き届いていたが、細かい所を見付けると気になって徹底的に綺麗にしたくなるものだ。


 家中を箒で掃き清め、雑巾で拭き上げた頃、フィーネが見覚えのない男性と山ほどの食材を抱えて帰って来た。


「すごいわティアナ、見違えるようよ」


 綺麗になった家を見ながら、フィーネは傍らの男性をティアナに紹介した。がっしりとした体躯の白髪混じりの黒髪に緑の目の男性だ。


「……初めまして、ティアナ様。大工をしています、ギーグと申します」


「この人が、私をずっと支えてくれている……大切な人よ」


「……あ……」


 軽く会釈をしたティアナは二人の後ろに人影を認めて思わず声を上げた。まさかこのタイミングでこの場にやって来るとは。


「……え?」


 ティアナの目線に気付いたフィーネが振り返り、目を見張った。


「……よお……」


「……どうして?」


 そこには見上げるほどの体躯の赤毛の青年が照れ臭そうに立っていた。

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