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第93話 邂逅の小屋

フィーネの回想です。

 崖から転落していると認識した瞬間に意識が途切れ、次に気がついた時には雪に下半身が埋もれていた。


「……あ、生きてる……」


 上半身が埋もれなかった幸運に驚きながら、自分の身体を掘り起こす。死にたければわざわざ逃げたりしない。彼女には死ぬ気などさらさらない。なんとかして人里に辿り着くつもりであった。


 フィーネが冷え切った身体を震わせながら月夜の雪上を歩いていると、小さな小屋を発見した。


「良かった!」


 少し小屋で休憩を取ろう。フィーネは小屋に近付き、そっと中の様子を伺った。

 恐らく木こりの為の休憩所だろう。煙突からは何も出ていないし、光も漏れていない。どうやら今は誰もいないようだ。


「お邪魔します……」


 フィーネが扉を押し開けると、中は真っ暗だった。少しは暖かいので、扉を閉めて一歩、二歩と前に進むと、ドンッと何かにぶつかった。


「……って!」


 人がいたのだ。しゃがみこんでいたらしく、思い切り背中に膝をぶつけてしまった。


「あっ! ごめんなさい!」


「……あ〜、火が……」


 少し目が慣れてきて、大柄な男性が囲炉裏に火を点けようとしていたらしい事が分かった。


「ま……まだ、大丈夫ですよ! すみませんでした!」


 フィーネは慌てて隣に座り込み、消えかかっている種火を吹きながら、男性が持っていた藁をかぶせた。しばらくして煙が上がり、パチパチと小さな火が上がった。


「……良かった……。これで失敗したらヤバかった……」


 青年はドカリと腰を下ろしてフィーネを見た。


「どうしたんだ? こんな雪の日に……家出か?」


 白い歯を見せて冗談めかして言われ、フィーネは苦笑した。


「ええ。家出よ」


 あまりにもアッサリとフィーネが認めたので、青年はギョッとして黙り込んでしまった。


「薪は……?」


 フィーネが尋ねると、青年はそのまま手を伸ばして積んであった薪を囲炉裏にくべ始めた。


「……まぁ、色々あるよな……」


「そうね。色々あるわ……」


 たまたま居合わせただけの相手に聞かせるような話は何もない。フィーネは溜め息をついて揺れる炎を見つめた。


「……行くあてはあるのか?」


 青年の問いに、フィーネは自嘲気味に答える。


「ないわ」


 この男はどんな反応をするのか、と少し好奇心をくすぐられていると、予想外の答えが返ってきた。


「じゃ、俺の所に来るか?」


「は?」


 あまりに驚いて青年を凝視してしまった。なんだこの男は。会ったばかりの得体の知れない女に対して、いきなりのアプローチに唖然とする。


「……ちょっと……主人と……ね」


 既婚者だと知らせておかなければ。フィーネはポソリと呟いて目線を炎に戻した。


「……そっか……」


 青年も納得したのか、炎に目線を戻した。


 じんわりと部屋が温まり始めると、急に寒気が襲ってきた。凍っていた衣類が解けて、身体を冷やし始めたのだ。


「……クシュン……!」


 フィーネがくしゃみをすると、青年は小屋の隅に畳んであった毛布を取って来て、フィーネに手渡した。


「濡れてるから、脱いだ方がいい。俺は向こうを向いてるから。ちゃんと服を乾かすんだ」


「……貴方も濡れてるじゃない……」


 よく見ると、青年の方がずぶ濡れだった。フィーネの指摘に、青年は頭をガシガシと掻いて困ったような顔をする。


「……いや、毛布は一枚だからな……」


「貴方が脱がないなら、私も脱がないわ」


 フィーネの言葉に青年は溜め息をついた。青年の指先が震えているのに気付いてしまったのだ。多分、自分よりも冷え切っている。


「何の殺し文句だよ。……分かった。じゃあ、服を脱いだら背中向けて二人で毛布に包まろう。それでいいか?」


「……仕方ないものね……」


 フィーネが頷くと、二人は部屋の隅を向いて服を脱ぎ始めた。

 ぐっしょりと濡れた夜着は肌に張り付いていて気持ち悪かった。肌着を脱ぐか悩んだが、そのままでも乾きそうだったので脱がずに上着と夜着を壁に渡してある紐に掛ける。こういう用途で使われることを想定して誰かが紐を渡したのだろう。

 おずおずと毛布で身体を隠しながら囲炉裏のそばに座り込むと、背中に人の気配が近付いた。


「……あ〜、お邪魔します」


 既婚者だと伝えたので遠慮しているらしい。青年がフィーネと背中を合わせるように座り込んだので、フィーネは毛布の端を後ろ手で青年に渡した。


「……おう……。……えっ?」


 毛布を受け取った青年の視線が腕に釘付けになったのに気付き、フィーネは慌てて毛布の中に腕を引き込んだ。


 確か、腕はあの男に踏まれた跡が付いていた筈だ。鞭の痕も残っているかも知れない。


「……」


 青年が息を飲む気配がして、フィーネはいたたまれなくなった。これでは家出の原因をバラしたも同然ではないか。

 きっとその事を根掘り葉掘り聞かれるんだ。と、フィーネが身を固くしたが、青年は優しい声音でゆっくりと言った。


「……なあ……本当に……俺の所に来ないか?」


 ドキン、と胸が弾んだ。

 何も聞かず、そう言ってくれる温かさにこの青年の優しさを感じる。

 背中越しに青年の体温が伝わり、胸が苦しくなる。彼もどうやら肌着を脱がずにいてくれた。その心遣いもホッとする。


「あんまり……優しくしないで下さい……」


「……でも、逃げてきたんだろ?」


「それは……」


 フィーネが口籠ると、さらに畳み掛けるように言う。


「当てもないんだろ?」


「そうだけど……」


「それとも……、なんだかんだ言って、結局は戻るつもりなのか?」


 少し非難するような口調に、フィーネは俯いた。


「……分からない。戻りたくないけど……戻らないといけない気がする……」


 青年は少し考え込み、ポツリと呟いた。


「なあ……その痣……」


「うん……」


「たまたま、なのか? それとも……」


 何を言おうとしているのかすぐに分かる。偶然の事故だ、と言う事も出来たが、どうしても聞いて欲しいと思ってしまった。


「……たまたま、じゃない……。いつも……いつだって……!」


 吐き出すように言うフィーネの様子に、青年は眉を顰めた。


「……ちょっと……見てもいいか?」


 少し剣呑な響きがこもり、次の瞬間には青年が正面に回り込み、毛布をめくっていた。


 腕や脚、肌着の隙間から覗くその白い肌に走る無数の鞭の痕、そして拳や足の形の痣。

 青年はその惨状に息を飲んだ。


「……ちゃんと冷やしたのか?」


 青年はそっと毛布を掛けた。


「冷やすも何も……。この雪の中を歩いて来たから……」


 先ほどまで穏やかだった青年の顔が険しくなり、ピリピリと肌を突き刺すような気配を放っている。


「……亭主の名前と居所は?」


「どうして?」


 思いがけない青年の質問に答えるフィーネの声は掠れていた。


「ぶっ殺してやるから」


 ギラリ、と赤銅色の目が光り、フィーネはゴクリと息を飲んだ。鍛え抜かれた体躯に無駄のない筋肉。そして彼の手荷物の中には立派な剣があった。傭兵か何かなんだろう。

 あの男を処分してくれるならば是非、お願いしたい。一瞬そう思って、慌てて首を振る。


「や……やめてよ。それに、そんなこと無理だから!」


「無理じゃない。俺はコーー」


 青年が自分の胸に手を置いて何か言い掛けたのを必死で遮った。


「駄目! 名乗らないで。貴方に危険が及ぶわ……!」


 聞こえないように耳を塞ぎながら目を瞑る。青年は目を細めた。


「……どういう事だ……」


「主人は……名前を知っている相手を支配するの……」


「呪術師か?」


 青年の眉がピクリと上がる。


「似たようなものね。だから……」


「俺の名前を知られる事なんてないだろ? 戻らなければいいだけだ」


 なんと甘美な誘いだろう。フィーネはマジマジと青年を見上げる。見上げる程の長身に広い肩幅、分厚い胸板。肩に僅かにかする程度に無造作に切られた赤毛。赤銅色の優しげな目は怒りに彩られている。

 自分の夫とは全てにおいて大違いだ。


「……残された家族に迷惑をかけるわ……」


 思い出したのは妹の顔。このまま逃げると、彼女をあの男に差し出すことになってしまう。


「……そうか……」


 青年は諦めたように溜め息をつき、再びフィーネと背中合わせに座り込んだ。


「……ごめんなさい……」


「謝ることじゃない。でももし、そいつがここまで追ってきたら、斬っちまうかも知れない」


「……追ってこないわ……多分」


「自分の足で戻る気か? そんな目にあって……」


「……だって……」


 本当に、このままこの出会ったばかりの男と逃げてしまえたらどれだけ楽だろう。フィーネはそれ以上言葉を見付けられず、唇を噛み締めた。


 気まずい沈黙が流れ、しばらくすると、急に身体を包む空気が冷たくなった気がした。炎が激しく揺れ始める。


「……風が出てきたな……吹雪になるかも知れない……」


 青年の呟きに、フィーネは少しホッとした。これで足跡が消える。すぐには見つからないだろう。


「早めに小屋に入れて良かったな」


 青年の声にフィーネは頷いた。あのまま気を失っていたら危ないところだった。


 やがてすきま風が入り込み、小さな小屋のあちこちで軋むような音が聞こえ始めた。本格的な吹雪になってしまったようだ。


「……さ……む……」


 肌に張り付いている濡れた肌着がどんどん体温を奪っていくのを感じる。さっき脱いでしまえば良かった、そう思いながら、今更脱ぐわけにもいかずに毛布を掻き寄せる。

 歯がガチガチと音を立て、全身の震えが止まらなくなってきた。


「……仕方ねぇな」


 青年はスックと立ち上がり、着ていた肌着を脱いで紐に掛けた。逞しい裸身が露わになり、思わず振り返っていたフィーネは赤面して俯いた。

 男の手が毛布の中に入り込み、フィーネの肌着に触れる。


「やっぱり……。肌着までぐっしょりじゃねぇか。脱がないと凍え死ぬぞ」


「……うん……」


 フィーネは真っ赤になりながら毛布の中で肌着を脱いで青年に手渡した。青年が紐に肌着を掛ける。


「床板が冷たいからな……俺の上に座れ」


 青年は毛布ごとフィーネを抱き上げると、ドカリと腰を下ろし、自分の上に座らせた。


「え……ちょ……ちょっと!」


 一糸纏わぬ姿の二人の身体が密着する。青年の熱い肌を感じ、フィーネの胸が早鐘を打ち始めた。


「安心しろ。俺は人の女には手を出さない主義だからな」


 言いながら、フィーネを背中からすっぽりと抱き込み、その上から毛布を被った。

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