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第90話 道の先

 アルス達の馬車が村に入ると、警備をしていた兵が御者台を見上げて目を丸くした。


「ア……アルス様……!」


「おう、帰ったぞ」


 出奔していた村長の次男坊の突然の帰還にコーダ村は大騒ぎになった。馬車からケイトが降り、凛とした声で言い放った。


「この間話していた急患よ、受け入れの準備は出来てるわね」


 ザワリと村人がざわつく中、一人が質問を投げかけた。


「アルス様がご一緒と言うことは……奥様ですか!」


「残念。ヨタカの嫁よ」


 ケイトが答えると、村人全員が息を飲んだ。


「ヨタカの……!」


 アルスは御者台から降りると、ぐるりと村人を見渡した。


「詳しい事を話すから、主だった者を集めてくれ」




 村長の屋敷の広間に集まった者の前で、アルスが事の顛末を詳しく話すと、アルスより少し年上の若干小柄でよく似た青年が大きく頷いた。


「それで……、結局親父の安否は分からないのか」


「ああ……。済まない、兄貴」


 上座に座る青年はアルスの兄、ラッセである。彼はアルスとは正反対の慎重派であった。

 ラッセは鉛色の目を細め、アルスを睨み付ける。


「デュカスはもうこの世にはいない、と捉えていいのか?」


「……それは……」


 魔術的な事はよく分からないアルスにとって、封印されている状態をどう説明するのかは非常に難題であった。


「ちょ……ちょっと待って……うちが……説明します……」


 ケイトに支えられながらツグミが部屋に入ってきて、男達が騒然となった。

 魔人で身重のヨタカの嫁を受け入れただけでも大騒ぎだったのが、アルスの話だとヨタカは死んでしまったと言う。この村の男達にそのような相手に対する繊細な気遣いなど期待できない。

 ケイトは心配そうにツグミを見守るが、ツグミはふぅ、と一息ついてから姿勢を正し、ラッセに一枚の書状を手渡した。


「ザイール様の安否ですが、うちが手紙を出しました。その返事がこれです」


 アルスは驚いてツグミを見る。いつの間に連絡を取っていたのだろうか。一言もアルスに相談しなかったのは、アルスがコーダ村に戻ると思わなかったからかも知れない。


「……」


 ラッセは一通り目を通し、ゴクリと息を飲んで男達を見た。


「……確かに親父の字だ。読むぞ。

『親愛なるツグミ殿

 この度は我が身を安じてくれありがたく思う。

 駆けつけた者達により一命を取り留め、今は彼らと共に火の国の復興に取り組んでいる。

 コーダ村に向かわれるとの事なので、言伝を頼む。

 火の国は噴火により指導者を失い多くの犠牲を出したので、私はこの地の復興を手伝うことにした。デュカスにより若さを手に入れたので、余計な心配は無用。

 村はラッセに一任するので、皆、彼に従うように』……以上だ」


 男達が一様に黙り込み、ラッセが読み上げた手紙に視線を注ぐ。

 ツグミは軽く咳払いしてから先ほどの疑問について説明を始めた。


「……デュカスの封印は一時的なものや。恐らく、そう遠くない未来に神の化身により、封印が解かれるやろう」


「……なんと……!」


 封印を解く理由については述べない。下手をすると封印を解くこと自体に邪魔が入る。


「でも、その時には神の化身が対応すると言うてた。手出し無用や。コーダ村はそれまでにしっかりと立ち位置を決めて、デュカスの支配を断ち切って欲しいねん……」


 戦士として長年戦ってきたツグミの迫力は、傭兵の男達の集団をも唸らせるものがあった。


「ふむ……では、しばらくはデュカスの影響は無いという事だな」


「せや」


「よし、では村を二分している場合ではないな。奴に対する対策を立てながら、神の化身の支えとなれるような人材を育成しなければ」


 ラッセの決断にツグミは大きく頷き、バサリと紙束を机に置いた。ラッセは眉を顰める。


「これは?」


「風と水の魔術を詠唱によって再現する……『魔法』についてうちらが纏めたもんや。コーダ村の兵士が魔法を使えば、相当な増強になると思うで」


 ツグミはそう言い残し、ジリジリと横で待機していたケイトに連れられて退室した。


「……魔法……」


 その場にいたアルスを除く全員がその未知なる世界へと繋がる紙束に釘付けになった。


 ◇◇◇◇◇


 ツグミは用意された寝台に寝かされ、ケイトの診察を受けていた。


「もう、無理しないでくれる? 移動で疲れてるのに……。少し張ってるわ。温かくして休んで」


 言われてみると、下腹部が硬くなっていて、微かな痛みがある。


「……すんません……」


「謝る前にちゃんと身体を休めなさい。まあ、お陰で村は落ち着いたけどね」


 まさかザイールの書状を持っているとは思いもしなかった。聞けば、アルスと共にデュカスと戦ったらしいので、相当の腕利きということだ。


 ケイトはツグミに毛布を掛け、額に手を置く。


「熱は無いわね。じゃあ、何か温かい物を持ってくるわ」


 溜め息をついて立ち上がり、扉を出る直前にもう一度念を押すようにツグミに振り返る。ツグミが頷くと満足げに扉を閉めた。


「……怖っ……」


 なかなか手強い姑だ、とツグミは肩を竦めた。これで腹の子がヨタカの子でなかった時が恐ろしい。


「……まぁ……その時は……謝るしかないか……」


 ほとほと自分の節操の無さに嫌気がさす。まさか子が出来るなど考えた事も無かったツケが、こんな所でやってくるとは。


 扉を叩く音がしたので、少し緊張して返事をすると、赤毛の青年が笑いながら入ってきた。


「おいおい……緊張しすぎだろ」


「アルス……。悪かったな……」


「傭兵の集団相手に啖呵を切れるお前が、ケイト一人にビビりすぎだ」


「しゃあないやろ」


 後ろめたい事があるからこそ、親切にされると心苦しいのだ。


「ケイトはヨシキリを受け入れた女だぞ。多少の事なら大丈夫だろ」


「……そりゃあな。で、もう行くん?」


「ああ。お前のお陰で俺は自由になれそうだ。すぐにあっちに合流する」


「……そっか」


「まあ、子供を産んでからどうするかはお前が決めたらいい。それまではケイトが責任持って世話してくれるって言ってるからな。あ……これはあくまでも仕事としてで、父親の件は気にするなって言われてるぞ」


 アルスの言葉にツグミは驚いて目を丸くした。てっきりヨタカの嫁だから世話をしてくれるのだと思っていた。


「そうなん?」


「ケイトは俺の子だと思ってるけどな……。ま、生まれたら誰の子か分かるだろ」


 そうか、あの人はヨタカの母親だった。ヨタカがどんな女を好んでいたのかなど、お見通しなのだろう。ツグミは少し肩の荷が下りた気がした。


「……あんたはちゃんとティアナの所に行ったりや。で、白黒ハッキリさせて来!」


「……分かってるさ……。じゃあな。元気な子を産めよ……」


 アルスは苦笑して立ち去った。


 ◇◇◇◇◇


 結局、ティアナ達はアランを馬車に乗せ、他の少年達は自力で村に戻らせる事にした。

 アランはポツリポツリと襲撃後の村の様子を話し出した。


 襲撃から二年後、フィーネを保護していた村から協力者が現れ、近くの村に避難した者とその協力者達によって、村の復興が始まった。


 焼け跡を片付けて新たな家屋を建て、そして荒れた田畑を耕して作物を育てるうちに、気付けば協力者も増えてかなりもとの状態に近い村に復興する事が出来たのだという。


 そして現在は、協会(ギルド)を通じて残った村人を集めている最中なのだ。


「フィーネ様は貴女がお帰りになる場を用意すると言って、協力者を募られたのです」


 アランの言葉にティアナは胸が熱くなった。


「……お母様は貴方達が何をしているか知っているの?」


「いえ、フィーネ様は何もご存知ありません」


「じゃあ、貴方達が盗賊の真似事をしている事は村の誰も知らないのね」


 ティアナは胸を撫で下ろし、少年達を見渡した。


「はい。狩猟に出掛けても成果が上がらない時に時々……」


 黙って聞いていたレイモンドが突然アランの言葉を遮った。


「中途半端だな。それじゃあどっちつかずだ。矢が尽きてから馬車を襲っても仕方ないだろ?」


 どうやら、あまりにもお粗末な襲撃がお気に召さなかったらしい。しかし、確実に論点がズレているので、ティアナはギロリとレイモンドを睨み付けた。


「だからレイモンド、貴方は黙ってて。この子達を盗賊に仕立てたい訳?」


「いや、そういう訳じゃないけど……。こんな辺鄙な道を通る奴らを襲っても、大した収穫にはならないんじゃないか?」


 神族の村は大陸の外れ、森と山に囲まれているので、この先は道らしい道もなくなってしまう筈だった。それが今ではある程度整備された道が延々と続いている。


「それが、どうもこの先に船着場があるらしくて……」


「……え?」


 ティアナは耳を疑った。


「最近、結構な金持ちが往来するようになったんです。言葉が通じない奴らもいるので、海を越えて来たのかも知れません」


「……海を……?」


 ティアナは呆然とした。海の向こうに人が住んでいるなど聞いた事がない。かつて自分が村で育っていた頃は、そのような交易など無かったのだ。


「マジか。大陸の外にも人がいるのか……!」


 レイモンドは純粋に感動し、窓から顔を出して道の先に想いを馳せた。


「……驚きだわ。村の襲撃で、そんなに歴史が変わるなんて……」


 村の襲撃からの復興のため、近隣の村と交流が出来、それがキッカケで道が整備された。そして、たまたま異国の船が流れ着き、その道を発見した異国人により交易が始まったらしい。


「かつては……道がなかったから……人がいないと思って引き返していたのね……」


 ティアナは独り言ちてゴクリと息を飲む。


「ねえ、(あか)(くろ)の魔族ってもしかして……」


 レイモンドが大きく頷いた。


「……その異国にいるのかも知れないな……」


 地の果てと言われる山岳地帯の先は見ていないが、レイモンドが作成した地図でめぼしい村が見当たらなかったのも事実。(しろ)の魔族のように隠れ住んでいるのかと思っていたが、こうなると探す範囲が大幅に広がってしまった。

 それでは、世界を総ていると思っていた帝国はなんだったのだろう。自分達が暮らして来た世界の小ささに驚きを隠せない。ティアナは胸が早鐘を打つのを抑えきれず、アランに問い掛けた。


「その異国人と喋れる者はいないの?」


「ランドルフが異国の本を買って勉強しています」


「それなら盗賊よりも、そちらに力を入れた方がいいんじゃなくて?」


 ティアナの言葉にアランはハッと顔を上げた。


「貴方達が交易の窓口になればいいのよ。レイモンド、協会(ギルド)の主な仕事内容が決まったわね」


「ああ。これは学校用の教材も追加だな」


 いずれ、その異国にも足を運ぶ事になるだろう。それまでに彼等に足場を作ってもらうべきだ。


「……ヤベえ……ワクワクしてきた……!」


 レイモンドはまだ見ぬ土地を思い、その青緑の目をキラキラと輝かせていた。

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