第8話 親と子
山道から少し外れた川辺に野営を構えた。天幕のようなものは無いので、石で囲いを作り、拾い集めた薪を組んで小さな火を起こす。
川の流れは穏やかで、川原には粒子の細かい砂が堆積しているので地面は柔らかい。これならばゆっくり休めるだろう。アルスがあらかじめ隠しておいた荷物を取りに行き、敷物用の帆布を敷いた。
アルスが先に水を浴びに行った。食料を確保すると言っていたので少し時間が掛かるだろう。
フィアードは敷物の上に更に獣の皮を敷いてティアナを寝かせる。着替えさせるついでによく絞った布で身体を拭いてやった。時々身じろぎするが、起きる気配はない。
「待たせたな。お前も行けよ」
しばらくするとアルスが川魚数匹を串に刺して帰ってきた。傭兵生活が長かったからか、彼は意外とマメであった。薪をくべて魚を焼き始める。
フィアードは汚れた衣類を籠に入れて川辺に下りていく。折りたためる網目の荒い籠なので、身につけていた衣類も一緒にしてそのまま籠と一緒に水の中に入ろうとした。
「うわ……冷て……!」
雪解け水なのか、思った以上に冷たい。フィアードは自分は水に浸かるのを諦めて、籠だけ浸ける。体の節々が痛い。腹の痛みは大分引いてきた。左腕の傷を軽く洗い、右腕の関節を確かめて衣類を籠から取り出す。一つ一つ丁寧に洗いながら、今日の襲撃について考えた。
黒幕がダルセルノだったとして、何故こちらの居所を知っていたのか。自分たちの正体を知っているのは今のところアルスとザイールだけだ。コーダ村を出た途端に襲われたのも怪しい。
ダルセルノとザイールが通じているーーそう考えるのが自然だ。しかし、いくら次男とはいえ、自分の息子をそう簡単に裏切れるのだろうか。
ティアナに最初から監視が付いている、もしくは村に戻った時から監視されている可能性ーーこれも無いとは言い切れない。
ダルセルノは呪術にも明るいらしいが、それは時間跳躍してきたティアナによりもたらされた情報だ。こちらが呪術の可能性を考えるとは思ってもいないだろう。
そして呪術による監視がなされているとすれば、このタイミングでの襲撃は絶妙だ。コーダ村がダルセルノと通じていると思えば、こちらは身動きが取れなくなる。
全ての洗濯物を絞り終え、冷たい水で痛む部位を冷やしていると、アルスの声が聞こえた。魚が焼けたらしい。急に空腹を覚え、フィアードは芳ばしい匂いのする方へ向かった。
◇◇◇◇◇
久しぶりの魚は美味しかった。村では主に山鳥や木の実を食べていたが、時々近くの川へ魚を取りに行ったものだ。
「アルス……傭兵ってみんな、こんなこと出来るのか?」
「こんなこと?」
「料理とか、応急処置とか……」
川で洗った傷には薬草が貼られ、清潔な布が巻かれている。その治療の手際良さに驚いたのだ。
「こんなの焼くだけだ。料理のうちに入らないだろ。応急処置はまぁ、基本だな。戦場ではすぐに処置しないと命に関わるからな。特に大事なのが止血だな……」
馬鹿だと思っていたが、これだけ器用にこなせるのだ。大した奴かも知れない。喋りながらも木々に紐を渡して、洗濯物を手早く干している。
「……で、解毒はやっぱり専門家じゃないと無理でさ、薬師を探して大騒ぎ……」
しまった、話題を振った俺が悪かった……。フィアードは延々と続く冒険談にうんざりしながら薪をくべる。
炎がゆらりとゆれて、新しい薪を飲み込んでいく。夜の帳が下りて、空には星が瞬いている。
突然言葉が途切れたので、フィアードはアルスを見た。洗濯物を干し終え、目の前に腰を下ろした彼は少し思い詰めた表情をしていた。
「フィアード……親父がどう出ても、俺はお前達を守るって決めてるから……信じて欲しい。それから……今日は疲れてるだろうからお前が先に休め」
ああ、こいつも考えたんだな。二人は不自然な程にその話題を避けていた。ダルセルノとザイールが通じている可能性について。でも、自分で結論を出したのならば大丈夫だろう。それにしても、よくもまあ恥ずかしい台詞を平気で口に出来るものだ。フィアードは照れを誤魔化そうと肩をすくめた。
「いいのか? お前だってボロボロだっただろ?」
「これでもそこそこ名の通った傭兵だぞ。素人は素直に言うことを聞けよ」
ニヤリと笑う。赤毛が炎に照らされてよりいっそう鮮やかに染まっている。
「分かった。じゃあお言葉に甘えさせて貰うよ」
フィアードも笑い、ティアナの横に体を横たえた。身体の緊張がほぐれて、すぐ睡魔が彼を襲ってくる。
「ちゃんと起こせ……よ。変わるから……」
欠伸を噛み殺しながら何か言っていたが、規則正しい寝息が聞こえるまでそう時間は掛からなかった。
その様子を見たアルスは苦笑する。
「今晩は眠れそうもないな……。明日は宿を探すか」
◇◇◇◇◇
「ねえねえフィアード、みてみて~!」
ペチペチと何かが頬を叩いている。重い瞼を開けると、ふっくらとした小さい手が見えた。太陽が眩しい。
「あ、やべ……!」
寝過ぎてしまった! と慌てて体を起こすと、目の前に愛らしい赤ん坊が座っていた。こちらは思ったよりも早く目が覚めたようだ。
「おはよう……ていうか、もう昼だよフィアード」
ニコニコ笑うティアナに、ふと違和感を覚え、フィアードは首を傾げた。そうだ、目だ!
ティアナのクリクリとした大きな目は、両方とも美しいハシバミ色だったのだ。
「ティアナ、その目……、どうした?」
「どう? お母さんとお・そ・ろ・い!」
「……え? 俺ってそんな色?」
フィアードの言葉にティアナはがっくりと項垂れた。確かに自分の顔を見る機会は少ないが、目の色くらいは知っていると思っていた。
「なによ~! せっかくお揃いにしたのに。金と緑を混ぜたみたいで綺麗だなぁってずっと思ってたんだもん」
「へぇ~。凄いな、目くらましじゃないんだろ?」
そろそろずっと寝たふりという訳にはいかない月齢なので、フィアードも目くらましを応用して色々試していたのだ。
「原理は単純! 私の目を見ようとすると、貴方の目が見えるってこと。近くにいないと効果ないけど」
「え? それじゃ、これ、まるっきり俺の目?」
驚くと、心なしかティアナの瞳孔が開いたような気がする。面白いことを考えるものだ。若干視線が落ち着かないのは仕方がない。
「そういうこと~。まだちょっと不自然になっちゃうけど、まぁその内、自分で色彩を被せるから。しばらく貸してね」
赤ん坊らしからぬ顔でニヤリと笑って、ヨチヨチと膝に登ってきた。フィアードはヒョイとティアナを抱き上げて川へ向かう。
川の水で顔を洗ったり水を飲んでいると、川上から水鳥を捕らえたアルスが悠々と歩いていた。二人を見付けて嬉しそうに駆け寄ってくる。
「フィアード、身体の具合はどうだ?」
フィアードが答えるより先に腕の中のティアナが得意気に胸を反らす。
「私の治癒で万全よ! たっぷり寝たしね!」
「あ、そうか。道理で楽だと思った。ティアナありがとう」
フィアードはティアナのフワフワした髪を撫でた。目くらましの効果で淡い金色に見える。
「酷い目にあったもんねぇ」
いけしゃあしゃあと……最終的に最も酷い目にあったのは一体誰だろう、と考えてフィアードは苦い顔をした。腕の中の一見天使にしか見えないこの赤ん坊の本性を思い起こす……。この悪魔は絶対に怒らせてはいけない相手なのだ。
「お前の弓、借りたぞ。流石に使いやすいな! 俺でもこの通りだ!」
アルスは獲物と弓を掲げて嬉しそうだ。客観的に見ると旅の家族にしか見えない。
「悪いな、寝てないんだろ」
まさか、こんな時間まで起きられないとは思いもしなかった。一晩中火の番をしていたはずのアルスはケロリとしている。
「慣れてるさ。雪山を彷徨った時に比べたら……」
「うわっ! また始まった……」
いつものように始まったアルスの冒険談に、ティアナがうんざりした顔をする。フィアードはティアナを宥めながら焚き火まで戻り、これからのことを相談することにした。
◇◇◇◇◇
呪術による監視を警戒して念入りに消音結界を張る。これで内部の声は拾えない。
「……ということで、俺達は監視されていると思っていいだろう。ただ、アルスの親父さんがダルセルノと通じている可能性もゼロではないと俺は思う」
「呪術……か。そんなものが本当にあるのか?」
「俺も詳しくは知らないが、人間の権力者が偵察や監視に使うことが多いんだろ?」
フィアードは膝に乗せたティアナに説明を求めた。彼女は頷いて心底嫌そうな顔をする。
「あれはねぇ……、本当に嫌。たかが偵察や監視のために気持ち悪い儀式とかするんだもん。もう、血の匂いが酷いしさ……」
呪術……ほぼ万能と思われる力を持つ彼女に取って、本当に理解不能なことであったようだ。
「うぇ……じゃあやっぱり、生贄とか生き血とか使うんだ……!」
「そうなのか!? ……ていうか、腕のいい偵察雇った方が簡単そうだよな……」
アルスは素直に思った事を口にする。フィアードは少し考え込む。
「まぁ、お前の村ならそうかもな。でも、呪術の方が有効な場合もあるだろ。……いずれにしても、漆黒の能力と合わせたら、諜報活動は無敵だろうな」
「うん。そうだったね。私や貴方よりも情報通だったし……」
ティアナは嫌なことを思い出して機嫌が悪い。
「……でも捕らえられてる奴が、そんな真似できるか? 生贄や生き血を集めたり……。例え釈放されて普通に生活してても目立つだろ」
アルスの言葉にティアナが過敏に反応する。逃亡の可能性の方が高いと思っていたのだ。
「お父様は捕らえられてるの?」
「……特徴を聞いた限りでは、多分捕らえた村人の中にいたはずなんだ。だから、半年ほどでそんなに力を蓄えられるとは考えにくいだろ?」
アルスは現場を知る証人でもある。彼が見たのならば、襲撃時に捕らえられたのは確かだろう。
「捕らえられた人たちはどこへ?」
「分からないけど、襲撃の指示を出したのは東の国だ。自分たちの国を『火の国』とか言ってたな」
「『火の国』……? 知らないわ。私が情報を流した国じゃない……!」
ティアナの言葉に二人は息を飲んだ。では、村の襲撃の黒幕は……?
「……お父様の自作自演……? そんな筈は……」
思いもかけなかったことだ。だが、それならば辻褄が合う。ダルセルノがティアナの時間跳躍の可能性を知っていたとすれば……。
「その国の方角は分かるか?」
フィアードに聞かれてアルスは両手を挙げる。お手上げらしい。そもそも、彼は直接国に雇われた訳ではなかったのだ。無理はない。
「その情報も集めて行くしかないよな。ところで、昨日話を聞いて気になったことがあるんだが……」
アルスが珍しく考えこみ、チラリとフィアードを見る。
「フィアードの親父のことだ」
「父さんの?」
何故ここで死んでしまった父の話が出てくるんだ?フィアードは首を傾げた。
「ああ。もう一つの未来でそのダルセルノってやつに嵌められるんだろ?それって、具体的にどんな策謀だったんだ?」
フィアードは今まで自分がそのことを失念していたことに驚いた。言われてみれば、両親が処刑されて弟妹が追放される程の罪など、生半可なものではないはずだ。
伝えられた内容がショッキングで、それ以上深いことを聞きたくなかったから、策謀については考えないようにしていたのだろうか。
「父さんはいい意味でも悪い意味でも真面目な人だったと思う。悪巧みするような人間じゃないし、慎重な人だった……と思う」
フィアードの膝の上で、ティアナは居心地悪そうにしている。何か言いかけて、一旦言葉を飲み込んだ。
怪訝そうな二人の視線を感じて、溜め息をつく。
「私は……策謀って言ったけど、それがお父様の仕業かどうかは分からない。あの段階では……貴方の手前そう言うしかなかったのよ。……でも、記録では犯罪者になってる……」
「父さんが本当に罪を犯してたってことか!?」
フィアードはティアナを乱暴に持ち上げてその顔を覗き込んだ。怒気を孕んだ眼がこちらを睨み付けているのに気付き、舌打ちする。
見かねたアルスがティアナに手を差し伸べ、彼女はその逞しい腕にすがりついた。優しく抱き上げて尋ねる。
「……一体どういう罪状なんだ?」
「……魔族に私の身柄を渡して村を危機に貶めようとしたって……」
歯切れ悪くティアナが答えると、フィアードはその内容に愕然とした。
「なんだって……?」
神族にとって、鍵は絶対的な存在であり、その身柄を神族以外の手に委ねるなどあってはならないことだ。しかも一族の長たる者がその手引きをするなど言語道断である。
フィアードの父親ーーガーシュはその罪で処刑された。本来であれば、その血筋に連なるもの皆処刑される程の大罪であったが、五人の子供のうちで成人していたのが薄緑の欠片持ちのフィアード一人。
フィアードは告発者、ダルセルノの元に仕えることで赦され、未成年の四人の子供たちは奴隷として売られた。結局、処刑されたのはガーシュ夫妻だけであった。
「……というのが、私が調べた罪状。フィアードはそのことには一切触れなかったから、最初は全然知らなかったわ」
「……思考誘導されてたのか、記憶操作されてたのか……って話だったけど、もし、それが本当だったなら……」
フィアードは重々しく口を開いた。
「俺は父さんを許せなかったのかも知れない……」