第88話 故郷への道
「なんで? アルスさんの事は好きなんだよな?」
レイモンドは眉を寄せて顔を顰めた。
「当たり前よ。大好きよ! ずっと……彼がお父さんだったらどれだけ良かったかって……思ってたわ……でも……」
レイモンドは溜め息をついて、興奮しているティアナを宥める。
「生まれてすぐに両親から引き離されて、兄さんとアルスさんに育てられたようなもんだろ?」
ティアナは小さく頷く。襲撃は生後一ヶ月ほどの事だった。それ以降はフィアードがずっと育ててくれていたのは事実だ。
「……今回は……そうだけど」
「……俺にはお前の繰り返してきたのがどんな時間だったか分からないから……さ。……普通なら親の顔なんか覚えてないだろ?」
レイモンドの言葉にティアナは次第に冷静さを取り戻していく。
「……そうね。お父様と親子として接した時間は……今回は殆ど無いわ……」
「だから……正直……お前の深刻さはよく分からないんだ……」
「そうね。でも……、お母様がもし、お父様以外の人との間に子供を産んでいるとすれば……それはやっぱり不義の子でしょ?」
「僕の母も不義の子ですよ」
第三者の声にティアナはビクリと顔を上げた。
「……モトロ……」
「あれ? アルスさんは?」
モトロと一緒に戻って来るとばかり思っていたが、戻って来たのはモトロ一人である。
「やっぱり村が気になるから、と言って、そのまま一緒に行ってしまいました。……止めるべきでしたか?」
少し困った顔でモトロがティアナを見る。アルスの決意を止められる者がここに居るとは思えない。ティアナはハァ、と溜め息をついた。
「……コーダ村がゴタゴタしてるって言ってたわよね」
「村のゴタゴタはすぐに片付けて神族の村に向かうから、そこで会おう……と」
モトロは責められなかった事に安堵しながら、アルスからの言伝を告げた。
「……アルスさんらしい……と言うか……」
レイモンドも苦笑し、肩を竦めた。もしかしたら、ティアナとまた気まずくなりそうな気がしたのかも知れない。
ティアナは少し拗ねたように口を尖らせた。
「……もしかして、私から逃げたのかしら……」
「それもあるかも知れないな。流石に、叔母さんのあの発言は……」
あの発言を聞けば、誰でもティアナとアルスの血縁を疑わなくなるだろう。
「ケイトさんはティアナ様をアルスさんの息子さんだと信じておられましたよ。それで、アルスさんがティアナ様を置いて行く事で、大分揉めてました」
小さな我が子を置いて行くなどとんでもない、と怒鳴られていたらしい。
「……そっか……。ねぇ、モトロはどう思う? ……その、私と……アルスのこと……」
ティアナがモジモジと言うと、モトロは優しく微笑んでティアナの背中を軽くさすった。
「ティアナ様、貴女のお母様とアルスさんの間に何があったのかは、僕たちが考えても仕方ない事です。当事者にしか分からないことですから……」
ティアナが小さく頷くと、モトロはその顔を覗き込み、悪戯っぽく言った。
「母は不義の子ですし、僕の父親は不明という事になってますが、実のところは禁忌の子ですよ? 上には上がいるものです」
「え……? そうだったの? ……じゃあ、ノビリスが……?」
ティアナは顔を引きつらせてモトロを見上げた。モトロは何故か得意げに笑った。
「僕は知らない事になってますし、母も知りませんけどね……。でも、そうじゃないと、こんなに母に似ませんよ」
その内容にレイモンドは愕然とし、ポソリと呟いた。
「……爆弾発言だ……」
◇◇◇◇◇
怪我人搬送用の少し大きめの幌馬車に横たわり、空色の髪の少女が搬送されている。その傍には赤毛の大男が座り、御者をしている叔母の後ろ姿を見ながら、少女の身体に毛布を掛けてやった。
「……なぁアルス……、ホンマに良かったん?」
「あ? 何がだ?」
「ティアナ達と別行動で……」
「どうせ神族の村までの約束だ。あいつらは多分神族の村にはそれなりに長期滞在するだろうしな」
恐らく、レイモンドは協会の支部を作るだろう。それを考えると、アルスが先にコーダ村に顔を出す余裕はあると思われる。
「……そうか……」
「それよりも……良かったな。子供が出来て……」
碧の村滞在中にツグミの立ち位置に気付いたアルスは、一応彼女に協力してみた事もあり、他人事ではなかった。
「……ホンマに……今更って気もするけどな……」
ツグミは苦笑して腹をさする。何故、このタイミングで授かったのか分からないが、本当に不思議である。
「どっちの子か……分からないか?」
ポツリと思い出したかのようにアルスが尋ねると、ツグミは少し考え込んだ。
「……ヨタカの子やったら、もっと前に出来てると思うねん……。それをティアナに言いそうになって、レイモンドに叱られた……」
ツグミの言葉にギョッとする。本当にこの一見少女は平気で周りを振り回す発言をする。開けっぴろげ過ぎるのだ。その場にレイモンドがいてくれて良かった、と胸を撫で下ろす。
「……お前……絶対にティアナに言うなよ。それと……もしフィアードの子だったら……頼むからもうティアナの前には現れないでくれるか?」
「はいはい。……すんませんでした。……あんたの大切なティアナをこれ以上傷付けませんよ……」
ツグミは意味深にアルスに笑い掛ける。
「……まだ確証は取れてないから……な」
「で、先延ばしにしとるんか。さっさと神族の村に行けばええやんか……」
アルスは渋面で黙り込んでしまう。先延ばしにしている自覚はあるが、色々と考える事も多い。
「……子供の父親って……母親には分かるものなのか?」
「さあな……うちにそれ聞く?」
アルスはアッと慌てて口を覆い、肩を竦めた。
「いや……悪い。俺も……どうしたらいいのか分からなくてな……」
アルスはガリガリと頭を掻きながら、進行方向を見る。
「あ、そっか。ダルセルノが死んでるから……未亡人になっとるんか……。あんたには嫁がおるしなぁ。……色男は辛いな……。嫁に連絡したろか?」
「……やめてくれ……」
もし、神族の村でティアナの母親が孤軍奮闘していたら、アルスは彼女を放って置けないだろう。それが分かっているからこそ、真実を確かめたくない気持ちは理解できる。
「でも珍しいな。人の女には手を出さないんちゃうかったん?」
「うるせぇよ……」
アルスは舌打ちして叔母の後ろ姿に声を掛けた。
「ケイト! そろそろ変わるぞ」
その声を受けて馬車が少しずつ徐行して停止した。
◇◇◇◇◇
「レイモンド、僕が御者をしてもいいですか?」
この先、ずっとレイモンドが御者をするのも大変だ、ということで、モトロの申し出をありがたく受ける事にした。
この先の道は比較的平坦なので、モトロのように馬に慣れていない者でもなんとかなるだろう。
レイモンドから簡単な指導を受け、モトロは恐る恐る御者台に登った。
「何かあったら呼び鈴を鳴らせばいい」
御者台に設置された把手を引くと、箱馬車内の鈴が鳴る仕組みになっている。
「分かりました。多分大丈夫です」
硬い表情で頷くモトロに一抹の不安はあったが、走り出すと特に問題はなく順調に道を進んでいった。
「……ねぇレイモンド、神族の村に協会の拠点を作るのよね」
「まあ、それが出来るといいんだけどな。まずは復興がどの程度進んでるかが問題だよな……」
若者だけで復興しているのか、何処かから男手を借りてきているのか、それによっても村の状況はかなり違うだろう。
「……お母様が旗印って……ことは確かなのよね」
サブリナから聞いた情報だと、ティアナの母親が若者を集めて復興しているらしい。レイモンドは頷き、腕を組んだ。
「らしいな。やっぱり、鍵の産みの親だからかな? ……ティアナが村に行ったら、離して貰えなくなったりして……」
あり得ないことでない。ティアナは今更ながらその可能性に気付き、顔を顰めた。
「洒落にならないわね……。アルスもいつ解放されるか分からないし……」
やはり故郷というものには色々としがらみがある。一度帰ると、再出発にはかなりの労力がいるだろう。
「そもそも、畑作と狩猟を残ってる若者だけでこなせるか不安なんだよな……。変な事に手を染めてなけりゃいいんだけど……」
何気なく言った言葉だが、妙に重みがあり、二人はゴクリと息を飲んだ。
リンリン……
突然呼び鈴が鳴り、レイモンドは窓から身を乗り出した。
「どうした?」
大声でモトロに語りかけると、モトロも負けじと大きな声で返事した。
「前方に誰かいます!」
「よし、取り敢えず手綱を引いて止まれ」
レイモンドの指示に従い、モトロが手綱をゆっくりと引き、馬車を止めると、あっという間に覆面をした少年達に取り囲まれた。
「か……金目の物を置いていけ……!」
リーダーと思われる少年が剣を抜き、御者台のモトロにその剣先を突き付けた。
「……はぁ……」
モトロはどうしたものか、と戸惑いを隠せず、覆面の少年達を見渡した。十二歳から十五歳くらいであろうか。
「おいおい……相手を見てから襲えよな……魔人相手に馬車強盗とは……酷すぎる……」
レイモンドは声を聞いて呆れ顔で肩を竦める。
「……子供……?」
窓から外の様子を見ていたティアナは意外な襲撃者の姿に目を丸くした。
「ちょうどいい。腕試しでもして来たらどうだ? フィード」
レイモンドはニヤニヤ笑いながら扉を開け、ティアナを押し出した。
「え……ちょっ……と!」
いきなり車外に放り出され、ティアナは慌てて周囲を見渡した。
「なんだ……ガキか……!」
少年達の間に一瞬緊張が走ったが、出てきたのが自分達よりも小さい少年なのに驚き、チッと舌打ちをした。
「……ガキにガキって言われると……ムカつく……」
ティアナはスッと目を細めた。
少しの緊張感と高揚感に息が弾む。ティアナは軽く呼吸を整えると腰の剣を抜いた。キラリと白刃が輝く。この剣にとっては初陣だ。
「……ガキ……やるのか!」
少年達が色めき立ち、その切っ先がティアナに向けられる。
「……ふーん……」
成る程、いい練習台になりそうだ。ティアナはペロリと唇を舐め、少年達を誘い込むように体を開いてわざとらしく剣先を上げた。
「やっちまえ!」
リーダーの掛け声に反応して、少年達が一斉に地を蹴った。




