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第85話 馴れ初め

 寝台に倒れているのは彼女もよく知っている少女だ。

 そしてこの出血。

 見た所外傷は無さそうだが、月の物にしては量が多すぎる。


「モトロ! 早く来て!」


 ティアナの悲鳴のような声に、小屋の入り口で固まっていたモトロが慌てて寝台に駆け寄った。


「知り合いですか?」


「ええ……友達(・・)よ! 何とかしてあげて!」


 無意識に枕元に座り込み、その冷たい手を取って握りしめる。何故、こんな所で彼女が倒れているのだろう。何としてでも助けなければ。そして……彼女にちゃんと謝らなければ。


 モトロは下腹部に手を当て、ゆっくりと瞑目する。

 ふわりと沸き起こった清浄な気配がツグミを包み込み、その身体の調子を少しずつ整えていく。


「……どう?」


「……とりあえず、出血は止めました」


 モトロは張り詰めていた緊張を解いて、ふう、と一息ついてティアナを見た。そして、一呼吸おいてからツグミの着衣と寝台の汚れを綺麗に洗浄した。


「……見つけたのが早くて良かったです。このまま放置してれば危なかったでしょう」


 モトロの言葉を聞いてティアナは息を飲んだ。この場に駆け付けられた偶然に体が震える。


「じゃあ……、もし私達が歩いて山を越えてたら……」


 ティアナの声が掠れる。


「この小屋で、冷たくなったツグミさんを発見してたって事か……」


 レイモンドの呟きにティアナの眉がピクリと動く。いくらなんでも不謹慎な言い方だ。

 ゴツン、とアルスが無言でレイモンドの頭を殴り、その顔を至近距離から睨み付ける。


「……ごめんなさい……」


 流石に軽口が過ぎたと反省したレイモンドは肩を竦め、所在無さげに散らかった部屋を片付け始めた。


「あんな思い付きが……結果として良かったのよね……」


 ティアナは大きく息を吐いてツグミの手を両手で包み込んだ。ツグミの温もりと脈を感じ、ホッと胸を撫で下ろす。


「……とりあえず、意識が戻るまでは安心出来ませんし……その後もしばらくは安静です。が、……それよりも……」


 モトロはツグミの全身状態を確認しながらティアナとアルスを交互に見る。


「……何?」


「え……と、ですね……」


 少し言いにくそうに口籠り、意を決したようにティアナに向き直った。


「……お腹のお子さんの事を考えると、出来るだけちゃんと人手のある所に移動した方がいいかと思うんです……」


「……子ども……?」


 アルスがゴクリと息を飲んだ。


「え……ツグミ……妊娠してるの?」


「ええ。まだ目立ちませんが」


 モトロは治癒を掛け続ける。ティアナの目が泳ぎ、そしてツグミの顔に視線を向ける。最後に会った時より幾分やつれて見える。


「……誰の……?」


 胸が早鐘を打つ。呼吸が苦しい。彼女が思い付くのは今、この世にいないあの黒髪の青年だ。


「ティアナ……とにかく、腹の子は無事だったんだから……な……」


 アルスが頭を優しく撫でる。


「うん……」


 亡き夫の忘れ形見を抱え、同胞の元にも戻れず一人で全て抱え込んで、こんな人里離れた小屋で暮らしていたのかと思うと胸が苦しくなる。


「……辛かったんだよね……」


 ポツリと呟き、唇を噛み締める。自分はこの少女の何を理解していたのだろう。ただ、知っていたというだけで、違う歴史の中で常に恋敵だったというだけで、彼女の事を見ていなかった事に今更ながらに気がつく。


「ちゃんと話したい……。だから、早く元気になって……」


 ティアナは祈るような気持ちで両手で包み込んだツグミの手を額に当てた。


「……モトロ、しばらくは絶対安静か?」


 アルスはティアナの頭を撫でながらモトロに尋ねる。


「そうですね」


「……でも、移動させなきゃいけないんだろ?」


 矛盾しているようだが、事実そうなのだろう。まだ妊娠初期の不安定な時期なのだとすれば、しばらくして落ち着けば動く事も可能になるだろう。


「ええ。こんな人里離れた小屋では、何かあった時に対応できません。しかもお一人では……。

 意識が戻って、二、三日様子を見て、お腹の状態が悪くなければ短時間の移動には耐えられると思います。……寝た状態で運べるのが一番いいのですが……」


 モトロは厳しい顔で考え込み、レイモンドを見た。視線を感じたレイモンドは片付けの手を止める。


「俺達が乗ってる馬車じゃ無理だな。そもそも横になれないし、荷物も多い。今から協会(ギルド)に依頼しても、あの山を越えるのは無理だしな……」


 移動手段がないのでは、どうする事も出来ない。誰かがここに留まるという選択肢もない訳ではないのだが、それにしても不便な事に変わりはない。


「……コーダ村が……近いか……」


 ポツリとアルスは呟くと、ティアナの頭に手を置いたまま、レイモンドに言い放つ。


「俺がコーダ村に行って馬車を呼んでくる。怪我人用の大きなやつがあった筈だ。あそこなら人手もあるし、身重でもちゃんと面倒を見てくれるだろう」


「……え……でも、ザイールは……」


 アルスを見上げたティアナの表情が曇る。そもそもコーダ村からは何度も刺客が送り込まれている。村長であるザイールとも、最終的には和解したが、彼自身の安否も知れない。


「俺の叔母……ヨタカのお袋がいる。彼女に頼んだらいい。それに、兄貴も余所者には寛容だ。親父がいなくてもなんとかなるさ」


 いつものように白い歯を見せて笑うアルスを見上げ、ティアナは不安の色を滲ませる。


「……アルス……」


 アルスは屈み込むと、ティアナの小さな体を後ろから優しく抱き締めた。


「ティアナ、すぐ戻るから……な」


 耳元で優しく囁かれ、ティアナは小さく頷いた。


「……うん……確かに、それが一番いい方法だもんね……」


 ふぅ、と溜め息をつくと、くるりと身を返してアルスの鼻先に指を突き付ける。


「出来るだけ早く帰ってきてよ! 私とレイモンドでちゃんと食事とか作れるから心配しないでね。ツグミ……絶対助けよう!」


「……ああ……」


 アルスは離れがたいような表情を噛み締めてティアナを解放し、ゆっくりとモトロに向き直った。


「俺が馬で行って戻るまで……三日……四日……ってとこだ。なんとか助けてやってくれ」


「勿論です」


 アルスは頷いたモトロに頭を下げて立ち上がると、扉を開けて雨の闇に消えて行った。


 ◇◇◇◇◇


 翌朝、ティアナはレイモンドと並んで木剣を振っていた。

 素振りを終え、一通りの型を終えてから軽く剣を交えてティアナの鍛錬は終わりであるが、今日はあまり集中できないので、レイモンドも早々に引き上げる事にした。


 扉をそっと開け、二人は寝台に歩み寄ると、昨日より幾分楽そうな様子で眠るツグミと、その脇に腰を掛けたまま、眠ってしまったモトロがいた。

 モトロはずっと治癒を掛け続けていたので、相当疲れている筈だ。


「……モトロを運んでやろう。ティアナ、俺が寝てた寝袋を持って来てもらえるか」


「分かったわ」


 ティアナは畳んであった寝袋を出して床に広げた。昨夜のうちにレイモンドが片付けた部屋は見違えるほど綺麗になっている。


 その細い体のどこにそんな力があるのか分からないが、レイモンドは軽々とモトロを抱えてその寝袋に寝かせて包むと、手際よく釦を止めてやった。


「……俺が朝食を作るから、ティアナはツグミさんに……」


「うん」


 ティアナはモトロが座っていた椅子に腰を下ろし、毛布越しにツグミの下腹部にそっと触れた。

 治癒の魔法を唱え、自分に蓄えられている魔力を少しずつ流し込む。


「……頑張って……」


 祈りを込めて瞑目し、その顔を覗き込む。昨日より大分顔色がいい。呼吸も落ち着いている。

 今までの彼女との関わり合いを思い出しながら、目が覚めた彼女にどう接したらいいのか考えていると、なんだか食欲をそそるいい匂いがして来た。


「……ティアナ、先に食べるか?」


「……ええ、そうね」


 レイモンドは昨夜のうちに作っていたスープを温め、パンを切ってくれていた。

 早く起きてね、という気持ちを込め、ツグミの手を軽く叩いてから食卓につき、パンを食べながらふと顔を上げた。


「……ねぇ……私、どうしてツグミがヨタカと結婚したのか聞いてないわ」


「……そう言えばそうだったな……」


 レイモンドはチラチラとティアナを見ながら、少し口籠る。


「えーと、その……、ティアナは……実質は幾つくらいなんだ?」


「……え?」


「その……精神年齢というか……何というか……」


 レイモンドはティアナが繰り返している事を知っている。だが、具体的な事は殆ど聞いていないので、実際にティアナがどれだけの時間を過ごしてきたのかは見当もつかないのだろう。


「ああ……、そうね。一番長く生きて……十七……十八……だったかしら……」


「……そっか。なら、まぁ……大丈夫なのかな……」


 レイモンドの青緑の目が泳ぎ、徐々に顔が赤くなる。


「え……何? そんな言いにくい事なの?」


「いや……うん。まぁ……」


 レイモンドは溜め息をついて、ポツポツと話し始めた。




「……頭痛くなってきた……理解不能……」


「……だろ?」


 レイモンドから件の二人の話を聞けば聞くだけ、ティアナの頭は混乱する。


「だって、ツグミはフィアードが好きなんでしょ? で、ヨタカもそれを知ってて、……で、なんで……?」


「俺に聞かないでくれ……。本人達は体だけの関係だって豪語してたけどな。とにかく、俺がいる事務所の隣の部屋で、しかも兄さんの名前を叫びながら何やってんだって話だよ……」


 二人とも顔を真っ赤にし、モトロを起こさないようにコソコソと話す。

 側から見ると、歳の離れた弟にイケナイ事を吹き込んでいる悪い兄のように見える。


「それで……、冒険者達を納得させる為に結婚させた訳……?」


「仕方ないだろ? ちゃんと新居を用意して、そこで好き勝手してくれって放り出したんだ」


 ティアナは愕然とした。彼女が想像している結婚とは余りにもかけ離れた経緯だ。


「それって、形だけってこと?」


「いや、身体は伴ってるから、心が無いってことなのかな……?」


「……そんな結婚ってアリなの?」


 ティアナは眉を顰め、レイモンドは溜め息をついた。


「俺が聞きたいよ。でも……結局さ、まんざらでも無さそうだったんだ。いつも二人でいるし、二人で話してる時とかすごく楽しそうだし……、普通にお似合いに見えたんだよ」


「……何それ……?」


 そう言われてみると、記憶を失ったティアナの目には、二人は普通の仲睦まじい夫婦に見えていた。


「シエラは究極の照れ屋なんだって勝手に思い込んでたけど。確かに、それなら納得できるんだよな……」


「……そっか……」


 二人の姿を思い出すと胸が苦しくなる。ティアナは複雑な表情でツグミを見遣った。

 彼女はフィアードを自分のために諦めた、と言っていた。まだ気持ちは残っていたのかも知れない。だが、気持ちを切り替えてヨタカと一緒に生きていく決意をしたのだろう。そしてその矢先に彼を奪われ、取り乱したのだ。


「……私……ツグミに酷い事した……」


「ティアナ……」


 ヨタカの死についてはツグミ本人から聞いた。そして、蘇生が叶わなかったことも。

 レイモンドはどう言っていいか分からず、冷めたスープを飲み干す。ティアナは食器を片付ける為に席を立った。

 その椅子の音が軽く響いた時、二人の耳に小さな声が届いた。


「……ん……」


 寝台でツグミが身じろぎし、ゆっくりとその空色の目を開けた。


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