第83話 女心と仲直り
好奇心の塊のようなティアナの目線にレイモンドは仰け反りながら、溜め息をついた。
「……シエラ・ドゥ・ブール。地図を描くために呼び寄せた絵師だよ……」
「ああ! あの娘が!」
ティアナは大きく頷いた。広範囲の地図を俯瞰で作成するため、あの絵師がツグミの助力で空を飛んでいたという訳だ。
それがどうして、あんな修羅場の後のような台詞を言っていたのだろう。
レイモンドは喋り出したら、誰かに胸の内を聞いて欲しくなり、徐々に前のめりになる。
「……で、まあ……ツグミさん達の結婚も彼女が言い出した訳で……、俺としては仕事のパートナー的な感じだったつもりが……」
「勘違い……してたんだ」
ティアナの言葉にレイモンドは大きく頷いた。
「どうやら、親御さんにも近々結婚するって連絡してたらしくて。俺、そんなつもりないって言ったら泣かれて……。まぁ、それで気まずくなった所にツグミさんからのあの報告が……」
「……ああ……」
最悪のタイミングで最悪の報告が来てしまったのだ。仕事で組んでいたツグミの夫の死。そしてそれを伝えた後に彼女が消息を絶ったのも、相当辛かっただろう。
ティアナは難しい表情で黙り込み、レイモンドは大きな溜め息をついた。その時のやり取りは思い出すのも辛い。
「俺がすぐに動かなかったから、何だかブチ切れて、辞表を叩きつけていなくなったかと思ったら、結局、迎えに行った仲間の絵師と仲良く帰って来たんだ……」
「なにそれ……」
出て行くところまでは分かる。だが、なぜ別の男と戻ってきたのだろう。
レイモンドは肩を竦めて両手を挙げた。
「な? 俺にはよく分からないんだ。で、結婚するって言うから、おめでとうって言ったら……なんか悪口雑言浴びせられて、それっきり……」
力無く首を振るレイモンドに、ティアナは皮肉げに笑い掛けた。
「……お疲れ様……」
成る程、レイモンドの反応を見るつもりが祝福されてショックを受けたのか。なんだか昔の自分がやりそうな事だ。ティアナはチラリとモトロを見遣った。
色恋沙汰に疎いモトロは完全に他人事のようにふむふむと頷きながら聞いている。
「いい子だったんだけどなぁ……。何でこうなったんだろ……」
ガックリと項垂れるレイモンドを見て、ティアナは大きな溜め息をついた。
「まんざらでもなかったんでしょ?」
「……最初は……ね」
「すぐ結婚とか言われて、引いちゃったんだ……」
「……うん……」
ティアナは冷ややかな目でレイモンドを睨んだ。きっと無意識で結婚を仄めかすような事を言ったんだろう。フィアードも時々そういう言葉を平気で使っていた。
「……無意識で女をたぶらかすのは、血なのかな?」
聞こえない程度の声で呟く。女の方はその無意識の言葉に胸をときめかせ、気付けば自分でどうする事も出来ないくらい好きになってしまうのだ。これなら女好きの自覚があるアルスの方がずっといい。
なんとなく居づらくなったので、フィアード救出を名目に、ルイーザに協会を任せて各地を巡る事にしたのだろう。
「……私、彼女に同情するわ……」
その気の無い男に惚れる辛さ……。それは身に沁みてよく分かっている。何とか振り向いて貰おうと色々画策して、全て裏目に出てしまったのだろう。
「レイモンド、年頃の女の子への言動は要注意よ! 貴方は自分が思ってる以上にモテるの! 今の内にアルスに学んどきなさい!」
「……え……俺が悪いの?」
「……そういうものなんですか?」
ティアナの剣幕に男二人は豆鉄砲を食らった鳩のような顔でポカンとしていた。
◇◇◇◇◇
神族の村に行くには山を越えなければならない。
徐々に道が悪くなり、脱輪する事も多くなった。男三人で馬車を押しながら山道を進み、レイモンドは道の状態を観察している。
「……やっぱり、道は協会じゃ無理だもんな……。道を整えるには、ちゃんとした為政者が必要……か」
「こんな山道は特に管理が難しそうですね。下りなら凍らしてしまいますが……登りは危険ですしね」
モトロの意外に過激な発言にアルスは苦笑した。自分達にとって下りでも、その道を上る者もいるというのに。
「道を整える魔術は、やっぱり黑の魔人の専売特許なのか?」
アルスの疑問にモトロは頷いた。
「僕に出来るのは、ぬかるみを乾かすか凍らせるくらいですね……」
「兄さんは結局、緋と黑の村には行ってないんだろ? どうせ各地を回るんだから、俺達で場所の検討ぐらいは付けておいてもいいよな……」
「そうね! 出来るだけ沢山の村や町に寄って、情報を集めながら名付けて回りましょう」
御者台のティアナは馬車の進行方向の邪魔な下草などを魔術で刈り取りながら、手元の魔力を確認する。
ここに来るまでに三つの村に立ち寄り、それぞれ数日滞在して名付けを施した。魔力の量は村の広さ、人口、生産性などと関係しているらしい。やはりティーファがもたらした魔力は膨大だった。
「あ、もうすぐ碧の村があった所よ」
二年を過ごした懐かしい景色にティアナは少し興奮した。碧の魔族はこの地からまた何処かへ移動してしまったらしい。
少し道を下ると、突然開けた土地に出た。一冬を越したためか、かつて集落があった名残は殆どない。
それでも、かつて大小様々な天幕が張られ、碧の魔人達が空色の髪を風になびかせながらイキイキと暮らしていた様を思い出し、ティアナは大きく深呼吸した。
「この地は名付けちゃ駄目ね。いつでも彼らが帰って来れるように……」
それもまた、土地のあり方なのだろう。定住しない者達が暮らす土地に名は不要だ。むしろ名が枷となる。
それを感じたティアナの元に、爽やかな魔力が集う。「名付けない」という選択を祝福するかのように、土地の温かみがティアナを包み込んだ。
「ここからは山越えになるわ……。今晩はここに天幕を張りましょう」
ティアナはかつて自分達が使っていた天幕の場所を指し示し、アルスに笑い掛けた。アルスは少し困った顔をして目を逸らす。
「……じゃあ、俺は何か狩ってくる」
まだ日は高い。時間があるならば新鮮な肉が欲しいところだ。
「鳥には気を付けてね」
何となくアルスに避けられている気がして、ティアナは少し意地悪く言ってみたが、アルスの反応はイマイチだった。
「分かってる」
ポソリと言って、弓矢を持ってそそくさと藪の方に消えて行った。
「……何なんだろ……」
毎朝の鍛錬も機械的だ。細かい助言はすっかりレイモンド任せになってしまった。二人で旅していた時の優しさが懐かしく、ティアナはキュッと唇を噛んだ。
「……おい、天幕張れたぞ。ゆっくり休めよ」
手際よく天幕を張ったレイモンドが御者台のティアナに手を差し伸べる。
「ありがと……」
手を取ると爽やかな笑顔を向けられ、ティアナは苦笑した。成る程、これで勘違いする訳だ。
強くて聡明で、優しい……フィアードよりもタチが悪い。
「一応剣士の卵だから、お姫様扱いじゃなくて大丈夫だよ」
ティアナはベエッと舌を出し、手を振りほどいて御者台から飛び降りた。
タンッと着地して、馬の様子を見るモトロに駆け寄るティアナの後ろ姿にレイモンドは肩を竦めた。どうもシエラの一件で、すっかり悪い男と認定されてしまったらしい。
「ちぇ……」
仕方がないのでレイモンドは手頃な石でかまどを作り始める。流石、少し前まで集落として使われていただけあり、手頃な石がそこかしこに落ちている。
石を積み上げ、簡単なかまどを作ると、薪を拾う為に藪に向かった。
「馬は元気?」
「はい。ティアナ様が歩きやすくして下さったので、あまり負担は無かったようですよ」
二頭の馬は草むらに繋がれ、柔らかそうな新芽を食んでいた。
ティアナはそれを眺めながら傍に立つモトロを見上げた。
「ねえ……モトロはいつからヒバリと離れ離れになったの?」
モトロはヒバリにそっくりな顔で少し遠い目をした。
「物心がついてすぐ……三歳の頃です。……良かったですね。お母様がお元気で」
ティアナは複雑な気分で頷く。なんだかんだと言いながら、モトロはヒバリとは連絡を取っていたのだ。今の今までその生存すら知らなかった自分の母親とは違う。
ティアナは溜め息をついた。
「私は……どんな顔でお母様に会えばいいか……分からないわ……」
極端な話、もうこの世にはいないと思っていた程だ。まさか、母親の口から何かを聞く事になるなど、思いもしなかった。
「……不安ですか?」
「……分からないわ。でも、もしかしたら……お母様からお話を聞く為に、やり直していたのかも知れない」
生まれてから一ヶ月の間は、ただただ眠く、ゆっくり周りを観察する余裕はなかった。ただ、状況を変えるために自分の誕生の夢をばら撒く事に必死だった。
自分が生まれてきた意味を、母親ならば知っているのだろうか。夫の暴力に耐え、神の化身を産み落とした女ーー一体どんな女なのだろう。
「じゃあ、そろそろ夕食の仕度をしましょう」
モトロはニコリと笑ってティアナの背中を軽く押した。
◇◇◇◇◇
アルスが狩ってきた鹿を手際よく捌き、用意していた香草と煮込んでいる間、モトロは残った肉を乾燥させて干し肉を作っていた。
「……う〜ん。皓の魔人がいるだけで、こんなに旅が快適になるのか……」
モトロが合流してからというもの、水汲みの必要もなく、洗濯、湯浴み、炊事、全てにおいて水の魔術が活躍していた。更に、ちょっとした傷の治癒や疲労の回復、解毒までこなす。
湖畔の村からティーファまでは野営の必要がなかったが、こうして野営してみると、その便利さが浮き彫りになる。そしていとも容易く保存食を作ってしまうのを見て、流石のアルスも唸った。
レイモンドは地図を広げ、現在地を確認しながら、ぶつぶつと何か唱えている。
「……空を統べる精霊よ……」
夕方にも関わらず、レイモンドの前に一羽の小鳥が舞い降り、その伝言を運ぶ。協会との定時連絡だ。彼は風と水の魔法をかなり習得しているらしい。
ティアナは夕食作りを手伝おうとアルスの隣に立った。ピクリ、とアルスが反応し、何か言いかけたのを遮る。
「どうして避けるの?」
「……いや……避けてる訳じゃ……ない」
少し困ったような表情で、何故か頰が赤くなっている。
「どうしたのよ?」
サブリナと話してからずっとこの調子だ。目も合わせてくれない。
ティアナはムッとしてアルスに飛びつき、その太い首にぶら下がった。
「イテテ……! やめろよ!」
突然のティアナの攻撃に慌てたアルスはその小さな身体を捕まえて、ふわりと抱き上げた。その柔らかい温かさにほっこりと心が和む。
「いや……、まあ。ちょっと気になる事があったからな……」
ティアナを片手で抱き上げながら、もう一方の手で自分の頭を掻く。
「珍しいのね。……細かい事を気にしないのがアルスのいい所じゃないの?」
ティアナの小さな手がギニィッとアルスの頰をつねり、もう一方をペシペシと叩く。
「……いってえな……」
「なんでも豪快に笑い飛ばすアルスが好きなんだけどな……私」
悪戯っぽく笑いながら、アルスの鼻をつつくティアナをそっと下ろし、アルスは苦笑した。
「……はは……そうだな。らしくないな……」
「そうよ。悩むのなんかアルスらしくないよ」
得意げに胸を逸らすティアナを見て、アルスは吹っ切れたように白い歯を見せて笑った。
「だな。……悪かった。よし、仲直りの印に、今日は俺の膝で飯を食え!」
「えっ! それはイヤ……!」
ティアナは心底不愉快そうに顔を顰めた。




