第82話 思惑の交差
サブリナの言葉に二人は目を見開いた。しかし、襲撃からもう六年余りの月日が経過している。いくら男手が無かったとは言っても、当時少年だったレイモンドがこれだけの頭角を現しているのだ。復興していてもおかしくはない。
「……復興……したの?」
ティアナの脳裏にあの焼け跡が広がる。あの時のやるせなさを思い出し、ゴクリと息を飲んだ。
「ええ。あの襲撃の翌年から、近くに避難していた村人達が少しずつ復興していたようです。昨年、商会を通じて遠方に避難していた村人達に復興の連絡頼まれたので、きっとかなりの村人が戻っている筈ですよ」
サブリナの笑顔が涙で滲む。やり直しを繰り返し、最終的に村の襲撃という今回の出来事を招いた事をずっと思い悩んでいた。
だが、父親から逃れる事に手一杯で、復興まで気が回らなかったのも事実。知らぬ間に復興を遂げていたという事は嬉しい誤算だ。
「お母上は真っ先に村に戻って、復興の旗印となっていたようですよ。早く貴女様の元気な姿を見せてあげて下さい」
「……お母様が……?」
まさか、あのような別れ方をした病弱な母親がそのような形で逞しく暮らしているとは思いもしなかった。
驚きを隠せないティアナの頭を優しく撫でる。
「ええ。そして、これまでの経緯をお話ししてあげて下さい」
「あ……でも……、お父様は……」
ティアナは口籠った。これまでの経緯の中で、ダルセルノとはハッキリと対立していた。
アルスは頭をガリガリと掻きながら重い口を開いた。
「申し上げにくいんですが、その……ダルセルノは俺が……」
いくら憎い相手だったとは言え、ダルセルノはフィーネの連れ合いである。アルスが最初にダルセルノを手に掛けた事は揺るぎない事実だ。それを下手人から直に聞いてどう思うだろうか。
ダルセルノの名が出た途端に重苦しい雰囲気になった。サブリナはすうっと大きく息を吸い込み、ゆっくりと噛み砕くように言った。
「……フィーネは……ダルセルノから暴力を受けていたんですよ……」
サブリナの言葉に二人の表情が凍りついた。
「……そう……だったの……!」
ティアナは大きく目を見開き、サブリナを見つめ返す。これまで彼女が知っていた歴史の上で、フィーネは酷く短命だった。産後間もなく、体調を崩して世を去っていたのだ。初めから短命の運命なのだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
襲撃によりダルセルノと離れる事で今でも元気に暮らしているという事は、彼女の運命が襲撃によってよい方に向かった証拠である。
ダルセルノの暴力については身に覚えがある。考えられない事ではなかった。
「ティアナ様……、貴女はフィーネから色々な事を聞かなければなりません。きっと、これからの道標になる筈です。それからアルスさんも、ここまでティアナ様を導かれて来た者として、その経緯をフィーネに伝えて下さい」
サブリナの言葉はズッシリと重みをもってティアナの心に染み込んだ。アルスはゴクリと息を飲み、意味深に光るサブリナのハシバミ色の目を見つめていた。
◇◇◇◇◇
「それでは、リュージィ様は我々が責任を持って湖畔の村までお届けします!」
筋骨隆々のむさ苦しい男四人が敬礼する。皆、冒険者として名の通った者達だ。
「……私は一人でも構わんのだが……」
そのむさ苦しさに顔を顰め、リュージィは溜め息をつく。
「いや、絶対にダメだ。お前は自分の価値を分かってない。お前に何かあったら、俺がヒバリに恨まれる」
アルスは言い捨てると、リュージィの護衛に雇われた連中を値踏みするように一人ずつ見回った。剣術、武術、弓の名手、探検家、それぞれの分野で活躍する者ばかりだ。
「……成る程。いい組み合わせだ。これなら大丈夫だ」
アルスはルイーザの初仕事に大きく頷いた。彼女は当然、と言った風な顔で頷く。
「探検家の彼は、フィアード兄さんが考案した風と水の魔法も習得済みです」
「……完璧だな」
アルスはその手際の良さに舌を巻いた。
「だが、これだけの面子を一気に動かして大丈夫なのか?」
「往路はリュージィさんの護衛、復路は湖畔の村からの荷馬車の警護です。ティーファの冒険者はまだまだ大勢登録がありますし、ご心配には及びません」
ニコリと笑うルイーザは以前のレイモンドを彷彿とさせる。
「……本当、お前ら兄弟は変なところで似てるんだな……」
アルスは苦笑してリュージィの荷物を護衛の剣士に渡した。中には薬品なども入っていてかなりの重さだ。
「薬品も入ってる。気を付けろよ」
「承知した。奥方に伝言は?」
「……あ〜っと……何でお前に言わないといけないんだ!」
何か言いかけ、アルスは赤くなる。
「大丈夫だ。私がちゃんと手紙を預かっておる。分厚〜い恋文をな……」
リュージィの言葉に男達はニヤニヤと笑いながらアルスを見る。彼等は皆、あの結婚式に参列していたのだ。
「いやぁ……あの誓いの口付けは……凄かったもんなぁ……」
「ヨタカさんが止めなけりゃ、どこまでやってたか……くぷぷ……」
「あれ見て、俺の恋愛観変わりましたからね……」
「あ〜、俺もあやかりたいなぁ」
「じゃあリュージィ、気を付けてな!」
男達の言葉に流石のアルスもティアナの手を引いて逃げ出した。
「はいはい、馬車がお待ちかねです。早く乗ってください!」
ルイーザが男達を強引に馬車に詰め込み、リュージィは渋々そのむさ苦しい馬車に乗り込んだ。
「リュージィさん、勉強会とレイチェルの診察、ありがとうございました。レイチェルは貴女のような醫師になりたいと言っています」
「そうか」
ルイーザの言葉にリュージィは少し複雑な表情で頷く。彼女の病は根治していない。
「いずれ……弟子入りさせてやってください。お願いしますね……」
妹の以前の状態を知るルイーザにとって、彼女が将来を夢見ている事自体が喜ばしいものなのだ。
「……うむ。では弟子を取る為の準備もしておかねばならんな。忙しくなる……」
リュージィはニタリと笑った。
◇◇◇◇◇
アルスはティアナを伴い、リュージィ達が乗った馬車とは反対方面への乗合馬車の乗り場に向かっていた。
レイモンドとモトロは様々な買い出しを済ませ、先に乗り場に行っている筈である。
「ねえ……なんか、昨日から元気ないよね?」
ティアナは隣の赤毛の青年を見上げた。サブリナと話してから、なんとなく全てが上の空で、笑っていても空元気という感じだ。
「……そうか?」
「そうだよ」
二人が人通りの少ない路地に入った途端、アルスが躊躇いがちに口を開いた。
「あのな……お前の母親って……」
「……?」
「どんな人だ?」
「どんな人……って言われても、殆ど一緒に居たことないし……」
以前は物心がつく前に死んでしまった。今回は生まれてから一ヶ月ほど世話をして貰っただけだ。語って聞かせる程、彼女の事を理解できる訳もない。
「いや……ほら外見だ。あの女戦士のお姉さん……だっけ? 似てたりするのか?」
アルスの要領を得ない言い方に、ティアナが首を傾げる。どうしたと言うのだろう。
「サーシャのこと? ……ああ、そうだね。かなり似てるかな。サーシャより少し影が薄いというか、儚げな感じだったけど……」
アルスの顔色が徐々に悪くなってくる。
「髪の色は?」
「栗色だよ」
「目は?」
「……若草色……」
ティアナが答えた途端、遂にアルスの表情が凍りついた。
「……アルス?」
反対側から来た数人の通行人に気付き、ティアナは慌ててその巨体を引き寄せる。
「ちょっと……父さん!」
「……! あ……ああ……悪い」
一瞬ギクリと身体を強張らせ、ティアナを凝視したが、すぐに通行人に気付いて身体を狭い路地の端に寄せる。
「あ、すみません」
通行人のうちの何人かは軽く会釈して通り過ぎていった。冒険者協会との関係者かも知れない。
「……どうしたの?」
「いや……何でもない……」
明らかに様子がおかしいが、かつて自分が襲撃した村に出向く気持ちというのは、相当心に負担が掛かるのだろう、と結論付ける。
「……サブリナはああ言ってたけど、無理に行かなくてもいいから。レイモンドとモトロがいるから大丈夫だよ」
本当はアルスとは離れ難い。だが、彼にも家庭があり、終わりの見えない旅に同行させる訳にはいかないのだ。
「……いや……行く。大丈夫だ」
アルスは今まで見た事がないくらい緊張した面持ちで、ジッと前を見つめて呟いた。
「……アルス……」
これは彼なりのケジメなのだろう。ティアナはそれ以上何も言わず、ただ黙々と歩き続けた。
流石この町の影の支配者と言うべきか、レイモンドが手配した馬車は立派なものだった。かと言って大きい訳ではない。軽くて丈夫な素材で出来ている箱馬車だ。
中は広々としているが、レイモンドの荷物が多すぎて四人全員で座るには少し窮屈かも知れない。それならばもう少し質素でも大きい馬車にすればいいのに、と言うと、御者はレイモンドとアルスが担当するので大丈夫らしい。
「え……この馬車って……」
「ああ。協会の持ち物だ」
しれっと言われ、ティアナの顔が引き攣った。
「依頼人を安全に目的地に届けるのも、仕事のうちだからな。今回の依頼人はフィードだろ? 期間は無制限。で、俺の仕事も兼ねる。なら協会の馬車を使っても問題はない」
道中で怪しまれるからと口調を改めるように言うと、即座に反応できる器用さが小憎らしい。一方、モトロはなかなか口調を変えられない。
「……私達の前では猫かぶってたんだ……」
「……別にそういうつもりはないけど……言葉遣いは気を遣ってたから……」
レイモンドは苦笑する。ティアナに対する態度もこれだけ変われば呆れられても当然だ。大家族の中で、次兄として大人相手と子供相手で態度を使い分けてきた彼にとっては、むしろそれが自然なのであるが、兄弟のいないティアナにそれが分かるはずもない。
「……よっ……と」
買ってきた食料を座席に放り込み、衣類の袋を持って荷台の扉を開けた。
車輪の横の荷台にもギッシリと荷物が詰まっている。今までの荷物の三倍ほどになるだろう。
レイモンドは衣類の袋をその隙間に押し込み、全体のバランスを確認する。
「……協会関係の荷物……? 多いね」
「ああ。学校も作りたいからな」
「学校?」
「文字を読めない子供達に文字を教える。そうすれば、新しい人材を発掘できるって事だ」
レイモンドの答えにティアナは息を飲んだ。神族の村では村人は皆、当然のように読み書きが出来た。彼女は女帝として君臨しながらも、それが当たり前の事と思っていたのだ。
だが今回、色々な地域を見て回り、読み書きの出来ない大人の多さを初めて知ったのである。だからと言って、その解決策について思い至ることは無かった。
「……凄いね……レイモンド……」
自分よりもよほど王になる器を兼ね備えている人材を前に、ティアナは羨望の眼差しを向けた。
レイモンドは照れ臭そうに荷物の点検を終え、荷台の扉を閉めた。
「……レイモンド……!」
そろそろ出発かと馬車に乗り込もうとした時、レイモンドの名を呼びながら一人の少女が駆けてきた。
レイモンドはその人影を認め、苦い顔になる。
暗褐色の髪を乱しながら馬車に駆け寄った小柄な少女は、ハアハアと肩で息をしながらその緑色の目でレイモンドを見上げた。
「……この間は……酷い事言ってごめんなさい。私が勝手に思い込んでただけなのに当り散らしたりして……。ちゃんと謝らないといけないと思ったから……」
「もういいよ。気にしてないって言えば嘘になるけど……」
「本当にごめんなさい」
「うん……。じゃあ、お幸せに……」
二人にしか分からない会話にティアナは首を傾げた。レイモンドは自己完結した少女を放置してそそくさと馬車に乗り込み、ティアナを手招きした。
「……え……と、いいの?」
「いいんだよ!」
バタン、と乱暴に扉を閉めて閂を掛ける。
少女は一瞬何かを言いかけたが、ペコリと頭を下げ、しばらくキョロキョロと周りを見渡して、結局元来た道を走って行った。見送りをするか悩んだのであろう。
窓から隠れるように不貞腐れて座り込むレイモンドは歳相応に見えて、ティアナはニヤリとする。
「後で……ゆっくり聞かせて貰うわよ……」
「僕も興味ありますね」
静かに座席の荷物を整理していたモトロがクスリと笑うと、レイモンドは大きな溜め息をついた。
「じゃあ……出発するぞ」
こういう話にはいの一番に乗ってくるはずのアルスは御者台だ。絡んでこない所を見ると、やはり少し調子が悪いようだ。
「天気も悪くないし、今日中に行ける所まで行くぞ」
アルスの声が聞こえて、馬車が走り出した。
流石に全く揺れない訳ではないが、今までの馬車に比べると格段に乗り心地が良い。ティアナはこれからの旅が快適になりそうな予感に顔をほころばせた。
そして速度が安定した頃を見計らい、漆黒の目をキラキラさせながらレイモンドに詰め寄った。
「ねぇ、さっきの娘……誰?」




