第81話 継承と言伝
朝靄の中、町の外れで二人の男が対峙していた。一人は大柄な赤毛の青年。もう一人は茶色い髪のまだ少年と呼べるくらいの人物である。
とくに前触れなく青年が地を蹴り、手にしていた木剣を一閃した。
木剣は少年の胴を正確に捉えているかと思われたが、何故か直前に軌道を変え、髪一筋の差で躱された。
「チッ!」
青年が舌打ちして返す剣でそのまま足元を払おうとするが、それもまた掠らない。
少年はお返しとばかりに木剣を振り下ろすが、簡単に弾き返される。
「うわっと……」
体勢を崩した少年を狙った青年の一撃はまたもや軌道を変えて空を切った。
青年の懐に飛び込んだ少年が木剣の切っ先を青年に突き付けた。
「……まだやります?」
少年のうんざりした言葉に、赤毛の青年は顔を顰めた。
「……やりにくいな……お前……」
「それって褒め言葉ですか?」
「柳相手に戦ってるみたいで、楽しくねぇんだよ」
青年は二人を見守っていた隻眼の少年を振り返った。
「おい、技はレイモンドに習え。俺よりお前に合ってる」
「……はい……」
先ほどまで眼前で繰り広げられていた高度な模擬戦に釘付けになっていたティアナはアルスの提案に素直に頷いた。
アルスの剣が剛とするとレイモンドは柔。大きな体躯を活かした広範囲への先制攻撃が可能なアルスに対し、レイモンドは防御重視の受け流す為の剣。
アルスの攻撃は尽く受け流され、結局一本も入らなかった。
一方、レイモンドの攻撃はアルスの馬鹿力に弾き返され、決定力に欠けるのだ。
「……あ〜、やっぱりアルスさんは強いや。俺、もっと筋力つけないとな……」
「最後のはやられてたぞ」
アルスは白い歯を見せて苦笑いした。
「いえいえ、ご謙遜を。わざわざガラ空きの懐を用意して貰っただけですしね……」
レイモンドは肩を回しながら、結局一本も入れられなかった事を反省しているようだ。
アルスは今まで全くこの少年の実力に気付かなかった事に少なからず衝撃を受けていた。
これは相当の使い手だ。サーシャが未来見を使っていい勝負だと言っていたが、それから六年。しっかりと鍛錬を積み重ねて来たのが伺える。
「お前さ……こんなに戦えるなら、あんな事務職さっさと誰かに任せちまえば良かったんじゃないのか?」
「……それは……」
レイモンドは目を泳がせる。別に隠す必要も無かったが、何となく言いそびれてそのままズルズルと来てしまったのだ。
「要するに……フィアードに気を使ってたんでしょ」
ティアナの言葉にレイモンドは苦笑した。
「まあ……フィアードは剣はからきしだったからなぁ……」
アルスはボリボリと頭を掻いた。集中して鍛錬すればそれなりには使えるようになるが、気が抜けるとすぐに腕が鈍るのは、あまり勘がいい訳ではないということだ。
ティアナが二人の間に割って入り、背中に背負っていた剣を外してレイモンドに渡した。
「……これは?」
「貴方達の屋敷の地下にあった剣よ。鞘はフィアードが持ったままだから、新しく作ったの」
「ああ……あの剣ですか……」
レイモンドにも覚えがあるらしい。
「持ってみて」
予感だった。
彼らの父がこの魔剣を入手してからは、暫く二本の剣を携えていたと言う。だが、フィアードの知る父は、成人の儀式に使うと言ってこの剣をただ祀っていた。
ガーシュは恐らく、魔剣の本当の持ち主が誰なのか気付いていたのだ。そしてそれはフィアードではなかった。
「……はい……」
レイモンドはティアナの有無を言わせない迫力に息を飲み、その剣を受け取った。
「……軽い……」
持った瞬間、重さを感じなくなり、しっくりと肌に馴染む感触にレイモンドは目を見張った。
「この剣は意思を持つ魔剣なんですって……。自分で持ち主を選ぶって……」
「えっ? 兄さんの剣ですよね?」
「最初、フィアードは抜けなかったわ。でも、私が『フィアードの剣でしょ』って言ったら、急に抜けたの……」
「……それは……剣が気の毒だったな……」
その話は初耳だ。アルスはずっと不思議だったのだ。剣が選んだ使い手にしてはフィアードはお粗末だった。成る程、そういうカラクリがあったのか。納得してレイモンドを見守ることにした。
「えっと……じゃあ、失礼します……」
よく分からないが、とりあえずこの剣を抜けばいいらしい、と判断したレイモンドは柄と鞘に手を掛け、一気に引き抜いた。
シャランと爽やかな音が響き、冴え冴えと輝く白刃がその姿を現した。
「……うわ……凄い……!」
ティアナは目を見張った。輝きが違う。今までは普通の剣とあまり変わらなかったが、この輝きを見れば、この剣が魔剣だと言われて納得できる。
「……へぇ……」
レイモンドはそれまで使っていた汎用の剣との違いに舌を巻き、その輝く白刃を見た。
丁度、愛剣に出会ったばかりのアルスがそうしていたように、鍔元から剣先まで舐めるように見て、ほうっと溜め息をつく。
「これを……使ってもいいんですか?」
いくらフィアードが不在とはいえ、一応フィアードの剣としてここまでやって来たのだ。そう簡単に譲り受ける訳にはいかないだろう。
「貴方が本来の持ち主だったってことでしょ? フィアードも文句を言わないと思うわ」
「……フィアードを救出できたら、その時話し合って決めろ。それが一番揉めない筈だ」
アルスはニヤリと笑い、レイモンドの頭を軽く叩いた。
「分かりました。じゃあ、しばらくは預かり物として使わせてもらいます」
レイモンドは苦笑して剣を鞘に収め、腰に下げた。
◇◇◇◇◇
ティアナ達は事務所の奥に宿泊していたが、朝食はフィアードの家族と共に摂る事になっていた。
ティアナとアルスはレイモンドと共に二階建ての立派な店構えのパン屋に向かった。
朝食用のパンが次々と焼き上がり、食欲をそそる香りが店中に充満している。
「あ、レイ兄、お帰り。もう少しで手が空くから、二階に行ってて」
店の奥から顔を出した少年を見て、ティアナは息を飲んだ。
「……え? フィアード?」
髪の色こそ違うが、数年前のフィアードに瓜二つの少年が前掛けをして焼き上がったパンを運んでいた。
「……ああ、セルジュは一番兄さんに似てますからね。二人は母親似、俺とルイーザは父親似です。レイチェルはちょうど両親を足して二で割った感じですね」
レイモンドは笑いながら店の脇の扉を開け、二階に続く階段を上っていった。
「遅いぞ、アルス」
「おはようございます」
階段の上には一足先に来ていたリュージィとモトロが所在無さげに佇んでいた。
「あれ? 入らないんですか?」
「いや……なんだか忙しそうなのに、ゆっくり寛いでいるのもどうかと思ってな……」
「お客さんなんですから、遠慮しないでください。昨日の勉強会は素晴らしかったそうですね!」
営業モードのレイモンドがリュージィを宥めて二階の食卓に座らせると、モトロもようやく隅の席に腰を下ろした。
「パン屋、大盛況だな」
アルスの言葉にレイモンドは肩を竦めた。
「そうですね。この春から移転したんですが、まさかこんなに繁盛するとは……。従業員も雇ってるので、母も大変そうです」
レイモンドは笑いながら家族用に用意されているパンを切り分け、それぞれの席に配った。
レイチェルが暖炉で温めていたスープを運んで来て、食卓の真ん中に置いた。
「お久しぶりです、アルスさん。あとは……えーと……」
「こんな姿だけど、ティアナよ」
ティアナは眼帯を外してレイチェルに笑い掛けた。
「まあ! 凄い。小さなアルスさんかと思ったわ!」
レイチェルはクスクスと笑う。体調は良さそうだ。ティアナは少し恥ずかしそうにはにかむと、レイチェルの顔色を伺った。
「体調はどう?」
「ええ。お陰さまで。元気よ」
屈託無く笑うレイチェルにティアナはホッと胸を撫で下ろした。
この少しの間に病状に変化があったらどうしよう、と気が気ではなかった。
アルスは初対面になる二人を紹介した。
「こいつがリュージィ。醫師だ。後で診察を受けたらいい。それからモトロ。こいつに治癒を受けたら少しは楽になるだろう」
「はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」
レイチェルは二人に会釈して木匙を全ての席に並べた。深皿を運んで来たルイーザがスープをよそって並べる。
「おはよう」
朝の仕事を終え、やや疲れ気味の少年が階段を上って部屋に来た。
「お疲れ、セルジュ。母さんは?」
レイモンドに聞かれ、セルジュは階段の下を見た。
「大丈夫だよ。みんな来てくれたから、もうすぐ上がってくる」
どうやら今日のために従業員に早めに出てきてもらったようだ。
レイモンドとは生活時間が違いすぎ、朝食位しかゆっくり家族が顔をあわせる事が出来ないらしい。
「お待たせしました。お久しぶりです、アルスさん」
フィアードによく似た妙齢の女性が追加のパンを手に階段を上がってきた。
リュージィとモトロが立ち上がって挨拶すると、女性はニコリと笑った。
「フィアードとこの子達の母、サブリナです。今日はレイチェルの為に来てくださったとか……。ありがとうございます」
サブリナは全員が席に着いたのを確認し、レイモンドを見た。
「さ、冷めないうちにどうぞ」
レイモンドは少し照れくさそうに家長の代理として声をかけた。
久しぶりに食べるサブリナのパンは絶品で、ティアナは無言で食べ続け、気がつけば追加分も平らげていた。
「ティアナ様ったら……食べっぷりまでアルスさんみたいだったわよ!」
食事の片付けをしながらルイーザがクスクスと笑い、ティアナは赤面した。
「……ティアナ様、この後は神族の村に向かわれると聞きましたが」
レイチェルは隣室でリュージィとモトロに診察を受けている。
ルイーザが食器を片付け、セルジュが店に、レイモンドが事務所に向かった後、サブリナはそっとティアナとアルスに話し掛けた。
「ええ。何か手掛かりが残っているかと思って……」
ティアナの言葉にサブリナは頷き、隣のアルスに向き直った。
「それと……アルスさんは私達の村に来られた事はありますか?」
「あ……いや……実は……」
非常に言いにくい事だが、嘘をつく訳にもいかず、アルスは俯いてボソリと言った。
「……襲撃に……加わっていました……」
「えっ……!」
「知らぬ事とは言え……皆さんの村を襲う手助けをしてしまったのは事実です。お詫びのしようもありません……レイモンドにティアナの護衛を任せて、俺は村に向かうのはやめようと思っています……」
流石に自分で襲撃した村に行くのは心苦しい。
気まずい空気が流れ、サブリナは溜め息をついた。
「……すみません、余計な事を伺いました」
「いえ、もっと前に言っておくべきでした」
アルスはようやく胸のつかえが取れた気がした。しかし、サブリナはそれ以外にも聞きたい事があるようだった。
「それでは……その前……、例えば雪の季節にお近くまで来られた事は?」
いきなりの無関係と思える質問に、アルスはしばらく考え込み、腕を組みながら首を傾げた。
「そうですね……そんな事もあったかも知れません。それが何か……」
その言葉を聞いて、サブリナはそのハシバミ色の目を輝かせた。
「……アルスさん、貴方も一緒に村に行って下さい。ティアナ様のお母上……フィーネに言伝をお願いします」
「えっ……お母様……?」
ティアナは驚いて顔を上げた。
「ええ、ティアナ様。村はもう元通りですよ。お母上もお元気です」
サブリナは優しく微笑んでティアナの頭を撫でた。




