第80話 能ある鷹
辻馬車は二日間掛けて町に到着した。まだ少し雪が残っている所があり、予定より時間が掛かってしまったのだ。
途中宿はなく、久しぶりに天幕を張り、馬車の中と天幕の二手に分かれて休息を取った。
ティアナがこの町に来たのはアルス達の結婚式以来だ。当時は記憶も無く、ツグミに失恋したフィアードを妹として慰めていたことを思い出し、胸がチクンと痛んだ。
町の入り口を入ると、いきなり露店が立ち並ぶ通りが延々と続いていた。その規模は以前の比ではない。
様々な地域の服装の人間が入り乱れ、露店を覗いたり買い物をしている様は活気に溢れ、圧倒される。
「すご……! こんなに栄えてるんだ……」
フィアードはよく転移して家族に会いに来ていたようだが、ティアナはあまり来なかった。
あまりの発展ぶりに舌を巻きながら事務所に向かう。
「……これが町……ですか……人が多くて物凄く賑やかなんですね……」
モトロは素直に感想を述べつつ、その露店の品物をチラチラと見比べていた。果物や野菜といった食料品から土産物まで、個性的な商品がそれぞれの露店で売られている。
呼び込みの声を聞き流しながら辺りを見回して歩いていると、ビラを配っている子供がいた。
ビラは炭で殴り書きされた何かの古紙で、子供の遊びである事は一目で分かる。
子供はティアナを見つけると嬉しそうに駆け寄って来て、グチャグチャと黒く塗り潰された紙を手渡した。
「ティーファのまちでは、ぼうけんしゃをぼしゅうしています! はい、どうぞ!」
「あ……ありがとう……」
同じ歳くらいの子供からビラを受け取ったティアナは遊びの内容もさることながら、その子供の言葉に耳を疑った。
子供はビラを渡せて満足したらしく、次の標的を探してフラフラと歩いて行った。
「……ティーファの町……?」
「……てか、それって商会の名前だろ?」
ティーファ商会の創始者の内の二人、ティアナとアルスはお互いに顔を見合わせて首を傾げる事になった。
◇◇◇◇◇
「……ア……アルスさん……!」
事務所を訪れると、レイモンドが目を見開いてゆらりと立ち上がった。どうやら彼を驚かせる為に、事務員はワザと伝えなかったようだ。
「……おう……久しぶりだな……」
アルスは少し気まずそうに頭を掻く。彼には色々と報告しなければならない。自分の口からは言いにくい事も多く、彼がどこまで知っているかも気になるところだ。
「……どこまで聞いてる?」
とりあえず、リュージィとモトロの二人は扉付近に待たせ、ティアナと二人で執務机の前に立った。レイモンドは少し考え込んでから瞑目して俯いた。
「ちょっと……待って下さい。事務所を閉めてから、改めてゆっくりお話ししましょう」
「……そうだな。……仕事中に悪かった」
それもそうだ。商会の営業時間にする話ではない。もう少し時間をずらせば良かったとアルスは苦笑した。
「すみません」
レイモンドはペコリと頭を下げ、仕事に戻ろうと書類を手に取った。
「あ、一つだけいいか?」
アルスはふと思い出し、少し遠慮がちに口を開く。
「……はい」
レイモンドは書類を戻して顔を上げ、アルスに向き直った。その面持ちは少し緊張している。彼の経験上、こういう切り出され方が実は一番厄介なのだ。
「この町は『ティーファの町』って言われてるのか?」
もしも通称が定着しているのなら、あれこれと思い悩まなくて済む。アルスはチラリとティアナを見た。ティアナはゴクリと息を飲む。
レイモンドはなんだそんなことか、と拍子抜けしたように頷いた。
「そうですね。いつの間にか、それが定着してしまいました。地図にそう記載すべきかは、商会の名前を変えてからと思いまして……僕の一存では決められませんし……」
なんと言っても、商会の創始者である兄は行方不明になってしまったのだ。勝手に名前を変えるわけにはいかないだろう。
それを聞いてティアナは目を輝かせた。考える手間が省けた喜びに、つい口走ってしまった。
「じゃあ……この町は『ティーファの町』で、商会の名前は……そうね……、冒険者協会……ってのはどう?」
ティアナの言葉に合わせ、地面がジインと細かく震え、大地に蓄えられた力が魔力となってティアナに宿る。
「……えっ……?」
レイモンドはその圧倒的な力の奔流に呆然として隻眼の少年を見つめた。何者だ、この少年は。そして、この現象はなんだ。
彼の頭を疑問符が駆け巡る。
「……おい、今やることじゃないんじゃないか? 説明も無く……」
アルスに苦い顔で言われ、ティアナはハッとした。自分が今、どのような姿なのかすっかり忘れていたのだ。案の定、レイモンドはその青緑の目を大きく見開き、穴が開くようにティアナを見つめている。
「すみません、この子は……? アルスさんのお子さんはまだ確か……赤ん坊ですよね……? それに今のは何ですか?」
アルスは顔を顰め、ポンポンとティアナの頭を叩いた。
「……ごめん」
ティアナは舌を出して肩を竦めた。功を焦るあまり、考えなしな行動だった。
「あ〜、こいつはティアナだ。訳あってこういう姿になってるんだ……」
「はぁっ?」
レイモンドは更に目を見開き、赤毛で隻眼の少年を見つめる。
「……ごめん、先に名乗らないといけなかったわね……」
ティアナは慌てて眼帯を外し、白銀の左目を晒した。レイモンドはそれを見てゴクリと息を飲む。
確か、記憶は取り戻したが神の力を失ったと聞いた。目くらましを掛けられないから髪を染め、眼帯をしていたのか、と納得はできるが、驚くべきはそれだけではない。
「さっきのは、この土地を『ティーファ』って名付けたことによる現象よ。土地の力が安定して、そのおこぼれを名付け親が引き受けるの」
「はぁ……そうですか……」
レイモンドはポカンとしたまま頷き、アルスとティアナを見比べる。どうやら名付けよりも不思議な現象が気になるらしい。
「すみません……余りにも自然に親子に見えてしまって……」
ティアナはその様子に苦笑した。
「髪を染めてるからよ。それに、アルスに剣を習ってるから、知らず知らずの内に姿勢とか似てきたんじゃないかな?」
「……いや……多分……それだけじゃないと思うけど……」
何がどうと言う事ではなく、二人の身を包む雰囲気がそっくりだ。だが、それとこれは話が別だ。今はその議論は関係ない。レイモンドは頭を振って自分が抱いた疑問を払い落とした。
「雑談は終わったか? ……私は薬師の勉強会の件も相談しなければならないのだが……」
冷ややかな声が響き、アルスとティアナは肩を竦めた。そうだ。リュージィは仕事の件で事務所を訪れたのであった。
レイモンドは途端に表情を切り替えてリュージィに向き直った。ガサガサと資料を取り出し、それを確認して顔を上げる。
「貴女がリュージィさんでしたか。お話は伺っています。早速薬師を集めましょう」
「すみません、僕もフィアード様からの言付けがありまして……」
モトロが荷物を手にレイモンドの前に進み出た。二人で何かコソコソと話し、レイモンドは大きく頷いた。
「あ〜、ではアルスさん、ティアナ様、応接室ででもお待ち下さい」
「……おう……後でな……」
二人はレイモンドの変わり身の早さに肩を竦め、事務所の奥の応接室で待たせてもらう事になった。
◇◇◇◇◇
「お待たせしました」
レイモンドが応接室の扉を開けたのは、事務所を閉めてから一時間ほど経った頃だった。
モトロが持参した通信機を設置して試運転を行っていたからだ。
モトロは執務室で引き続き調整を行っている。
リュージィは事務所の会議室で早速勉強会を行っているので、今夜はそのまま薬師達と宴会になりそうだ。
特にする事がなく、応接室の長椅子で眠っていたアルスは伸びをしながら身を起こした。ティアナはまだアルスの膝枕で眠っている。
「こいつ、起こした方がいいよな……」
ティアナの頭を撫でながら肩を竦めた。記憶がなかった頃とは違い、今や、全ての決定権はティアナにある。
「いえ、もう少し寝かせて差し上げて下さい。とりあえず、僕がツグミさんから何を聞いたのかお話しします」
レイモンドは向かいの肘掛け椅子に座ると、ツグミから聞いた内容をアルスに告げた。特に補足することは無かったので、アルスはその後、湖畔の村を経て此処に至るまでの話を聞かせる。
「……成る程。つまり、ティアナ様は名付けによって魔力を得て、時空の狭間に封じられた兄さんを助けると……」
「……そのつもりらしい」
レイモンドが腕を組んで考え事を始めると、扉を叩く音がして、レイモンドによく似た少女が入って来た。妹のルイーザだ。
「……こんばんはアルスさん」
「おう。久しぶりだな」
アルスはすっかり女らしくなったルイーザに白い歯を見せて笑い掛けた。ルイーザも少し嬉しそうにはにかんだ。
「ルイーザ、お前も座れ」
兄に急かされて小さな溜め息をついたルイーザは長椅子の端に座った。
レイモンドはアルスに向き直り、真剣な顔で言った。
「……アルスさん、俺……ティアナ様と一緒に各地を回ってもいいですか?」
「え……?」
アルスは目を見開いた。
「いや、俺はここでティアナの護衛になりそうな腕の立つ奴を紹介して貰うつもりで……」
「俺は、商会……あ、冒険者協会を各地に広げたいんです」
先ほど新しい名称をティアナが提案したばかりだ。冒険者の紹介が主な業務内容なので、確かに「商会」よりしっくりくる。
「……じゃあ、ここの仕事は?」
レイモンド抜きでもちゃんと回るのだろうか。自分が担当した事もあるだけに、それがそう簡単ではない事が分かる。
「……ルイーザに既に引き継ぎ済みなんです。だからこの場に呼びました。他にも優秀な事務員は大勢います。……近々、俺は商会の拡張に向けて各地を回るつもりだったので……」
「レイモンド兄さんは、フィアード兄さん救出の手掛かりを探そうと思ってたんです」
ルイーザが身を乗り出してアルスの顔を覗き込んだ。懐かしいハシバミ色の眼差しにアルスは身体を仰け反らせる。
「こら、余計な事言わなくていい!」
レイモンドはバツが悪そうに妹を嗜めた。アルスは事情を理解して大きく頷いた。
「……そうか。なら丁度良かったのか。後は……護衛だな……」
レイモンドが同行するとなると、守る対象が増えてしまう……アルスは腕を組んで考え込んだ。
「……え?」
レイモンドとルイーザが一瞬戸惑った顔をしたが、アルスはそれに気付かない。
「いや……ティアナはまだまだ戦えるとは言えないし、モトロも実戦経験に乏しい。
俺がずっと一緒にいてやれればいいんだが……」
「それはダメ! アルスはちゃんとヒバリとラキスの所に帰るの!」
いつから起きていたのか、ティアナが口を挟み、ムクリと起き上がった。
アルスは肩を竦めてレイモンドを見る。
「……という訳だ。誰かいい奴はいないか?」
レイモンドとルイーザはチラチラと目配せして、気まずそうにアルスを見る。レイモンドはポリポリと鼻の頭を掻きながら、右手を挙げた。
「……えと、だから……俺……」
「は?」
アルスはレイモンドの意図が分からず首を傾げた。ティアナもキョトンとしている。
「……俺……戦える……と思うんですけど……」
レイモンドはポソリと言って、アルスから目を逸らした。
「何言ってるんだ?」
アルスは眉を寄せた。レイモンドが戦う姿など見た事もない。
「あの……アルスさん……」
おずおずとルイーザが口を開いた。
「レイモンド兄さんは、あの襲撃の少し前……十一歳の時に、父から剣術の免許皆伝を貰ってるんです……」
ルイーザの言葉は衝撃的だった。アルスとティアナは目を見開き、お互いを見合わせた。
「は? 父って……村長だった……? 確かノスリの弟子で……そこそこ腕の立つ剣士だったって……」
アルスはまじまじと目の前の少年を見る。フィアードと同様に、色が白く線の細い、事務職が好きな男だとばかり思っていた。
それが本当なら、アルスもまんまと騙されていた事になる。大抵の達人ならば立ち居振る舞いで分かるはずなのだが、全く気付かなかったとは。
レイモンドは頰を赤らめて口をへの字にし、明後日の方を見ている。
「確か、当時はサーシャさんといい勝負をしていたと思います。フィアード兄さんは知らないんです。父も、まさか弟に先を越されてるなんて言えなかったみたいで。
家族でこの町に移動した時も、乗合馬車が襲われたんですけど、盗賊を退けてたので、実戦経験もそこそこあるんじゃないでしょうか。
協会の次期所長としては、ティアナ様の護衛と協会の普及の双方をこなせるレイモンドこそが相応しい人材と思いますが……如何ですか?」
「……マジか……」
アルスは口元を引き攣らせ、能ある鷹を見つめた。




